入会のご挨拶
このたび新たに入会をおゆるしいただきました若木未生と申します。ご推薦いただきました新保博久様、日下三蔵様のご両名に、あらためて御礼申しあげます。
生業として小説を書いて二十五年ほど過ぎましたが、生来ぼんやりしている人間ですもので、日本推理作家協会さんをとても素敵だなあと思って遠目に拝見しているうちに年月が流れており、「できれば入会したいのですが……どうすればよろしいのでしょう」と周囲のひとびとに尋ねたところ「まだ入会していなかったのか!」と吃驚されてしまいました。
いつまでも入会しようとしないから、入会したくないのだろうと思われたりもしていました。ちがうんです。ミステリに憧れていたのです。憧れる心ゆえに、わたしなんぞがそこに近寄ってよいのかと踏ん切りがつかず、もじもじしてもいたのです。わかりづらくてすみません。
小学校四年生の夏、父の留学につきあわされて、家族ぐるみで英国オックスフォードに転居しました。渡英後すぐに、わたしは著しい飢餓に襲われました。本が読みたくて、頭がおかしくなりそうでした。日本から持っていった本はあっという間に読み尽くしてしまったし、オックスフォードでは日本語の本が手に入らなかったのです。
休みの日に家族みんなでロンドンまで行くと、ロンドンには日本語の本を置いている書店があったので(といっても、どの本も日本で買うより格段に高価だったのですが)母に懇願して、どうにか一冊だけ買ってもらえるのでした。焼け石に水とはいえ、その一滴はわたしには得がたい甘露でした。
そんな折り、ロンドンの、しかし書店ではなく、お米を買うために入った中国系のスーパーマーケットの一角に、なぜか一冊の古本が売られていました。予想外なことに日本語の本です。ずいぶん年季の入った文庫本で、本文は旧仮名遣いでした。でも安かったので母には買ってもらえました。
いかなる経緯でスーパーマーケットの棚に置かれたのかは想像するしかありませんが、この街で暮らした日本人留学生が、次に来る旅人へのバトンとして置いていった本ではないかとわたしは思いました。
ページを繰ると、へんてこな人形がダンスをしていました。
わたしは透明な手に襟首をむんずとつかまれ、その人形たちの舞踊にひきずりこまれてしまいました。
――踊る人形。
そう、その本は『シャーロック・ホームズの帰還』だったのです。
いま思い返すと、くだんのスーパーマーケットを介してどこかのだれかからのバトンを受けとったばかりに、小説家などという厄介な稼業に踏み入ってしまったような気もするのですが……。
さまざまな人生の局面で、病で動けぬときも、四方八方がわからなくなったときも、あの一冊の文庫本の記憶にたちかえりさえすれば「おもしろいとは、どういうことか」の指針を、わたしの細胞はとりもどします。
そのことへの感謝をこめて、わたしは今日もまた小説を書こうと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。