新入会員紹介

新入会員挨拶

大谷睦

 二〇二一年に第二十五回日本ミステリー文学大賞新人賞を『クラウドの城』(二〇二二年二月刊)で受賞し、このたび、日本推理作家協会の会員に加えていただきました大谷睦と申します。
 曲折の多い人生を辿ってきました。
 海渡英祐先生、若桜木虔先生、有栖川有栖先生の小説講座で学び、受賞時五十九歳と遅咲きデビューです。
 現在、北海道と内地で二拠点生活(デュアルライフ)を送り、本格と社会派ミステリー、ハードボイルドの融合を目指した作品を書き続けております。
 そんな私にとって、レイモンド・チャンドラー(一八八八―一九五九、七十歳没)は、多分に意識する大先達の一人です。
 チャンドラーは、実に不思議な作家です。米シカゴ生まれ。一九〇〇年、母と共に英ロンドンに渡り、一六一九年創立の名門パブリックスクール、ダリッチ・カレッジに学ぶも、大学には進学せず。
 卒業後はパリ、ミュンヘンで語学を学んだ後、英海軍本部に奉職。
 だが、半年で退職。ロンドンのタブロイド紙「デイリー・エクスプレス」の記者となり、夕刊紙「ウェストミンスター・ガゼット」や週刊誌「アカデミー」の寄稿者にもなりました。
 つまり、チャンドラーは、母語こそアメリカ英語ですが、教養人のイギリス英語の使い手でもあるのです。これはレアケースです。
 英国生まれの米国の作家は「炎の英雄シャープ・シリーズ」のバーナード・コーンウェル(一九四四―)をはじめ、植民地時代から数多くいたでしょう。しかし、その逆、米国生まれの英国の作家は、浅学にしてチャンドラーと『ねじの回転』(一八九八)のヘンリー・ジェイムズ(一八四三―一九一六、七十二歳没)しか存じ上げません。
 チャンドラーの文体はイギリス・フレーバーのアメリカ英語と申しますか、日本語のネイティブスピーカーには極めて厄介です。
 一説に、イギリスの小説は、米国の小説に比べて難解と聞きます。「同じ翻訳料では割に合わない」と冗談を口にする翻訳者もいます。
 私自身、初めてチャンドラーの原書を手にしたとき、簡単なのに難解な文章に驚きました。
 一例を挙げましょう。初期の短編“Finger Man”(一九三四)の導入部です。

 Fenweather, the D.A., was a man with severe, chiseled features and the gray temples women love.

 フェンウェザー首席検事はシビアな男だった。彫りの深い顔立ちに、女性好みのグレーのもみあげを持っていた。(大谷訳)

 アメリカ英語風のシンプルな構文に“a man with severe(直訳・酷い男)”“the gray temples women love(女性が好むグレーのこめかみ)”とイギリス人らしい独特の皮肉っぽい表現がのっかっています。
 そもそも「フィンガーマン」というタイトルからして難解です。翻訳者・田中融二氏(一九二六―九八、七十一歳没)は「指さす男」(一九六〇)と訳しましたが。
 チャンドラーはまた遅咲きの作家でもありました。
 チャンドラーの文筆生活は一九〇八年十二月、二十歳のときに「アカデミー」誌で発表した詩「アンノウンラブ」が始まりです。その後、チャンドラーは同誌で書評やエッセーを書き続け、一九三三年十二月、パルプマガジン「ブラックマスク」で初の中編小説「脅迫者は射たない」を発表しました。チャンドラー四十五歳のときです。
 すなわち二十五年をかけて、詩人→書評家→小説家と大きく旋回した稀有のコースです。
 さらに一九三九年二月六日、私立探偵フィリップ・マーロウが初めて登場する第一長編『大いなる眠り』がニューヨーク市のアルフレッド・A・クノップ社から刊行されました。
 一八八八年七月二十三日生まれのチャンドラーは、五十歳六カ月十四日にして実質デビューを果たしました。
 それだけでも、五十九歳デビューの私が、やはり曲折の多い人生のチャンドラーを大いに敬愛、私淑する理由がお分かりでしょう。
 しかも、口幅ったいですが、ハードボイルドというジャンルが重なっています。
『大いなる眠り』の成功で、チャンドラーは米カリフォルニア州に四カ所の住居を持つに至りました。
 夏季は山あいの景勝地ビッグベアと海沿いのアイディルワイルドのキャビン、冬季はカテドラルシティーと、サンディエゴ市の高級住宅地ラホヤのアパートメントを借りて、暮らし始めました。
 このうち、ラホヤはチャンドラーが終生暮らし、亡くなった街でもあります。
 十八歳上の妻シシーことパール・ユージニー(一八七〇―一九五四、八十四歳没)の闘病のためでもありましたが以後、チャンドラーはもっぱらラホヤで、約一〇二マイル(一六四キロ)離れたロサンゼルスが舞台のフィリップ・マーロウ物を執筆し続けました。
 私にとって、何とも励まされ、勇気づけられる教えです。

・作家は、たとえ地方に住んでいても、大都会が舞台の小説を書き続けられる。

・作家は、たとえ五十歳すぎのデビューでも、傑作を物せられる。

・すなわち、距離と時間のハンディは、作家にとって問題ではない。

 偉大なる先人に一歩でも近づけるよう、精進を重ねてゆきたいと思います。
 以後、よろしくお願い申し上げます。