土曜サロンレポート 読者からの応援
本多正一
九月二一日の土曜サロンは「出版関係者の倫理を考える」と題して、協会事務局に津原泰水氏をお迎えした。朝日、毎日、読売と三大紙の社会面にまで報道された幻冬舎とのトラブルのことである。
津原氏は往年「津原やすみ」名義で少女小説で活躍し、一九九七年、講談社から『妖都』を綾辻行人氏の推薦、宇山秀雄氏の担当で刊行。そのときから「津原泰水」名義で執筆を続けている。
誤解されがちなことだが、津原氏は百田尚紀氏の『日本国紀』の内容を批判したわけではない。ツイッター上で、百田氏のウィキペディアなどをコピー&ペーストしたままの執筆スタイルに疑問を呈したばかりである。
「僕の本も出してくれている出版社の本ですから、売れているのは歓迎だったんです。ただプロの物書きとして、間違いもそのままのコピー&ペーストがよいとは思えなかった。そうした本では出版社の信義にも関わる。」(津原氏)。津原氏がツイッター上で、百田氏や『日本国紀』出版プロデューサーの有本香氏らとやりとりを続けるなか、昨年一二月までは『ヒッキー・ヒッキー・シェイク』幻冬舎文庫化の話が進行しており、自分に累が及ぶとは考えてもみなかった。シャーリイ・ジャクスン作品などで人気のアーティストによる装丁画も出来上がっていたのである。
しかし今年にはいって一月八日、担当編集者から電話があり、続けて「幻冬舎文庫に入れさせていただくことについて、諦めざるを得ないと思いました。」とメールが届いた。「営業部の判断で、ということだったんです。ただ出版中止ですから、上層部からのトップダウンの可能性が高いと思う。」(津原氏)。その後、幻冬舎社長・見城徹氏の実売部数ツイートもあり、花村萬月、高橋源一郎、江川紹子、平野啓一郎、町山智浩、豊崎由美、太田忠司、深緑野分、井上荒野、春日太一、福田和代、喜国雅彦、葉真中顕、千街晶之、盛田隆二、芦沢央、藤井太洋、内田樹、津田大介、宮内悠介各氏ら、多数の文筆業者が異議を唱え社会問題化した。
津原氏のほうでは懇意にしていた編集者に『ヒッキー』文庫化を打診し、早川書房から出版された。新しく丹地陽子氏の装丁画だが、もともと幻冬舎での『ヒッキー』連載および単行本でも、津原氏が、ビートルズの『リボルバー』ジャケット(グラミー賞ベストデザイン賞)を描いたドイツのクラウス・フォアマン氏に連絡を諮り、『ヒッキー』イラストを依頼、原画を買い取るなど、さまざまな思い入れを籠めた作品でもあった。
予定外の騒動となってしまったが、津原氏の名前が大きく報道され、往年の津原やすみファンが「え、やすみさんてまだ小説を書いているの?」と『ヒッキー』の売り上げにもつながったようだ。
津原氏は「少女小説というのは、出版業界で、一段低く見られがちなんです。でも中学生や高校生の読者が『なかよし』なんかのホント可愛らしい附録のレターセットでファンレターをくれる。そうした手紙、読み捨てにできなくて、時には全員に向けて一斉に、サイン入りの葉書を返したりしていたんです。その頃の読者が成長して、今度は津原泰水の本を買って応援してくれている。本当にありがたいと思いました。」と語る。
当日は津原やすみ時代からのファンも在籍する「津原泰水文章教室」の生徒九名も参加。総勢二一名と大盛況でした。
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この日は八月二五日に加納一朗氏が亡くなられ、初めての土曜サロンでもありました。筆者も加納氏に誘われ土曜サロンに参加するようになり、帰途、参加者で連れだって、表参道の喫茶店や原宿ブックオフに立ち寄ったことを、つい昨日のことのように思い返しています。
「探偵作家クラブ時代の土曜会は乱歩先生が中心で、もっと家庭的な雰囲気だったんです。打ち上げで食事に行ったり、家族的な交流でね。協会となり会員も増えたけど、土曜サロンはそうした会として続けていきたいですね。」と往事を懐かしそうに回想されていた、ありし日の加納氏のおだやかな面影を偲び、今後の土曜サロンの運営と発展に微力を尽くしたいと思います。