入会のご挨拶
第二十五回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞し、『青い雪』でデビューした麻加朋と申します。この度は日本推理作家協会に入会させていただきありがとうございます。
私は東京で生まれ、これといった特技もなく、引っ込み思案で、本を読むのが好きな子どもでした。小中学校と平凡に過ごし、華々しい青春の冒険などもなく、高校時代に出会った人と結婚をして、二人の子どもを育てました。
と自分語りを始めてみましたが、特筆すべき悲劇も喜劇もないこれまでの人生です。さらりと話は終わってしまいそうです。さてどうしようと悩んだ末に、自己紹介ではなく他己紹介に頼ることにしました。
客観性を重視するという言い訳のもと、近しい人にコメントを募り、私の紹介を委ねたいと思います。
まずは友人から。
「子どもが一歳になる前からの長い付き合いになります。もうかれこれ三十年ですね。末っ子キャラで、ママ友の間では、つい面倒をみてあげなくちゃ、と思わされる人です。実際、失敗も多いし。幼稚園の発表会のとき、半袖のブラウスと言われてたのに長袖を持ってきて、泣きべそをかく子どもに『袖をまくれば大丈夫』と言ってるのを見ました。先生が見かねて予備のブラウスを貸してくれて、事なきを得ましたけど」
あのときは「大丈夫」と言いながら、実は焦りまくって私も泣きたい気持ちでした。自分ではしっかりしているつもりでも、肝心なことを聞き逃すところは確かにありますね。
次はそのとき泣きべそをかいていた娘。
「母は大人しくて控えめな人だとずっと思っていました。私が生まれる前、八百屋さんで買いたい物をお店の人に伝えるのもまごついていたと父から聞いたことがあります。でも最近はサッカー観戦や観劇など趣味を楽しむようになって、本当は好奇心が強くて活発な人だったんだと感じるようになりました。私自身、どちらかというと控えめな部分もあるけど、これから先、自分もそうなれるとしたら楽しみだなぁと思います」
八百屋での出来事は、少し違って伝わっているようです。結婚して間もない頃、店先でキャベツを選んでいると「そんなにいじっちゃ駄目だよ」と、おじさんに怒られ泣いて帰ったというのが真実です。それ以来、そのお店には行けなくなりました。今考えると情けない話です。
続いて母。
「小さい頃から賢くて、学校の成績もよかったですよ。算数も国語もね。大人しくて可愛くて。家庭訪問でも先生に褒められました。親に逆らうこともなく、本当にいい子でした。ご近所でも……」
親馬鹿が過ぎるので、これ以上はやめておきます。
締めは、夫に頼みます。
「妻をひと言で表すと『無欲』が一番ピッタリです。知り合ってからこれまで、とても長い付き合いになりますが、何かが欲しいと言われた記憶がありません。人に対しても常に受け身で、承認欲求などもないように感じています。何事にも執着しない。極めつけは、十年前に妻の病気が見つかった時、おろおろしている私に笑顔で言いました。
『私はいつも、今が一番幸せ、と思っているから、いつ死んでも悔いはない』
妻の芯にある、清々しいまでの強さを感じた瞬間でした。弱音も吐かず病に打ち勝ったのも見事でした」
無欲……。そんな風に思われていたとは知りませんでした。
振り返ってみれば、確かに流されるままに身を任せ、緩やかに生きていました。
それが自分らしいと思っていました。小説を書き始めるまでは……。
五年前、ひょんなきっかけで小説の新人賞に応募してから、私は一変しました。
授賞したい。面白い物語を書きたい。褒められたい。とてつもなく「強欲」な人間に生まれ変わったのです。夫は私が変わったことに、まだ気づいていない。
私の変貌は我が家の小さなミステリーなのかもしれません。
穏やかに生きていた「無欲」な私と、目覚めてしまった「強欲」な私。どちらが本来の自分なのかわかりませんが、幸運にも目の前に道が開けました。
こうなったら、「まだまだ死ねない」と、欲深い人生を歩む決意で、この道へ踏み出します。
