入会のご挨拶
この度、佐藤青南様と知念実希人様のご推薦を賜り入会致しました紅原香と申します。
推薦くださったお二方、そして事務局、理事会の方々へこの場を借りて厚くお礼申し上げます。
子供の頃から本を読むのが好きで、書庫代わりの小部屋で父の蔵書を読みふけっておりました。その中に父が古本屋で購入したと思われる小説雑誌が幾つかあり、星新一先生の「ボッコちゃん」の軽妙洒脱でありながらラストの崖に突き落とされるような絶望感におののき、栗本薫先生の「伊集院大介シリーズ」の匂い立つような色気に酔いしれたりと、今思うと贅沢な読書生活を送っていたなと思います。
何よりも小学校の図書室で出会った江戸川乱歩先生の著作には、多大な影響を受けました。ポプラ社から刊行されていた児童書版のおどろおどろしい表紙に惹かれて手に取った「蜘蛛男」。淫靡な空気が漂うその作風にすっかり魅せられてしまい、貪るように次々と先生の著作を読み続けました。
自分と同じ年代の子供たちが活躍する「少年探偵団」よりも、明智小五郎が単身で事件へ挑んでいく「明智小五郎シリーズ」を好んで読んでいました。妖しく猟奇的な雰囲気を味わいたかったのです。思えばこの時、私の嗜好が決定づけられたのでしょう。
大人になってからもその思いは変わらず、書店で先生の短編集を見かける度に買い求めました。中でも好きなのは「押絵と旅する男」「人でなしの恋」「芋虫」「人間椅子」等、挙げればきりがありません。
「こんな話を自分も書いてみたい!」と同人ゲームサークルを主宰し、館もののゲームを制作した事もあります。当時はプロットの作り方も分からず思いつくままにシナリオを書いてしまい、お粗末としかいいようがない作品になってしまったのですが。生まれて初めて完成させた、七万文字近くの長編となりました。
濃厚な人間ドラマを楽しめるのでミステリを読むのは好きなのですが、悲しいかな謎解きの能力はさっぱりで、探偵役の人物の考察を読んでから「よく分かるなあ!」などと感心してばかりです。
そんな自分が小説家になり、推理作家協会へ入会する事になろうとは。縁というのは不思議なものです。
「小説家になりたい!」と強い意志を持っていたわけではなく、ただ物語を作る事がやめられず、結果小説家になってしまいました。
ひとつの作品を書き上げるのは、決して楽しい事ばかりではありません。
先に書いたように私は同人ゲームサークルを主宰していて、シナリオを担当していました。会社に勤める傍ら、寝る間も惜しんでゲーム制作に励む日々。周りには文章を書いている仲間などおらず、今のようにネットでノウハウの収集も出来ません。プロットの作り方すら分からず手探りで書き続けていました。
今思うと社会で生きるのがあまりにも下手で、鬱屈を作品に託してどうにか吐き出そうとしていたのかもしれません。
苦労の末初めて完成させた作品は見向きもされず、その後リリースした何作かも酷評すら見かけない日々が続きました。もうこんな事はやめようと何度思った事か。高評価を受けている他の作品のレビューを見て歯がみし、嫉妬で気が狂いそうになるのは二度と経験したくないくらいに辛かったです。
創作活動を辞めたら、こんな苦しみから解放されるんじゃないだろうか。もういい年なんだし、いつまでも芽が出ないゲーム作りなんて辞めて、婚活なり転職活動なり始めるべきじゃないのか。
「この作品を作り終えたら、もう創作活動は辞めよう」
毎回新作を作っている最中は、そう考えていました。全てを出し切り、満足すればきっと解放されると。
でも、完成するともう「次はどんな話を書こう」と考えている自分がいました。そうして十年近く試行錯誤を繰り返し、作品を作り続けている間に、縁がありプロのゲームシナリオライターとしてデビューする運びとなりました。
どうやらこれは、ずっと書き続ける宿命にあるらしい。
そう感じました。やや厨二病っぽい言い回しですが。
そうして書く事を仕事にし、依頼を受けてひたすらに書き続けている中で不思議な巡り合わせに導かれ、今では小説を書いています。
「ミステリとは何か」と問われて答えられる程の知識は持ち合わせていないのですが、人間の『業』を味わえるところが魅力だと考えております。
ひとつの事件も見る角度を変えれば、全く違うものになる。登場人物たちが織りなす多面体の物語に惹かれてやみません。
いつか自分もそんな作品を書いてみたいと夢想しつつ、試行錯誤を繰り返しております。
現実はなかなか厳しく、明日の事も分からないような状況なのですが。
それでもやはり、物語を綴って生きて行きたいとあがいています。
