新入会員挨拶
新入会員の砥上裕將と申します。皆さま、よろしくお願いします。
佐藤青南先生と、知念実希人先生のお力添え賜り、この度、入会させていただきました。この場を借りて厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
私は、元々水墨画の画家として生計を立てていたのですが、その仕事もそれほど頑張らず時間を持て余していたので、友人の勧めによって小説を書き始め、気付くと小説家として生活していました。
田舎で好き勝手をやっている絵師でしたので、周りの誰もが驚くような、ひどい貧乏暮らしをしていたのですが、よくよく考えるとあの頃はあの頃で、随分幸せだったなあと思う時があります。
いまは、磨き上げてきた画技とはあまり関係ないところで、文章を書くことにより、お金を戴き、「なんで、こうなったのだろう?」と自分の人生に妙な違和感を覚えながらも、だいたい人並みの暮らしをさせて戴いております。ありがたいことです。私が人並みの暮らしができる日が来るなんて夢にも思いませんでした。
この僥倖は、私の努力というよりは、私をどうにかしなければならないと思った友人や周囲の人間のおかげだと常々思っております。私の家族や、私の友人たちは私が小説家になったことを、私以上に喜んでくれました。これで、こいつの面倒をみなくて済む。そんな思いの透けて見える心からの祝福でした。私も皆の喜ぶ顔を見るのは幸せでした。何にせよ、人さまに面倒も心配も掛けずに生きていられるのは良いことだなあと思っております。それから私のような人間にもきちんと仕事があることに、心から感謝しております。
そして、最近は、この仕事を始めてみて、想像していたよりも遥かに大変な仕事だなあということを実感し、この仕事を長年続けておられる先生方を心から尊敬するようにもなりました。一生懸命に仕事をされている方々の集まりがこの会なのだと思い、そこに加えて戴けたことにも心から感謝しております。
さて、私なりに自己紹介の内容を考えてみたのですが、私は、自分がどんな小説家かと問われても、うまく説明できません。そもそも小説そのものにあまり詳しくもなく、いまだに担当編集者の方にも『投稿作並みの技量しかない』と評されているくらいなので、物書きとして自分をこれだといえるものは何もないのです。
けれども、自分がどんな絵師なのかはお話することができます。それを今日は、自己紹介にかえさせて戴こうと思います。
私は、とても単純な絵を描く、パッと見、冴えない絵師です。シンプルな仕事しかしません。選ぶ画題も、昔ながらのものが多く、よくある花卉画。葡萄、菊、薔薇、山藤、向日葵、花菖蒲、梅、桜、牡丹、椿、小禽などなど奇を衒ったところはどこにもありません。乾燥を待ち、いろいろな液剤や道具を駆使するような手のかかる絵はあまり好まず、一本の筆で、一発書きをするような短時間の制作を好みます。真っ白な画仙紙の前に立って、じっと白紙を眺めて、居合い切り。そんな感じです。
絵にとって造形というのはとっても大事なものですが、私にとって形というのは、どうでもよく、その絵が表す『線』の雰囲気が一番です。水墨画は、形で勝負しようとすると、洋画に必ず負けます。油絵にも木炭デッサンにも絶対、勝てません(だいたい書き直しができないのですから)。モノトーンにちょっと色を足すようなお洒落な感じや、滲みの技法などで勝負しようとしても、そのうち水彩画に負けます(水彩紙の発色とコントロールの良さは驚くべきものです)。ですが、これら二つにも負けない要素が一つだけあります。それは毛筆という東洋伝統の筆記具による表現力です。つまり私はそれに懸けて、毎日ネチネチ、白紙を前にして、居合い切りを繰り返してきたつまらない絵師です。
そうすると、毎日、何をしていることになるのか。
白紙の前に立ち(あるいは座って)、一日何時間もぼんやり紙を見つめ続ける。描き始めたかと思えば、二十分くらいで終わる。終わればまた、紙を見つめ続ける。外を歩ければ、やたらと植物を観察し、人の家の塀や垣根の前で長時間立ち止まる。不審者と思われる。近所の人には煙たがれる。友人は減っていく。家族からは罵声を浴びせられる。目つきがやたらと悪くなるなど、いろいろなことが起こります。
基本的に世の中の役に立ちそうなことに、ほとんど関心を示さず、世の中の役に立たないことに全力で挑んでいく。そんな人生になります。
私の人生は、そうした経験から構成されており、そんな人生から生まれた絵を描き上げて、人様に買っていただいて、これまでは糊口をしのいでおりました。はっきり言って、とても幸せな生活でした。やりたい放題でした。ありがたい日々でした。
いまは、そのネチネチとした画業の過程で習得したわずかばかりの知識や経験を文章にかえて、お仕事をさせて戴いております。
私は自分が物書きになれたのは、変なことをずっと続けていた変な人間が文章を書き始めたので、今のところ面白がられているだけだと思っていて、この先いつまでも小説家として居続けられるかは怪しいところがあると感じております。ですから、一作一作これで最後だと思って、丁寧に仕事を続けていくことが目標です。私の自己紹介はこんなところです。
九州の田舎に住んでいるので、なかなか皆様にお会いすることは難しいかと思いますが、今後とも、ご指導、ご鞭撻のほどをよろしくお願い致します。拙い自己紹介文を読んで戴き、まことにありがとうございました。