改めまして、伝統ある日本推理作家協会の会員に迎えていただきましたことに感謝申し上げます。
皆様、末永くどうぞよろしくお願いいたします。
私は東京で生まれ、これといった特技もなく、引っ込み思案で、本を読むのが好きな子どもでした。小中学校と平凡に過ごし、華々しい青春の冒険などもなく、高校時代に出会った人と結婚をして、二人の子どもを育てました。
と自分語りを始めてみましたが、特筆すべき悲劇も喜劇もないこれまでの人生です。さらりと話は終わってしまいそうです。さてどうしようと悩んだ末に、自己紹介ではなく他己紹介に頼ることにしました。
客観性を重視するという言い訳のもと、近しい人にコメントを募り、私の紹介を委ねたいと思います。
まずは友人から。
「子どもが一歳になる前からの長い付き合いになります。もうかれこれ三十年ですね。末っ子キャラで、ママ友の間では、つい面倒をみてあげなくちゃ、と思わされる人です。実際、失敗も多いし。幼稚園の発表会のとき、半袖のブラウスと言われてたのに長袖を持ってきて、泣きべそをかく子どもに『袖をまくれば大丈夫』と言ってるのを見ました。先生が見かねて予備のブラウスを貸してくれて、事なきを得ましたけど」
あのときは「大丈夫」と言いながら、実は焦りまくって私も泣きたい気持ちでした。自分ではしっかりしているつもりでも、肝心なことを聞き逃すところは確かにありますね。
次はそのとき泣きべそをかいていた娘。
「母は大人しくて控えめな人だとずっと思っていました。私が生まれる前、八百屋さんで買いたい物をお店の人に伝えるのもまごついていたと父から聞いたことがあります。でも最近はサッカー観戦や観劇など趣味を楽しむようになって、本当は好奇心が強くて活発な人だったんだと感じるようになりました。私自身、どちらかというと控えめな部分もあるけど、これから先、自分もそうなれるとしたら楽しみだなぁと思います」
八百屋での出来事は、少し違って伝わっているようです。結婚して間もない頃、店先でキャベツを選んでいると「そんなにいじっちゃ駄目だよ」と、おじさんに怒られ泣いて帰ったというのが真実です。それ以来、そのお店には行けなくなりました。今考えると情けない話です。
続いて母。
「小さい頃から賢くて、学校の成績もよかったですよ。算数も国語もね。大人しくて可愛くて。家庭訪問でも先生に褒められました。親に逆らうこともなく、本当にいい子でした。ご近所でも……」
親馬鹿が過ぎるので、これ以上はやめておきます。
締めは、夫に頼みます。
「妻をひと言で表すと『無欲』が一番ピッタリです。知り合ってからこれまで、とても長い付き合いになりますが、何かが欲しいと言われた記憶がありません。人に対しても常に受け身で、承認欲求などもないように感じています。何事にも執着しない。極めつけは、十年前に妻の病気が見つかった時、おろおろしている私に笑顔で言いました。
『私はいつも、今が一番幸せ、と思っているから、いつ死んでも悔いはない』
妻の芯にある、清々しいまでの強さを感じた瞬間でした。弱音も吐かず病に打ち勝ったのも見事でした」
無欲……。そんな風に思われていたとは知りませんでした。
振り返ってみれば、確かに流されるままに身を任せ、緩やかに生きていました。
それが自分らしいと思っていました。小説を書き始めるまでは……。
五年前、ひょんなきっかけで小説の新人賞に応募してから、私は一変しました。
授賞したい。面白い物語を書きたい。褒められたい。とてつもなく「強欲」な人間に生まれ変わったのです。夫は私が変わったことに、まだ気づいていない。
私の変貌は我が家の小さなミステリーなのかもしれません。
穏やかに生きていた「無欲」な私と、目覚めてしまった「強欲」な私。どちらが本来の自分なのかわかりませんが、幸運にも目の前に道が開けました。
こうなったら、「まだまだ死ねない」と、欲深い人生を歩む決意で、この道へ踏み出します。
改めまして、伝統ある日本推理作家協会の会員に迎えていただきましたことに感謝申し上げます。
皆様、末永くどうぞよろしくお願いいたします。