新入会員紹介

日本推理作家協会入会ご挨拶

青木杏樹

 二〇二一年に舞台俳優の光と闇を描いた短編「名もなきアンサンブル」で第十九回北区内田康夫ミステリー文学賞審査員特別賞を受賞し、このたび、日本推理作家協会の末席に加えていただきました青木杏樹と申します。
 学生時代から現在も、細々と犯罪心理学を研究しておりまして、動機に特化したサスペンス・ミステリを中心に執筆しております。
 SF研究家・星敬の創作ゼミの門を叩いたのは十八歳のときです。実はそのころ小説家になりたいとは思っていませんでした。幼いころからゲームが大好きで、わたくしはゲームのシナリオライターになりたいと考えていたのです。しかし就職を切望していたゲーム会社が倒産し、わたくしの夢はそこで一旦潰えました。
 わたくしの両親は子の『幸せ』を第一に思い、まず安定した職に就くことを望みました。二十代半ばには結婚をして、子をもうけ、あたたかい家庭を持って欲しいとも言っていました。親戚からはお見合い話をたくさんいただきました。誰かに愛されて、それに応える人生。わたくしも当時はそれが普通の『幸せ』だと信じて疑いませんでした。
 ですが人生はそう甘くはありませんでした。やることなすこと、なにひとつうまくいかなかったのです。価値観をひっくり返されたような挫折を味わいました。
 それでも『幸せ』を掴もうと鼓舞し、身を粉にして働いたつもりでした。ゴミだカスだと罵倒されながら毎日通勤しました。ブラックな社会と、複雑で難解な人間関係にも苦しみました。他人を傷つけ、他人から傷つけられ、生きていくことにさえ息苦しさを覚え始めたころ、わたくしは(生きるとは水槽の中で溺れ続けることに近い)と思っていました。新宿駅のつんとした臭いに目がしみたと思ったらぼろぼろ泣きくずおれてしゃがみ込み、そのまま終電を逃していました。両親が言うところの『幸せ』をひとつもつかめていない自分があまりにも惨めで愚かに感じたのです。……いまにして思えば親の期待に応えられない子であることがつらかったのだと思います。
 またたくまに自死を意識するようになりました。どうやったら誰にも迷惑をかけずに―特に両親に―死ねるのかと三六五日二十四時間、それこそ四六時中考えるようになり、約五年ほど自分に凶器を突き刺す毎日を送りました。
 やがて身体を壊しました。職も失いました。貯金も底をつきました。恋人も、友人も、かつての仕事仲間たちも離れていき、すべての信頼を失ってわたくしはひとりになりました。両親からの電話には出ず、スマートフォンが震えるのも億劫で着信拒否をしました。
 そうだ、遺書を書こう。死ぬ理由を残そう。わたくしは静かな闇の中で日記を書くようになりました。ただただ万年筆を動かし文字を書き連ねるのは、水面に浮かんだまま遺書を書いているような気分でした。自分の物語を書いていくうちに、なんとなく履歴書が書けるような気がしてきました。
 そしてわたくしはKADOKAWAさんにあるヤバいものを送ったのです。
―なんかヤバいやつが、ヤバいものを送ってきた。
―おもしろそうだ、なにか書かせよう。
 おそらく編集部ではそんなやり取りが交わされたことでしょう。奇妙なすれ違いから『ヘルハウンド 犯罪者プロファイラー・犬飼秀樹』でデビューすることになりました。わたくしにとって恥であった人生のすべてが、飯を食っていくための素材となったのです。
 フィクションとはいえ人の死をエンタメにすることに戸惑いはありましたが、自分に向け続けていた無数の凶器が、登場人物たちの架空の狂気となって物語が生まれて出ていきました。それでも地の底まで落ちた自己肯定感は浮上することはありませんでした。
 これが遺作になると、常に思っていました。
 両親に印税というささやかな親孝行ができるとも思いました。
 それぐらいしかわたくしには『幸せ』は見えなかったのです。
「杏樹さんの作品に救われました」
 ある日届いた読者さんからの一通の手紙で、ようやくわたしは生きていていいのではないかと感じ始めました。きっとそのあたりからすこしずつ呼吸が楽になったように思います。
 それから第十九回北区内田康夫ミステリー文学賞審査員特別賞をいただいたときに、やっと両親に小説家をやっていることを伝えました。叱られると思いましたが、反対されることはありませんでした。いまは実家の父の部屋にそのときいただいた賞状が飾ってあるそうです。わたくしに期待をしていたぶん思うところはあることでしょう。両親にはただただ申し訳ないと思います。十八歳のときに星敬と出会ったときに、もうこの未来は決まっていたのかもしれません。物書きになりたいと―もっと早く言えばよかった、もっと早く心を決めればよかったと思います。
 これからもずっと両親が望む『幸せ』―すなわち期待には応えられないかもしれませんが、いまはわたくしの綴る狂気が、誰かを傷つける凶器となる前にエンタメとして消化されればいいと願っています。
 長くなりましたが、自己紹介も含め、これにてご挨拶とさせていただきます。
 星敬から譲り受けた万年筆で原稿を書く古風な物書きですがパソコンは使えます。手書きの原稿は送りません。どろどろしたものを書いていますが意外とふわふわしていて気さくな人間だと思います。各社ご安心ください。
 最後に、佐藤青南様と鷹樹烏介様からご推薦を賜り、伝統ある日本推理作家協会に入会させていただけましたことを心より御礼申し上げます。お気軽に「杏樹」とお呼びください。皆様、何卒よろしくお願い致します。