新入会員挨拶
このたび第六十五回江戸川乱歩賞を頂戴し、日本推理作家協会の末席に加えていただくことになった神護かずみです。事務局様からご指示をいただきましたので、会報にてご挨拶をさせていただきます。
昭和三十五年愛知県生まれ。國學院大學法学部を卒業後、化学品メーカーに就職。三十五年間勤務ののち、五十八歳で早期退職。これが、わたしの表の経歴となります。一方、小説家としてのスタートは一九九六年になります。朝日ソノラマ社が手がけていた新人賞に、初めて書いた原稿で応募しました。最終候補には残れなかったものの、本にしませんかとお声がけをいただき、『裏平安霊異記』という作品で、ひっそりデビューの運びとなりました。
学生時代からジャンルに拘らず広く小説を楽しんでいましたが、作家を目指そうという思いはありませんでした。三十歳を過ぎた頃、当時流行っていたワープロを購入したもののやることがなく文章を打ってみたのが、小説を書き始めた他愛ない動機です。従って当初は、本好きとして著書が一冊あるという、人生のいい思い出作りのつもりでいました。しかし自分の書いた作品が書店に並ぶ愉悦を味わったことで、物語るという行為から離れられなくなってしまいました。あのビギナーズラックがなければ、今回こうしてご挨拶の言葉を書いていることもなかったかと思います。
とはいえ、執筆一直線の人生であったわけでもありません。生活の糧を得るための仕事に追われ、また、あちらこちらに興味が流れるいい加減な性格も手伝い、いっときは怪獣造型、ガレージキットという、令和の今ではほぼ廃れた感のあるサブカルチャーの世界に没頭しました。収集、作製した怪獣の数はゴジラを中心に大小あわせ四百体以上。粘土で最初から作りあげるフルスクラッチというものにも、素人ながらいっとき手を染め、小説の創作から離れもしました。
しかし五十歳を間近にした頃、今までの人生を振り返り、同時に残された時間を望み、自分に与えられた時間をどの道に懸けるべきか考えるなか、強く強く浮かび上がってきたものが小説の世界でした。再度、投稿を始めるようになり、二〇一一年に『人魚呪』で遠野物語百周年文学賞を受賞し、角川書店さんから本作品を含め『石燕夜行』をシリーズで三作、計四作を上梓することができました。
ただ、残念なことにあとが続かず、会社勤めの終着点も視野に入るところまで人生が至りました。この辺りで納得し潔く諦めるのが、分別ある大人の態度であるかと思います。ところが往生際の悪いことに、言い分けのできない境遇に自分を追い込み、とことん書いてみたい欲求に突き動かされ、昨年、会社を早期退職しました。なんの保証も自信もないまま、よくも早まったものだと、思い返すたびいまだに背筋が寒くなるのを覚えます。
過去出版に至った作品は、どれも妖怪の類が出てくる幻想・ファンタジー系ですが、社会人として働くなか感じたことをいくらかでも投影できたらと、今まで敷居が高く手を出さなかったミステリー・推理ものにも、ここ数年挑戦しました。江戸川乱歩賞への応募は五回を数え、退職後初めて書き上げたものが、今回、お認めいただいた作品となります。
ちなみに、小説を書いていることは、勤務先の仲間に一切伏せておりました。会社を辞めてなにをするつもりだと随分聞かれましたが、小説を書くのだとは言えず、曖昧な言葉で職場を去りました。江戸川乱歩賞受賞記者会見の写真がウェブ上に晒されたことで、数日後には元同僚たちの知るところとなり、おまえのような奴が乱歩賞を受賞したこと自体が最大のミステリーだと言われております。
思い起こせば、初めて小学生の時に手にした小説が、ポプラ社の少年探偵団シリーズ第三巻、「少年探偵団」(背表紙蜘蛛バージョン)でした。当時の少年の多くがそうであったように夢中になり、当時出版されていた全十五巻を揃え、何度も読み返しました。それが、わたしと小説の出会いです。よもや五十年後に作者である江戸川乱歩先生の名を冠した賞を頂戴することになろうとは夢にも思わず、人生の不思議を噛みしめております。
今回、わたしの受賞により、江戸川乱歩賞受賞最高齢記録が更新されたそうです。遅れるにしても程があるほど、遅れてやってきた「新人」でございます。
年齢のいった若輩者ではございますが、何卒おつきあいのほど、よろしくお願いいたします。