入会によせて
まさか審査に通ると思っていませんでしたので、今回入会させていただきまして、大変恐縮しております。審査といえば、去年もあれこれ落っこちまして、今年になって再度申し込んでも結果は変わらず、いい加減そういう社会的なたしなみというか、人並みぶるのは止めようとあきらめておりました。それがやはり、いまの世の中、何かに所属していないと、私のような学歴とか会社とか貯金とか肩書などと無縁な者は大変生きづらいものでして、どなた様も何卒ご容赦のほどをよろしくお願い申し上げます。
ちなみに、私、その無所属の悲哀を最初に痛感したのは、小学生のときでした。
寒い冬の、日曜日の早朝だったと思うのですが、近所で餅つき大会が催されていました。起きて空腹を母親に訴えると、その大会へ行ってこいというのです。無料で餅を配っているからと。
ついた餅ですから、焼かずともその場で食べられるわけですね。自宅で台所を使うより手っ取り早い。そういえば、あちらの方で湯気が立っている気配がある。私は急ぎそこへ向かいました。湯気の周りでは、大人の男たちが鉢巻をしめて、餅をついていました。餅をこねて黄粉をまぶし、皿に盛るのは近隣の主婦の皆さん。その前では子どもらが列をつくっていました。
私も列に並びました。でも結局、餅はもらいませんでした。
はっきりと断られたわけではないのですが、列の隙間から声が聞こえてきまして、餅をもらえるのは、少年野球か子ども会に属している者でないと駄目だと。当時の私はどちらにも所属していません。主婦さんたちはそんな私を見ると、眉を寄せ合い耳打ちをしはじめました。
仕方なく列を離れるのですが、帰るにも帰れないのです。私の母親は、子どもが家にいることを極端に嫌う人で、日曜などは学校がない分、夕方まで外で遊んでいないといけないのですね。
まあぶらぶらしておれば時間は経つのですけれど、途中でだれかに出くわして、朝からどうしたと訊かれるのも面倒なので、私は側溝に捨ててあった紙皿を一枚拾い、夕方まで所在なく町をうろつき過ごしました。拾うときに上から割り箸が落ちてきましたが、もちろん遠慮なくいただきました。それらをもっておれば餅つき大会に参加した証拠になりますので。
あの頃の私の夢は、餅を腹一杯食べることでした。
ほかに夏場には地蔵盆という風習もありまして、お盆の夜に線香をもって行くと、子どもはお菓子をもらえるのです。線香をもって行く場所は、地域地域の大きな家だったと思います。
そのときも、行ってこいと母親にいわれて家を出るのですが、やはり少年野球か子ども会に入っていないと、お菓子はもらえないのです。かといって、やはり帰るわけにいかない。日曜日以上に、夏休みに子どもが家にいると、夜でも不機嫌になる母親でしたから。
さすがに夜ですので、ぶらぶらするにも限界があり、頃合いを見て帰宅すると、母親にひどい剣幕で追い出されまして、私は声を上げて泣きました。
あの頃の私の夢は、いつでも帰れる自分の家をもつことでした。
そんないつかの想い出を日記調に綴ったものが、今年の春、本になりました。
最近、久しぶりにあの地域を覗いてみましたら、子ども会も少年野球もなくなったというのです。
それ以前に、子どもが通うべき学校自体が廃校になっていました。
震災以後は地域に人が減っていると聞いていたのですが、まさかそこまで少子化が進んでいるとは思いもしませんでした。
時は流れるものだと知りました。