連城さんへの追悼文に代えて
竹本健治
先日お亡くなりになった連城三紀彦さんへの追悼文を依頼されたのだが、既に「ジャーロ」にそのようなものを寄稿し、さらにそのなかで「連城さんも僕からの追悼めいたことは聞きたくもないだろう」とも書いたので、ここではひとつの参考資料として、連城さんが「幻影城」時代に書いた「影の会通信」を提供しようと思う。
前置きとして少々説明しておくと、かつて「幻影城」という探偵小説専門誌があり、僕も連城さんもその雑誌からデビューした。新人賞の一期生に泡坂妻夫さんや田中文雄さん、二期生に栗本薫さんや友成純一君、三期生に連城さんや田中芳樹さんがいて、僕は新人賞とは別ルートでデビューしたものの、時期的に二期生扱いだった。
そうした「幻影城」でデビューした新人たちで「影の会」というのが作られ、母体である「幻影城」の廃刊後もしばらく続いた。ただ時折り集まって飲み食いしながらワイワイ語りあうだけの会だが、当時はまだ学生の身である僕には、上から下まで四十ほども幅のある年齢や、それぞれの社会的地位も関係なく、ただミステリが好きというだけで気兼ねなくおつきあいできるこの空間はとても貴重なものだったと改めて思う。
そしてその「影の会」での唯一のノルマが、会員が回り持ちで責任編集を受け持つ「影の会通信」という機関紙の発行だった。
「影の会通信 July 第?号 名古屋落ちこぼれ部落版
暑中お見舞い申しあげ、といいたいところですけれど見舞われたいのはボクも同じで、名古屋は連日の猛暑、サウナ代は助かるけれどいい加減、頭にクル、ワァ~~~~~と叫んでいるこの悲鳴、さい涯ての地にお住まいの方々まで届きましたでしょうか? さて今月の通信係は先月(6月)の先天性常識欠落児に続き、夢みる30才連城三紀彦めがアイツトメマス。小心なワリに大きな字しか書けませんこと、先ずはお詫び致しまして。
ええ──7月15日(土)、原宿駅前南国酒家なる中華料理店で、栗本薫さんの(もちろん乱歩賞受賞の)お祝い会は開かれたことは、麻田さん(幹事)の前似っての通知で出席できなかった方々もご存じと思います。北のさい涯て県からはるばる駆けつけられた加藤公彦さん、大阪から美しい御夫人同伴の竹谷さん他、20名近く集まり、栗本さんの生まれて初めて(?)の涙は見られませんでしたけれど、全員の漫才、じゃなく萬才三唱で無事閉会となりました。栗本さんは先月の通信でも常識欠落児が書いているとおり、いたってクールで、むしろ村岡さん、宮田さん等、老ガキ派(?)の方々がはしゃいでおられる容子でした。
それから席上、麻田氏より、NHKで小説を募集するという話が出ました。原稿用紙200~300枚程度、NHK風の健全なサスペンスが良いとのこと(例えばウールリッチ風)。詳細はたぶんテレビで発表されると思いますけれど挑戦なさりたい方はどうぞ。
そのNHKの早朝ラジオ番組「早起き鳥」で、泡坂さんが、探偵小説の作法と題して語ります。S氏も御本人も推薦しておられますから、早起き鳥または遅寝鳥の方は必聴といいたいのですけれど、もう放送日を過ぎてしまったかも知れません、でもいつかG誌上で発表されるらしいですから、乞御期待。
それからそれから、あまりに腹立たしくて書きたくもないのですが、だからやっぱり書きませんけれど、チクショー、N賞は上手な作文コンクールなのか! でも、泡坂さん、もちろん他の会員の方々も下半期目指してガンバって下さい。」
実はこのあと、「暴露 竹本健治の新婚生活の実態!」という虚実こきまぜた芸能記事ふうの欄が続き、連城さんの真価はそこでこそ発揮されているのだが、長くなるし、いささか楽屋落ちにも過ぎるのでこの際割愛するとして、
「では皆様、まだまだ続きそうなこの酷暑、無事に生き抜いて下さい。来月は李家クンがテラ星171分区MEJIROより発信します。よろしく。
※私的事情で発信が遅れましたことお許し願います。これは7月分です。」
と、締め括られている。なお、文中で「先天性常識欠陥児」と書かれているのは僕のこと。当時、僕と友成君、佐藤齋さんの三人がS氏に「非常識三人組」と称ばれていたのが踏まえられている。
僕自身、読み返してとても懐かしいし、デビューまもない時期の連城さんの生き生きした息遣いを伝えるものとして貴重かと思い、公表させて戴いた次第。「こんなモノ出しちゃイカンがぁ」と膨れっ面する連城さんの顔が眼に浮かぶようだが、
まあ、そこはそれ。ね? 連城さん。