遅まきながらのご挨拶
このたび日本推理作家協会に入会させていただきました佐藤究と申します。
本来であれば、第六十二回の江戸川乱歩賞を拝受した二〇一六年に入会し、このように会報で皆様にご挨拶するべきなのですが、私は二十代なかばのころ、交友のある詩人の方に「何か書いたら『群像』に出すといいよ」と言われ、深く考えることもなく群像新人賞に初めて応募したところ、その作品が優秀作となり、講談社の「群像」よりデビューした人間です。そしてお恥ずかしながら、純文学の世界で十年以上を不良在庫としてすごしました。
二〇一五年、誰に頼まれたわけでもないゾンビ小説を書いて、知己の編集者さんにその作品の話をしたところ、「何か書いたのであれば『江戸川乱歩賞』に応募してみませんか」と言われ、ほかに仕事もなかったので、なるほどと思いました。応募したのはゾンビ小説ではありませんでしたが……。
そのときのことを〈エンタメへの転向を宣言〉といった勇ましい表現によって紹介してくださる方もいるのですが、 事実を申しますと、重大な決断の場面とはほど遠い、大変地味で短いやり取りにすぎませんでした。じっさい、まったく売れない物書きが何かを宣言したところで、それを聞く耳は地上に一つもございません。
そして、二度目の江戸川乱歩賞に応募したところを、現代表理事の今野敏先生や有栖川有栖先生をはじめとする審査員の方々に拾っていただいたという次第です。皆様に心から感謝すると同時に、私自身は文芸業界で完全に死んでいた身であり、現在の自分はまさに墓から出てきてしまったゾンビのような輩でしかないと考えています。
このような人間が、胸を張って日本推理作家協会員と名乗るのもおこがましいという思い、また私自身の無精から、二年が経って入会ということになってしまいました。
どうして今になって入会したのかについて、以下に申し上げます。
二年前に拝受した乱歩賞の新聞報道がきっかけとなり、私は夢野久作先生のご令孫にあたる杉山満丸氏と親しくさせていただくようになりました。杉山氏は私の母校である福岡大学附属大濠高等学校の大先輩でもあります。
その御縁から、杉山氏の関わっておられる「夢野久作と杉山三代研究会」に招かれ、福岡で下手な講演などをさせていただき、今年三月には、拓殖大学の元総長である渡辺利夫先生のご好意によって拓大キャンパスで開催された研究会にも招かれました。その会の壇上で私は、皆様もご存知の江戸川乱歩先生のご令孫である平井憲太郎氏と、前述の杉山満丸氏の初対談(基本的には記録映像を見ながらトークを展開するというものです)の司会を任されました。
探偵小説の両巨頭の孫によるドリーム対談だったのですが、その壇上で、もし私が日本推理作家協会に入っていたら、乱歩先生と久作先生の関係についてもっと詳しい方に助言を求められたかもしれない、という思いを強く抱きました。
こうした出来事があってほどなく、私の友人であり、TBSの「クレイジージャーニー」の出演でも知られる犯罪ジャーナリスト、丸山ゴンザレスさんと川崎の焼肉店で食事をしたさいに、豊富な取材エピソードなどを聞くなかで「一緒に日本推理作家協会に入りましょう」、と彼特有のフットワークの軽さで背中を押され、そこから今日に至ったというのが、遅まきながらの入会の経緯であります。
同時入会となった丸山ゴンザレスさんとは、共通の友人である鈴木信達氏の仲介で親しくなりました。ちなみに鈴木氏は空手家であり、総合格闘家でもあります。彼は空手の技術をベースにして、アジア最大のMMA団体「ONE」の初代ウェルター級王者に就いた選手ですが、私にペンネームを授けてくださった今野敏先生も古流沖縄空手の師範を務めておられ、考えてみれば私のまわりには武術家の方が多く、皆様にはつねに人生の好機を与えてもらっています。文武両道の意味をあらためて考えるこのごろです。
無学な者ではありますが、日本推理作家協会、ひいては社会にたいして微力ながら何らかの貢献ができればと思っておりますので、何卒よろしくお願い申し上げます。
