新入会員紹介

新入会員挨拶

橋本長道

 将棋である。将棋なのである。
 私が日本推理作家協会への入会を決めるまでに、二人の作家からのお誘いがあった。
 一人は隣市に住む本格ミステリ作家の貴戸湊太さんで、大学での講演会でお会いした際に推協の素晴らしさを語っていただいた。
 曰わく「会費以上の価値」「会員がすごい」「イベントがすごい」。
 そしてもう一人、和泉桂さんの「将棋やろうぜ!」の一言で入会を決めた。
 なんと推協に将棋同好会ができると言うのである。

 私は十五歳から十九歳までの四年間、奨励会という棋士養成機関に入っていた。青春期に将棋の棋士を目指していたことがあったのである。
 中学生王将戦優勝、全国中学生選抜将棋選手権大会三位という成績を引っ提げて入会したが、途中から連戦連敗。まるで歯が立たなかった。
 十五歳で六級入会というのは今考えると遅かったのである。遅いなら遅いと自覚して励めばよかったが、だらだらと時間を浪費してしまった。
 藤井聡太八冠は十四歳、渡辺明九段は十五歳の時に既にプロ棋士四段になっていたわけだから差は明白であろう。
 そして入会から四年後、唐突に「俺この世界でやっていくの無理やわ」と気付いてしまう。そこから退会までは早かった。
 退会の手続きをし、振り返って見た赤レンガ色の関西将棋会館のイメージはいまだに記憶に残っている。この将棋の王国に戻ることは二度とないのだろう。
 不思議な感覚ではあるが、夢を諦めた解放感は後の新人賞受賞の報せを受けた時と同じぐらいに心地よいものだった。

 一浪の後期で大学に潜り込み、新卒で金融機関に就職。人生を立て直したかに思えたが、一年で逃げるように退職してしまう。職場とは逆行きの電車に乗って行方をくらますという文字通りの逃亡であった。
 他人と肩を並べて働くことに向いていなかったのである。
 それから二年後ぐらいに小説の公募に引っかかった。小説すばる新人賞。題材は将棋であった。退会後、初めて将棋に救われた出来事だった。
 しかし、このデビューは失敗に終わった。十年で出したのは小説二冊と新書が一冊。他の仕事はほぼしていない。
 無惨、無惨。事実上の無職期間であった。

 しばらくして、芸は身を助くとでも言うのか、将棋ものをやりたいという編集者が現れて執筆依頼を受けることとなる。前の小説から八年の間が空いたので再デビュー作ということになるのだろう。その作品『覇王の譜』で、WEB本の雑誌発表の二〇二二年オリジナル文庫大賞(二〇二三年から北上次郎オリジナル文庫大賞)と第三十五回将棋ペンクラブ大賞文芸部門大賞をいただいた。
 再デビュー。十二年越しにデビューの頃と同じような状況が生まれていた。
 この状況、何かに似ている。小説のジャンルである。
 転生でも転移でもループでもない。そう、やり直しだ!
 今風のタイトルをつけるなら「元奨作家のやり直し」。
 もちろんジャンルとしてのやり直しと異なるのは十年分きっかり年をとっていることだろう。とはいえ年齢は些細なこと。二十代後半デビューも三十代後半デビューもそう変わらない。
 やり直しものというのは、一回目の失敗を教訓にして二回目には行動を変えるというところに醍醐味がある。(これにサスペンスが加わると行動を変えた結果よりひどい結果が積み重ねっていくということになるのだが)
 私の一回目の失敗は何だったろう?
 あまり書かなかった。他人の本を読まなかった。ずっと寝ていた。ネット将棋や麻雀ばかりしていた。あまり書かなかった……。
 ううん……。
 ひとつには、横のつながりを一切持たなかったということがあった。作家の知り合いが一人もいなかった。山月記の李徴。田舎の片隅で一人、虎になっていたのだ。
 転生ものにせよ、やり直しものにせよ「チート」と呼ばれるものが設定されることが多い。
 今回のやり直しにおける私のチートは「組織に加わる」「横のつながりを持つ」、すなわち「日本推理作家協会に入会する」だ。

 さて、将棋同好会である。
 長く活動休止中だった同好会を復活させ、活性化させていくのは部活ものの王道で面白い。
 腕前に自信がなく参加をためらっている方もおられるかもしれないが、現在の将棋界では観戦専門の観る将が主流であることを申し添えておく。プロを目指すとか、学生時代に部活でガチでやるなどを別にして、社会人になってからの趣味というは楽しんだ者勝ちなのである。
 指す、観る、読む、書く、食べる、飲む……。将棋の楽しみ方は多様化しているのだ。

 私のことは「将棋の人」ということで頭の片隅にでも置いていただければ幸いです。
 よろしくお願いいたします。