まだまだ未熟者ではございますが、皆様どうぞよろしくお願いいたします。
推薦くださったお二方、そして事務局、理事会の方々へこの場を借りて厚くお礼申し上げます。
子供の頃から本を読むのが好きで、書庫代わりの小部屋で父の蔵書を読みふけっておりました。その中に父が古本屋で購入したと思われる小説雑誌が幾つかあり、星新一先生の「ボッコちゃん」の軽妙洒脱でありながらラストの崖に突き落とされるような絶望感におののき、栗本薫先生の「伊集院大介シリーズ」の匂い立つような色気に酔いしれたりと、今思うと贅沢な読書生活を送っていたなと思います。
何よりも小学校の図書室で出会った江戸川乱歩先生の著作には、多大な影響を受けました。ポプラ社から刊行されていた児童書版のおどろおどろしい表紙に惹かれて手に取った「蜘蛛男」。淫靡な空気が漂うその作風にすっかり魅せられてしまい、貪るように次々と先生の著作を読み続けました。
自分と同じ年代の子供たちが活躍する「少年探偵団」よりも、明智小五郎が単身で事件へ挑んでいく「明智小五郎シリーズ」を好んで読んでいました。妖しく猟奇的な雰囲気を味わいたかったのです。思えばこの時、私の嗜好が決定づけられたのでしょう。
大人になってからもその思いは変わらず、書店で先生の短編集を見かける度に買い求めました。中でも好きなのは「押絵と旅する男」「人でなしの恋」「芋虫」「人間椅子」等、挙げればきりがありません。
「こんな話を自分も書いてみたい!」と同人ゲームサークルを主宰し、館もののゲームを制作した事もあります。当時はプロットの作り方も分からず思いつくままにシナリオを書いてしまい、お粗末としかいいようがない作品になってしまったのですが。生まれて初めて完成させた、七万文字近くの長編となりました。
濃厚な人間ドラマを楽しめるのでミステリを読むのは好きなのですが、悲しいかな謎解きの能力はさっぱりで、探偵役の人物の考察を読んでから「よく分かるなあ!」などと感心してばかりです。
そんな自分が小説家になり、推理作家協会へ入会する事になろうとは。縁というのは不思議なものです。
「小説家になりたい!」と強い意志を持っていたわけではなく、ただ物語を作る事がやめられず、結果小説家になってしまいました。
ひとつの作品を書き上げるのは、決して楽しい事ばかりではありません。
先に書いたように私は同人ゲームサークルを主宰していて、シナリオを担当していました。会社に勤める傍ら、寝る間も惜しんでゲーム制作に励む日々。周りには文章を書いている仲間などおらず、今のようにネットでノウハウの収集も出来ません。プロットの作り方すら分からず手探りで書き続けていました。
今思うと社会で生きるのがあまりにも下手で、鬱屈を作品に託してどうにか吐き出そうとしていたのかもしれません。
苦労の末初めて完成させた作品は見向きもされず、その後リリースした何作かも酷評すら見かけない日々が続きました。もうこんな事はやめようと何度思った事か。高評価を受けている他の作品のレビューを見て歯がみし、嫉妬で気が狂いそうになるのは二度と経験したくないくらいに辛かったです。
創作活動を辞めたら、こんな苦しみから解放されるんじゃないだろうか。もういい年なんだし、いつまでも芽が出ないゲーム作りなんて辞めて、婚活なり転職活動なり始めるべきじゃないのか。
「この作品を作り終えたら、もう創作活動は辞めよう」
毎回新作を作っている最中は、そう考えていました。全てを出し切り、満足すればきっと解放されると。
でも、完成するともう「次はどんな話を書こう」と考えている自分がいました。そうして十年近く試行錯誤を繰り返し、作品を作り続けている間に、縁がありプロのゲームシナリオライターとしてデビューする運びとなりました。
どうやらこれは、ずっと書き続ける宿命にあるらしい。
そう感じました。やや厨二病っぽい言い回しですが。
そうして書く事を仕事にし、依頼を受けてひたすらに書き続けている中で不思議な巡り合わせに導かれ、今では小説を書いています。
「ミステリとは何か」と問われて答えられる程の知識は持ち合わせていないのですが、人間の『業』を味わえるところが魅力だと考えております。
ひとつの事件も見る角度を変えれば、全く違うものになる。登場人物たちが織りなす多面体の物語に惹かれてやみません。
いつか自分もそんな作品を書いてみたいと夢想しつつ、試行錯誤を繰り返しております。
現実はなかなか厳しく、明日の事も分からないような状況なのですが。
それでもやはり、物語を綴って生きて行きたいとあがいています。
まだまだ未熟者ではございますが、皆様どうぞよろしくお願いいたします。