日々是映画日和

日々是映画日和(83)
――ミステリ映画時評

三橋曉

 ミステリ映画が好物なせいか、試写などで渡される資料に〝ネタばれ注意〟の文字があると、思わず口許が緩んでしまう。先日も『或る終焉』というメキシコ映画の試写で、「紹介の際にはラストに触れないで」というお願い書きを貰って、勝手に期待を膨らませた。しかし内容は尊厳死をめぐる看護師の葛藤を描いたシリアスなものだった。確かに幕切れにはびっくりしたが、サプライズは必ずしもミステリ映画の専売特許じゃないという当然のことを再認識し、自戒した次第だ。

 さて今月は、前月に続いてコミックの映画化『ヒメアノ~ル』から。古谷実の原作といえば、園子温監督の『ヒミズ』が有名だが、今どきの若者のニヒリズムを描いて、本作の吉田恵輔監督もひけをとらない。仕事の失敗をかばってくれた先輩ムロツヨシから、恋のキューピット役を押しつけられたフリーターの濱田岳。しかし相手の佐津川愛美と話をすると、ストーカーに悩まされていると聞かされる。問題の男は、先日偶然にも再会した高校時代のクラスメート森田剛だった。やむなく、森田の様子を窺うなどするうちに、ある時二人きりの公園で彼女から好きだと告白され、主人公は仰天する。
 タイトルがやっと出たと思うと、既に物語の折り返し点で、ターンテーブルの上でひっくり返されたアナログLPのように、物語のテイストががらりと変わる。ラブコメ風の前半に対し、後半はサイコスリラー色濃厚で、、原作の枝葉を大胆に落とし、結末も異なっている。過激な暴力シーンの絶対零度の冷たさにも凍えるが、暴力とラブシーンがシンクロするくだりは、スリルと後ろめたさが相半ばする、なんとも不思議なシークエンスだ。後半は森田の歪んでしまった人格の狭間から本来の人間性が見えてくるなど、原作とはまた違った形で物語を締め括る。芸達者揃っているが、森田剛の予想を上回る好演とはまり役の佐津川愛美が印象に残った。※五月二十八日公開予定。(★★★1/2)

 戦時下のパリで起きたユダヤ人迫害の実態が詳らかされていく『サラの鍵』は、ミステリの手法が印象的だったが、同じ原作者タチアナ・ド・ロネのベストセラー小説を映画化したのが、『ミモザの島に消えた母』だ。仲のいい妹のメラニー・ロランと故郷のノアールムーティエ島を訪ねたローラン・ラフィットは、家政婦だった女性の話から、三十年前に水の事故で亡くなった母親の死に疑問を抱く。セラピストの助言もあって、母の死について探る彼に対し、父は怒り、祖母は困惑し、妹は拘りすぎだとなじる。ただひとり彼に理解を示す遺体修復師のオドレイ・ダナの応援で、主人公は一歩ずつ真実に近づいていくが。
 公開は七月下旬だが、六月のフランス映画祭での上映が決まったので、このタイミングで取り上げた。現時点で未訳の原作「ブーメラン」は、いわゆる戸棚の中の骸骨(家族内のタブー)をテーマとし、ミステリの要素を多分に含んだもののようだ。離婚の原因ともなり、長い間自身を苦しめてきた心の傷が、母の死にまつわるものであることを知った主人公は、遺品の時計や記憶の断片などを手がかりに、関係者を尋ね歩き、封印された秘密を解き明かしていく。舞台となる小島はフランス西部の避暑地で、引き潮の時にのみ出現する交通路で陸と繋がることで知られる。その自然条件を巧みに使いこなした作品だ。監督は、ヒッチコックに慣れ親しんできたと語るフランソワ・ファヴラ。※七月二十三日公開予定。(★★★★)

 アメリカ政府とメキシコの麻薬カルテルが繰り広げる全面戦争状態を描く『ボーダーライン』は、FBIの女性捜査官エミリー・ブラントが、秘密作戦のための特殊チームへの参加を打診されるところから始まる。特別捜査官のジョシュ・ブローリンと顧問だというコロンビア人の元検察官ベニチオ・デル・トロに胡散臭いものを感じながらも、彼女は志願する。説明もないまま彼女も同乗した小型ジェット機が降り立った先は、メキシコのフアレスだった。おぞましい光景が広がる荒廃した町でカルテルのボスの兄を拉致するが、その目的は組織を混乱させ、ボスをおびき寄せるためのものだった。
 ドン・ウィンズロウは、『犬の力』とその続編『ザ・カルテル』で、麻薬禍という悪の根源はアメリカという国家そのものだと力説するが、本作の主題もそれと通底する。しかし、そこは『灼熱の魂』や『プリズナーズ』のドゥニ・ヴィルヌーブ監督のこと、息を呑む演出もある。エミリー・ブラントは、紅一点のヒロインなのに男たちの間で散々な目に遭わされる。あんまりじゃないかと思っていたら、すでに続編の製作が決まっているそうだ。巨悪と男どもにリベンジを果たす彼女の勇姿が遠からず拝めるかもしれない。(★★★)

 最後は、ラブコメ風の『マジック・イン・ムーンライト』が楽しかったウディ・アレンのオフビートな新作『教授のおかしな妄想殺人』。ストレートなミステリ劇も多い御大だけど、今回は超変化球だ。人生に絶望する哲学教授ホアキン・フェニックスは、ふとしたことからネガティブ思考から解放されるきっかけを得る。新たな人生の目的、それは社会に害悪を与える人物を抹殺する計画だった。主人公を翻弄する人生の不条理と皮肉が苦い後味を残す。キュートなエマ・ストーンが主人公を誘惑する女子大生役で、前作に引き続いて魅力的なヒロインを演じている。※六月十一日公開予定。(★★★)

※★は四つが満点。公開予定日の付記ない作品は、公開済みです