追悼

加納一朗先生を悼む――出会いは「学習」の付録冊子から

芦辺拓

 あれは昭和四十四年(一九六九)――小学五年の十二月のことです。もしかしたら、もう冬休みに入っていたかもしれません。
 私は毎月楽しみにしている雑誌「5年の学習」新年特大号の付録についた冊子に読みふけっていました。10×14センチの豆本といっていいそれは、これまで名作文学や偉人伝などが収められていましたが、このときは少し毛色が変わっていて、題名は『宇宙人パルと秀吉』。何をやってもダメダメな泣き虫少年・小田秀吉君と身長三センチの宇宙人との出会いから始まる大騒動を描いたSFでした。
 それまで、こんな小説を読んだことはありませんでした。脱線してばかりのスッとぼけた文章に、何ともおかしな登場人物たち。何やかんやあって、お隣に住む女の子・静ちゃんが悪者にさらわれたのを助けようとした秀吉君は川に落ち、カチンコチンに凍りついてしまうのですが、それを見ての誘拐犯たちの会話を読むにつけ、私はとうとうお腹が痛くなるほど笑い転げてしまいました。
 漫画ならともかく、活字でここまで笑わされた体験は初めてでした。そして、その体験は加納一朗先生という作家との最初の出会いともなったのです。
 後に知ったのですが、加納先生は、この時期の「5年の学習」とそれに続く「6年の学習」の仕事をしておられて、コナン・ドイルの『失われた世界』、同じく『復しゅうの血文字』(緋色の研究)、フランク・グルーバー『13階のエレベーター』(十三階の女)などをリライトしておられたのです。つまりこれらの名作を、加納先生のペンを通じて知ったことになります。
 はるか後年になって、日本推理作家協会に入会を許されたとき、いくつかあったサークルの中で「土曜サロン」を選んだのは、むろん加納先生が幹事をしておられたからでしょう。その例会で先生の温顔に接したとき、おそらく私は『宇宙人パルと秀吉』のことを熱く語ったに違いありません。
 そして四十年ぶりにこの冊子を再び入手できたとき、私は厚かましくも加納先生にサインをお願いし、あのとき十一歳の少年だった自分が、曲がりなりにも同じ仕事に就くことができた喜びと不思議さを、ひそかに噛みしめたことでした。
 さらにそののち、かつて「学習」を出していた学研から出た児童向けのミステリ・アンソロジーで、私は加納先生と目次で名前を並べることができました。そして、この仕事がきっかけで、少年少女向けの名作リライトを手がけるようになり、それは本来の創作活動とは別の意味で大切なものとなっています。
 そうした仕事にかかるとき、いつも私は子供のころを思い出します。そして考えるのです、いま現在の少年少女たちを小説の面白さにいざなうことができているかどうかを。
 その先達である加納先生に心からの敬意と、感謝と、そして哀悼の意をささげます。先生、どうかあちらでは安らかに……そして、お好きだった探偵映画を存分にお楽しみください。