初の台湾人ラノベ作家
三木なずな
皆様初めまして、この度日本推理作家協会に入会させて頂きました三木なずなと申します。
ペンネームの由来は心酔してる声優・水樹奈々さんの名前を拝借しアナグラムでつけたもので、作家としては主にライトノベル、そしてなろう小説を刊行させて頂いているものです。
まずは入会にあたりご協力頂きました真保裕一先生、鈴木輝一郎先生にこの場を借りて御礼申し上げます。
ペンネームは日本風ではございますが、わたくし自身は台湾人の父母を持ち、自身も大学進学直前まで台湾で過ごしてきた生粋の台湾人でございます。
台湾で生まれ育ちました幼少の頃より日本のサブカルチャーに触れ、気がつけばそれが大好きになっていました。様々な日本のコンテンツとふれあっている内に、ブラウン管の向こうの更に向こう、アニメのいわゆる中の人――つまり声優に憧れるようになり、高校生になった頃に将来は日本で声優を目指そうと本格的に日本語の勉強をはじめました。
とはいえそれは全くの自己流で、日本のバラエティやアニメを見ながらのシャドーイング、文字があり音声があり、かついくらでもリピートができて比較的口語的な美少女ゲームなどがわたくしの教材でした。
高校の三年間、そして貯金のため就職した一年間の計四年間日本語を勉強して、大学留学をきっかけに来日いたしました。
その後様々な事情が重なって、来日から二年で声優の道は挫折し、断念したのですが、大本の夢を完全に捨てきることは出来ず、どうにかして近しい業界に職をつけないかと思っていたところ、書店でライトノベルと出会いました。
今にして思えば恥ずかしい限りなのですが、ライトノベルを見た瞬間、よくある「こんなのなら自分にも書ける」と思ってしまいました。そうして小説を書いて公募の新人賞に投稿しはじめ、2004年から九年間かけて、基礎的な日本語と共に文章表現やストーリー創作を勉強しながら投稿を続けた結果、2013年に集英社スーパーダッシュ文庫からデビュー作を上梓し、ライトノベル作家としてデビューいたしました。
そうして念願のデビューとなりましたが、続刊を前提とする商業モデルのライトノベル業界ではデビュー作および二作目ともに売り上げが振るわず一巻打ち切りとなり、完全に仕事がなくなった状態となり、企画も見てもらえない状態になりました。
9年間の努力が水の泡となりかけ困り果てていた時に、その頃台頭してきた「小説家になろう」の存在を知り、藁をすがる思いで身を投じました。そこで九年間まったく気づきもしませんでした「読者と向き合う」を体感で覚え、毎日一万字程度の読者が求める内容の小説をひたすら投稿した結果、現在では年間十二冊刊行、また小説家になろう最多となる書籍化タイトル十一シリーズと、それなりの結果を出す事ができました。
今までの人生で色々あって変わり続けてきて、またこれからの世情も絶えず変わっていくと思いますが、商業作家であり続ける以上はその時その時の読者が求めるものをひたすら書き続けていきたいと考えております。
今後は推理作家協会員として恥じない振る舞いとともに精進を重ねていきたく存じます。まだまだ未熟者ですが、なにとぞご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。