ずいひつ

本多正一氏にお答えして

新保博久

 以下の文章は、本多正一氏がまだ当協会に在籍しておられた二〇一六年十二月、会報「ずいひつ」欄に寄稿なさった「編集の『道』」への返答として草するものです。二年も経って出し遅れの証文のように提出するのは、本多氏から最近いただいた私信における、たっての要望に応えてのこと。氏は《要求》と表現しておられるものの、何を要求するのも氏のご自由なら、応じるも応じないも当方の勝手でしょうが、舌足らずながら応じることにしました。なぜ今さら書くのか、会報の読者には不審に違いないので、本多氏からの来簡の一部を無断引用させていただきます(《 》内)。
 氏のかつての寄稿によれば、編集者が職業上知り得た作家のエピソードを開陳することを好ましくないことと思っておられるようですが、公務員のように守秘義務はありませんし、実際その種の書籍や記事が数多く流布してきて、読者の好奇心を満たし、作家研究にも裨益したのは事実です。何をどこまでどのように明かすかは、書き手の良識に委ねるべきでしょう。その範囲を逸脱していると本多氏が指弾しているのは、人名や書名が伏せられていますが、編集者インタビュー集である拙著『ミステリ編集道』(二〇一五年五月、本の雑誌社)及び『本の雑誌』二〇一三年八月号に初出掲載の、東京創元社のOB編集者・戸川安宣氏からの聞書ちゅう中井英夫氏に関する部分の扱いについてにほかなりません。
 刊行直前、単行本化の情報を得た本多氏から当該原稿のチェックを申し出られ、誤謬の指摘は歓迎なので見ていただいたところ、具体的な訂正の指摘というよりは、戸川氏の記憶違いを糺す、中井氏のメモなどの厖大なスキャンデータが何通も送られてきました。それらを精査して改訂に反映させるのが理想的だったでしょうが、刊行期日も迫っており、一冊全体のゲラも見なければならない時点で、非力の私には手に余ることでした。戸川氏と相談のうえ、中井氏関連の箇所は削除して他の話柄に差し替えたものです。本多氏の進言が削除のきっかけになったことは、氏が圧力をかけたとの印象を読者に与えかねないと判断し、公表しませんでした(公表しなかったことも本多氏のお気に召さなかったようですが)。好ましくない表現があると本多氏がいう初出誌に、改めてネット雀らの関心を煽るのも憚られたものです。
 とりわけ本多氏が問題視したのは、中井氏が世田谷区羽根木の借家を退居する際「かなりの退居料をせしめ」たと戸川氏が発言したことになっている箇所らしい。これは実際には戸川氏の言葉通りではなく、座談にありがちな「アレして」風の曖昧な表現になっていたのを新保が原稿にするに当って書き換えたものです。それが戸川氏の発信となっているのをゲラで氏が看過したとしても、不適切だと咎められるとしたら新保のほうであるべきでしょう。全体の文責は新保にあるのですから。
 しかし、「せしめて」というのが、謝罪を求められるほど悪質な表現でしょうか。本多氏が、《上記の「せしめる」を含む上記表現が、中井英夫が『うまく立ち回って常識的に相当な範囲をはるかに超える法外な立ち退き料を取得した』という意味に理解され》るとおっしゃるのは、拡大解釈と思われてなりません。本多氏が寄稿で指摘なさったように、「『せしめる』というのは『うまく立ち回って自分のものとする。よこどりする。かすめとる。』といった意味である」と『広辞苑』第七版では定義されていますし、また、『大辞林』第二版を見ると一行目はほぼ同じでした。しかし両者とも、用例として「小遣いを――・める」を挙げているように、あまりに悪辣、また巨額を横領するといったニュアンスではとらえていないようです。一方『新明解国語辞典』第七版は、「機会をのがさず行動して(うまく立ち回って)自分のものとする。『競馬で大穴を当て大金をせしめた』」(丸括弧内も原文)と、違法性・不道徳性を盛り込まずに定義しています。私が「せしめ」の語を採択した際『新明解』を参照したわけではありませんが、たまたま同様の認識に立っていました。
 小説作品に求めますと、あいにく一例しか発見できませんでしたが、阿刀田高氏の短篇「幸福通信」の初めのほうに見出されます。「岩下は阪急の四勝一敗と四勝二敗に賭け、前者が当たって一万三千円也をせしめた」。社内トトカルチョの結果ですが、友人間で食事代程度を賭けることは賭博禁止法に抵触しませんし、岩下はこの短篇の主人公で、作者から悪意をもって描かれているわけでもなく、阿刀田氏も『新明解』流の解釈で記述したのでしょう。しかし一般には『広辞苑』流の解釈のほうが多数派であり、それゆえ「せしめ」という表現が穏当を欠くものであったことは認めざるを得ません。
 とはいうものの、《「様々な耽美的かつ幻想的な作品を生み出した」と表現されることもある(「ホンシェルジェ」のウェブサイト)中井英夫のイメージ、信用を著しく損なうもの》(丸括弧内は原文)との見解にも同意できません。仮に私の不用意な文言が結果的に中井氏を中傷したことになるとしても、中井氏の作家的・人格的名声がその程度で揺らぐものでもありますまい。中井氏の熱烈なファンを含む私の周囲からも、また紙媒体ネット媒体を含めて、この一言を問題視する意見は寡聞にしてほかに知りません。
 《中井英夫、本多正一への謝罪、および今後、同様のことを行なわないという誓約の文章》を求めておられますが、少なくとも本多氏が非常な不快感を覚えられた点についてはお詫び申し上げます。《今後、同様のこと》というのが、中井英夫氏に関することに限定されるのか、私の執筆活動全体に掣肘を加えるものなのか判然としませんが、最小限、中井氏に関しては作品そのものを論じるか、伝聞によらない確定的な事実に依拠する場合以外は筆にすることは今後ありません。中井氏以外の作家作品に対しても、稀に相手を傷つける意図をもって書いたり発言することがないではないものの、不必要に先方を貶める物言いはしないのを現今は身上としており、強いられて誓うことでもないでしょう。とはいえ、粗忽から筆が滑ること、また先方との価値観の相違から相手を傷つけてしまうことを将来的にも絶対行なわないことは不可能です。果たせるわけがないことを誓うわけにはいきません。ご理解のほどお願いいたします。
 協会報の貴重な紙面を費やし、またこの問題に関心のない読者のお目を汚して恐縮です。