日々是映画日和

日々是映画日和(143)――ミステリ映画時評

三橋曉

 ヌーヴェル・ヴァーグを代表する作品の一つ、ゴダールの『気狂いピエロ』(1965年)の話題が、映画ファンばかりか、ミステリ読者の間で盛り上がっている。というのも、映画の日本公開から五十七年、原作小説がやっと陽の目を見たからだ。〝昔、ポケミスで出てたよね?〟との声も聞こえてきそうだが、実はジョヴァンニの「気ちがいピエロ」は別作品で、あちらはアラン・ドロン主演で『友よ静かに死ね』として映画化されている。ややこしいことこの上ないが、今回新潮文庫に入った『気狂いピエロ』(矢口誠訳)は、ライオネル・ホワイトの未訳作「Obsession」(1962年)の翻訳で、映画にクレジットこそないが、同作をもとにゴダールが即興的に撮ったと言われている。映画の方も、4Kとなった『勝手にしやがれ』と共に現在2Kレストア版が公開中だ。原作と比較鑑賞するいい機会だろう。

 フィンランドの新鋭ハンナ・ベルイホルム監督の『ハッチング 孵化』は、四人家族の一家団欒にカラスが迷い込んでくるという珍事から始まる。母親(ソフィア・フェイッキラ)の無慈悲な対応に衝撃を受ける長女(シーリ・ソラリンナ)だったが、その数日後、森の中で死にかけたカラスを見つけ、迷いながらもとどめを刺す。その際に傍の巣の中に小さな卵を見つけ、持ち帰ると、不可解な出来事が少女を襲い始める。
 怪鳥のクリーチャーまで登場するホラー仕様だが、支配的な愛情を注ぐ母親とその娘の成長の苦しみを描いた作品だろう。卵は孵化し、やがてもう一人の少女を生み出すが、次々巻き起こる凶事に追い詰められ、悩み苦しむ少女の姿が克明に描かれていく。歪なドッペルゲンガーの物語は、やや唐突ともいえるエンディングで幕を下ろすが、残酷な母と子の陥りがちな摂理を暗示したものだと思う。(★★1/2)*4月15日公開

『オールド・ボーイ』で、悪役ユ・ジテの若き日を演じてデビューした人気者のユ・ヨンソクが、ウクライナ出身の国際派オルガ・キュリレンコを迎えた『バニシング 未解決事件』は、ソウルで身元不明の変死体が見つかるところから始まる。刑事のジノは、偶々シンポジウムでこの国を訪れていた法医学の権威アリスに協力を要請すると、彼女の見事なメスさばきにより腐乱死体から指紋を採取することに成功、さらに腕の傷から事件の裏には臓器移植の陰謀が絡んでいることが暴かれる。しかし事件の闇は、意外にも身近な人物を巻き込んでいた。
 ソウルの町が舞台だし、登場人物はヒロインを除くと韓国人ばかりなのに、韓国映画特有のエグ味が希薄なのは韓仏合作のグローバル・プロジェクト作品だからか。監督は『譜めくりの女』というサスペンス映画の佳作を撮っているドゥニ・デルクール。事件の縦糸に対する、刑事と法医学者の恋愛という横糸もどこか軽やかで、アリスが捜査に手を貸す経緯こそ杜撰な穴もあるが、事件の全体像は端正で新鮮な印象を残す。いつものコリアン・ノワールとはひと味違う肌合いを楽しみたい。(★★★)*5月13日公開

 原作は櫛木理宇の同題作『死刑にいたる病』。沼田まほかるの『彼女がその名を知らない鳥たち』や、原作を離れてサイコロジカルスリラー色を盛り込んだ『狐狼の血 LEVEL2』を撮った白石和彌の監督作だ。十代後半の少年少女をいたぶっては屠る連続殺人犯に死刑判決が下った。しかし立件された多数の事件に冤罪が含まれていることを不服に控訴を準備中の殺人犯から、大学生の岡田健史に手紙が届いた。二人の繋がりは、パン屋の店主とかつてそこに通った常連客でしかなかったが、事件を調べ始めた岡田は、自らの出自が獄中の男と無縁ではない可能性に行き当たる。
 殺人犯を演じる阿部サダヲという怪優ありきの作品ではあるが、獄中のシリアルキラーが繰り広げる遠隔誘導と、それが巻き起こす波紋を巧みに描いてみせる。細部において若干の端折りや改変もあるものの、基本的には原作に忠実で、不気味でおぞましい真犯人の悪意を増幅させるラストまで息をもつかせない。プロットの根幹に関わる頼りない母親を演じる中山美穂も地味ながら好演だと思う。(★★★)*5月6日公開

『ナイル殺人事件』と同様、2020年秋には完成していたものの、長引くコロナ禍で度重なる公開延期を余儀なくされ、結局はネット配信となった『底知れぬ愛の闇』は、パトリシア・ハイスミスの「水の墓碑銘」を映画化したものである。美しい妻とおしゃまな娘との三人家族で、金銭的にも不自由ない暮らしを送るベン・アフレックの悩みの種は、性的に奔放な妻アナ・デ・アルマスの男癖の悪さだった。あの手この手で男たちを追い払うが、次々と新しい愛人を誑し込む彼女に手を焼き、友人宅でのパーティの晩、ついにその一人を手にかけてしまう。
 二十年ぶりのメガホンというエイドリアン・ライン監督の復帰が話題だが、冒頭に「フラッシュダンス」を思い出させるシークエンスがあるのは、ご愛嬌か。しかしそのくだりが、最後の最後で重要なものであったことが明らかにされるあたり、監督のミステリ映画のセンスは確かだと思う。公開が延期される間に、実生活での恋仲を解消してしまった主演の二人だが、原作に描かれた嫉妬と放漫という人間の悲しい性が、彼らカップルによって少しも色褪せることなくスクリーンに再現されていく。アマゾン・プライムの会員なら、追加の課金なしに観られますよ。*3月18日配信開始(★★★1/2)

※★は四つが最高点