本来であれば、第六十二回の江戸川乱歩賞を拝受した二〇一六年に入会し、このように会報で皆様にご挨拶するべきなのですが、私は二十代なかばのころ、交友のある詩人の方に「何か書いたら『群像』に出すといいよ」と言われ、深く考えることもなく群像新人賞に初めて応募したところ、その作品が優秀作となり、講談社の「群像」よりデビューした人間です。そしてお恥ずかしながら、純文学の世界で十年以上を不良在庫としてすごしました。
二〇一五年、誰に頼まれたわけでもないゾンビ小説を書いて、知己の編集者さんにその作品の話をしたところ、「何か書いたのであれば『江戸川乱歩賞』に応募してみませんか」と言われ、ほかに仕事もなかったので、なるほどと思いました。応募したのはゾンビ小説ではありませんでしたが……。
そのときのことを〈エンタメへの転向を宣言〉といった勇ましい表現によって紹介してくださる方もいるのですが、 事実を申しますと、重大な決断の場面とはほど遠い、大変地味で短いやり取りにすぎませんでした。じっさい、まったく売れない物書きが何かを宣言したところで、それを聞く耳は地上に一つもございません。
そして、二度目の江戸川乱歩賞に応募したところを、現代表理事の今野敏先生や有栖川有栖先生をはじめとする審査員の方々に拾っていただいたという次第です。皆様に心から感謝すると同時に、私自身は文芸業界で完全に死んでいた身であり、現在の自分はまさに墓から出てきてしまったゾンビのような輩でしかないと考えています。
このような人間が、胸を張って日本推理作家協会員と名乗るのもおこがましいという思い、また私自身の無精から、二年が経って入会ということになってしまいました。
どうして今になって入会したのかについて、以下に申し上げます。
二年前に拝受した乱歩賞の新聞報道がきっかけとなり、私は夢野久作先生のご令孫にあたる杉山満丸氏と親しくさせていただくようになりました。杉山氏は私の母校である福岡大学附属大濠高等学校の大先輩でもあります。
その御縁から、杉山氏の関わっておられる「夢野久作と杉山三代研究会」に招かれ、福岡で下手な講演などをさせていただき、今年三月には、拓殖大学の元総長である渡辺利夫先生のご好意によって拓大キャンパスで開催された研究会にも招かれました。その会の壇上で私は、皆様もご存知の江戸川乱歩先生のご令孫である平井憲太郎氏と、前述の杉山満丸氏の初対談(基本的には記録映像を見ながらトークを展開するというものです)の司会を任されました。
探偵小説の両巨頭の孫によるドリーム対談だったのですが、その壇上で、もし私が日本推理作家協会に入っていたら、乱歩先生と久作先生の関係についてもっと詳しい方に助言を求められたかもしれない、という思いを強く抱きました。
こうした出来事があってほどなく、私の友人であり、TBSの「クレイジージャーニー」の出演でも知られる犯罪ジャーナリスト、丸山ゴンザレスさんと川崎の焼肉店で食事をしたさいに、豊富な取材エピソードなどを聞くなかで「一緒に日本推理作家協会に入りましょう」、と彼特有のフットワークの軽さで背中を押され、そこから今日に至ったというのが、遅まきながらの入会の経緯であります。
同時入会となった丸山ゴンザレスさんとは、共通の友人である鈴木信達氏の仲介で親しくなりました。ちなみに鈴木氏は空手家であり、総合格闘家でもあります。彼は空手の技術をベースにして、アジア最大のMMA団体「ONE」の初代ウェルター級王者に就いた選手ですが、私にペンネームを授けてくださった今野敏先生も古流沖縄空手の師範を務めておられ、考えてみれば私のまわりには武術家の方が多く、皆様にはつねに人生の好機を与えてもらっています。文武両道の意味をあらためて考えるこのごろです。
無学な者ではありますが、日本推理作家協会、ひいては社会にたいして微力ながら何らかの貢献ができればと思っておりますので、何卒よろしくお願い申し上げます。