佐藤青南先生と、知念実希人先生のお力添え賜り、この度、入会させていただきました。この場を借りて厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
私は、元々水墨画の画家として生計を立てていたのですが、その仕事もそれほど頑張らず時間を持て余していたので、友人の勧めによって小説を書き始め、気付くと小説家として生活していました。
田舎で好き勝手をやっている絵師でしたので、周りの誰もが驚くような、ひどい貧乏暮らしをしていたのですが、よくよく考えるとあの頃はあの頃で、随分幸せだったなあと思う時があります。
いまは、磨き上げてきた画技とはあまり関係ないところで、文章を書くことにより、お金を戴き、「なんで、こうなったのだろう?」と自分の人生に妙な違和感を覚えながらも、だいたい人並みの暮らしをさせて戴いております。ありがたいことです。私が人並みの暮らしができる日が来るなんて夢にも思いませんでした。
この僥倖は、私の努力というよりは、私をどうにかしなければならないと思った友人や周囲の人間のおかげだと常々思っております。私の家族や、私の友人たちは私が小説家になったことを、私以上に喜んでくれました。これで、こいつの面倒をみなくて済む。そんな思いの透けて見える心からの祝福でした。私も皆の喜ぶ顔を見るのは幸せでした。何にせよ、人さまに面倒も心配も掛けずに生きていられるのは良いことだなあと思っております。それから私のような人間にもきちんと仕事があることに、心から感謝しております。
そして、最近は、この仕事を始めてみて、想像していたよりも遥かに大変な仕事だなあということを実感し、この仕事を長年続けておられる先生方を心から尊敬するようにもなりました。一生懸命に仕事をされている方々の集まりがこの会なのだと思い、そこに加えて戴けたことにも心から感謝しております。
さて、私なりに自己紹介の内容を考えてみたのですが、私は、自分がどんな小説家かと問われても、うまく説明できません。そもそも小説そのものにあまり詳しくもなく、いまだに担当編集者の方にも『投稿作並みの技量しかない』と評されているくらいなので、物書きとして自分をこれだといえるものは何もないのです。
けれども、自分がどんな絵師なのかはお話することができます。それを今日は、自己紹介にかえさせて戴こうと思います。
私は、とても単純な絵を描く、パッと見、冴えない絵師です。シンプルな仕事しかしません。選ぶ画題も、昔ながらのものが多く、よくある花卉画。葡萄、菊、薔薇、山藤、向日葵、花菖蒲、梅、桜、牡丹、椿、小禽などなど奇を衒ったところはどこにもありません。乾燥を待ち、いろいろな液剤や道具を駆使するような手のかかる絵はあまり好まず、一本の筆で、一発書きをするような短時間の制作を好みます。真っ白な画仙紙の前に立って、じっと白紙を眺めて、居合い切り。そんな感じです。
絵にとって造形というのはとっても大事なものですが、私にとって形というのは、どうでもよく、その絵が表す『線』の雰囲気が一番です。水墨画は、形で勝負しようとすると、洋画に必ず負けます。油絵にも木炭デッサンにも絶対、勝てません(だいたい書き直しができないのですから)。モノトーンにちょっと色を足すようなお洒落な感じや、滲みの技法などで勝負しようとしても、そのうち水彩画に負けます(水彩紙の発色とコントロールの良さは驚くべきものです)。ですが、これら二つにも負けない要素が一つだけあります。それは毛筆という東洋伝統の筆記具による表現力です。つまり私はそれに懸けて、毎日ネチネチ、白紙を前にして、居合い切りを繰り返してきたつまらない絵師です。
そうすると、毎日、何をしていることになるのか。
白紙の前に立ち(あるいは座って)、一日何時間もぼんやり紙を見つめ続ける。描き始めたかと思えば、二十分くらいで終わる。終わればまた、紙を見つめ続ける。外を歩ければ、やたらと植物を観察し、人の家の塀や垣根の前で長時間立ち止まる。不審者と思われる。近所の人には煙たがれる。友人は減っていく。家族からは罵声を浴びせられる。目つきがやたらと悪くなるなど、いろいろなことが起こります。
基本的に世の中の役に立ちそうなことに、ほとんど関心を示さず、世の中の役に立たないことに全力で挑んでいく。そんな人生になります。
私の人生は、そうした経験から構成されており、そんな人生から生まれた絵を描き上げて、人様に買っていただいて、これまでは糊口をしのいでおりました。はっきり言って、とても幸せな生活でした。やりたい放題でした。ありがたい日々でした。
いまは、そのネチネチとした画業の過程で習得したわずかばかりの知識や経験を文章にかえて、お仕事をさせて戴いております。
私は自分が物書きになれたのは、変なことをずっと続けていた変な人間が文章を書き始めたので、今のところ面白がられているだけだと思っていて、この先いつまでも小説家として居続けられるかは怪しいところがあると感じております。ですから、一作一作これで最後だと思って、丁寧に仕事を続けていくことが目標です。私の自己紹介はこんなところです。
九州の田舎に住んでいるので、なかなか皆様にお会いすることは難しいかと思いますが、今後とも、ご指導、ご鞭撻のほどをよろしくお願い致します。拙い自己紹介文を読んで戴き、まことにありがとうございました。