追悼

さようならヨコジュン

豊田有恒

 SF仲間の追悼文を書かされることが多くなった。一九六〇年代の初め、いわゆる第一期SF作家が、SFコンテストを通じて、そろってデビューした。しかし、わたしと平井和正が最年少だったから、星新一、小松左京、半村良、光瀬龍など、多くの同志がすでに世を去っている。同年の平井和正の追悼文を書かされて久しい。同期にデビューした仲間では、四歳年長の筒井康隆、眉村卓の二人の兄貴分が、健在なのが頼もしい。
 ヨコジュンこと横田順彌は、夢枕獏などとともに、第二期SF作家として登場するのだが、知り合ったころは、まだ学生だった。当時、SFファンの『一の日会』という集まりがあり、ヨコジュンも常連の一人だった。デビューしたばかりのぼくや平井和正も、よく通ったものである。渋谷の『霞』という喫茶店に、毎月一の付く日に集まる。大の月には、ひと月に四回も通うことになる。そこで、SF誌に書いたばかりの新作の感想など、ヨコジュンから聴かせてもらい、無料モニターとして活用させてもらった日々も、今となっては懐かしい思い出である。
 プロになってからのヨコジュンの活躍は、めざましいものだった。まず、ハチャメチャSFというジャンルを拓いた。これら一連の初期作品は、筒井康隆のスラプスティック風の擬似イベントSFに触発されたものだろうが、ヨコジュン特有の世界に仕上がった。
 ヨコジュンの興味関心は、さらに拡がる。押川春浪の「海底軍艦」に出会ったのが、きっかけらしいのだが、明治期のSFのルーツを辿りはじめる。もともとSF大好きなうえに、好奇心、興味関心のある人間だから、いつのまにか古典SFの権威になっていた。それでも、ぼくや平井に対して、長幼の序をわきまえて、いつも立ててくれる礼儀正しさは、まったく変わらなかった。
 ヨコジュン、安らかに眠ってほしい。きっと、向こうの世界でも、古典SF三昧の日々を送っているのだろう。