新入会員紹介

新入会員挨拶

碧貴子

 初めてご挨拶いたします。新入会員の碧貴子と申します。
 このたびは、佐藤青南様と和泉桂様のご推薦を賜りまして、伝統ある日本推理作家協会に入会させていただきました。
 お忙しい中ご尽力くださいましたお二方には、この場を借りて厚く御礼申し上げます。誠にありがとうございました。
 それにしても、こうして今、かの有名な日本推理作家協会の会員として皆様にご挨拶していることが、未だに信じられない気分です。そもそも自分が物を書く人間になるとは思いもよらず、小中高大学と、感想やレポートの類はいかに手を抜いて文字数を稼ぐかということに腐心していたのが、今となっては嘘のようです。
 人生には様々岐路があるかと思いますが、まさかこんな道に出るとは。
 しかしながら振り返ってみると、いつの間にか自分でも気付かぬうちに思いもよらない道や場所に迷い込むというのは、私にとっては子供の頃からよくある出来事だったように思います。
 幼少期、私は母方の祖母の家に住んでいました。祖母の家は、屋敷の南北に庭があり、東西の境界は槙の垣根で隣の家と仕切られていました。この東側の隣家との境界に、大人一人が通れるくらいの狭い小道があったのですが、その小道にもう一つ、槙の垣根の間に、小さな子供一人がようやく通れるくらいのトンネルのような道があり、その道は私のお気に入りの道でした。
 そんなある日、近所に同い年の女の子が越してくるということを両親から聞いた私は、その子が越してくる日が楽しみでならず、毎日を指折り数えて待っていました。
 しばらくすると、家の外に大きな車が何台もやってきて、毎日大工の男衆が賑やかに作業をしていきます。家の土台が作られて、棟上げがされて、どんどん家の形になっていきます。でも、その女の子には会えません。両親や祖父母に、いつ会えるのだと聞いても、まだまだ先だよと言われるばかりで、一向に会える気配はありません。さらには危ないからと、建設中の女の子の家に近寄らせてもらえなくなりました。
 ついに待ちきれなくなった私は、一人で女の子の家を訪ねることにしたのです。
 もちろん、一人で外には出してもらえません。それに、まだ幼い私の面倒を見るために、いつも誰かしらが側にいます。だから私は、家族の中では比較的私に甘い曾祖母と一緒の時に、鬼ごっこをして遊んでいる振りをして、槙の垣根の間にある小道に向かいました。
 トンネルと言っても、葉擦れから光が差し込むそこは明るく、腰を屈めて緑の隧道を進むのは探検をしているかのようで心が躍ります。最後、四つ這いになって狭い部分を抜ければ、そこはもう家の外です。結果、突然いなくなった私を探して、家は大騒ぎになりました。
 あまり怒られた記憶はないのですが、代わりにどうやって家の外に出たのかをしつこく聞かれたのは覚えています。
 ところが聞かれる度、正直に槙の垣根の間にあるトンネルを抜けたのだと話すのですが、何故か大人は首を傾げるばかりです。東の家との境界に植えられた槙の垣根の間には、たとえ小さな子供といえど、人が通れるような道はないと言うのです。
 実際、母親と一緒にトンネルの入り口に行きましたが、いつもはあるはずの入口が、どういうわけか見当たりません。みっしりと重く枝葉が生い茂った濃緑の垣根は、猫ですら通れそうにありません。
 それでもトンネルがあるのだと主張する私に、しまいには母親も、諦めたように首を振ってその話は終わりになりました。
 確かにでもそのトンネルは、実は、いつも見つけられるわけではなかったのです。これまでも、その後も、ある時もあればない時もあるのです。
 加えて、いつも同じ場所に出るわけでもありません。出口があるときもあれば、ない時もあるし、外に出られる時もあれば、逆にまた家の敷地の中に出ることもあります。そして私が成長してからは、いつしかその道を見つけることはできなくなってしまいました。
 子供の頃は特段不思議には思わなかったのですが、おかしいなと気付いたのは、大人になってからです。
 つい最近、ふと思い出したのですが、そういえば槙の垣根のトンネルもそうですが、垣根のすぐ側にある白壁の落書きも、ある時とない時があったなと思い出したのです。
 何を思ってそんなことをしたのかは忘れてしまいましたが、私が母親の口紅を持ち出して描いた大きな人の顔の落書きが、その白壁にはありました。口紅はなかなか落ちないものなのですね、私が大人になっても残っていたその落書きですが、子供の頃、何故か時々壁が真っ白になっている時があったことを思い出したのです。加えて、「落書きがなくなっていたよ、綺麗にしたの?」と母親に聞いて、何回か怒られたことも。
 でも子供の頃は、怒られても首を捻るばかりで、もしかしたら家の別の場所と勘違いしているのかもしれないと思っていました。というのも、祖母の家はとても広かったのです。
 子供の頃の記憶は曖昧で、もしかしたら私が勘違いしているだけかもしれません。それに、生きた槙の垣根ですから、成長して道が塞がってしまった可能性もあります。
 けれども、当時、何処からも外に出られるはずがないのに私が家を抜け出して、まだ建設中の近所の女の子の家の前で万歳三唱をしていたことは事実です。親戚が集まるたびに、笑い話としてその話題が出されていたくらいですから。
 槙の垣根のトンネルのように、一度行ったはずなのに見つけられない道、何故かいつも違う場所に出てしまう道といった記憶が、私にはいくつもあります。ほとんどが子供の頃の記憶ですが、大人になってからも少なからずあります。
 何とも不思議なことですが、どうやら自分は、自分でも気付かぬうちに、思いもかけない道を行く運命にあるのかもしれません。
 後は、今行くこの道の先が、明るく、幸いに満ちていることを祈るばかりです。