新入会員紹介

入会のご挨拶

貴戸湊太

 このたび、佐藤青南様と和泉桂様のご推薦を賜り入会させていただきました、貴戸湊太と申します。
 推薦くださったお二方、そして事務局、理事会の皆様へ、この場を借りて厚くお礼申し上げます。
 私、貴戸湊太は、二〇一九年の第十八回『このミステリーがすごい!』大賞のU―NEXT・カンテレ賞という特別賞をいただき、デビューいたしました。この賞は、『このミステリーがすごい!』大賞の第十七回と第十八回にしか存在しなかった幻の賞です。受賞作のドラマ化を前提とした賞で、私のデビュー作『そして、ユリコは一人になった』もドラマ化されています。
 さて、自己紹介はこのあたりとして。突然ですが私には、推理作家協会への強い思いがあります。その思いには、私がデビュー直後に遭遇したとある「事件」が関係しています。
 私は、先述の通り、二〇一九年にドラマ化付きでのデビューを果たしました。当時は大卒で入った職場を一年と少しで辞め、個別指導塾の講師のアルバイトで糊口をしのいでいる状態でした。月収は僅か二、三万円という厳しい生活でした。そんな状態から、一気に受賞、書籍化、ドラマ化です。私は有頂天になりました。もちろん作家業はデビュー後が大変なのですが、その当時の私は気付いてもいませんでした。『このミステリーがすごい!』大賞の授賞式(当時はまだコロナ禍前でした)にも招待され、ちょっと高めのスーツを新調するなど意気揚々としていました。
 そして、受賞式の数日後に開催される、推理作家協会の新年会にも招待されました。この会には、ミステリー系の各新人賞を受賞した新人たちが招待されていたのです。もちろん出席するつもりで、大いに楽しみにしていました。
 ところが、思わぬ知らせがありました。新年会の日に祖父が手術を受けることになり、私が病院で立ち会うことになったのです。家庭の事情で、他の者は病院に来ることができません。私は新年会への出席をあきらめました。
 後に、手術は無事成功し、現在も祖父は健在です。私にとっては、そのことが一番嬉しいです。しかし新年会への出席を逃した悔しさから、いつかは推理作家協会に入りたいという思いは強くなっていました。
 ところがこの時、「事件」はすでに起きていました。時間を巻き戻して、新年会の数日前に行われる授賞式の、そのまた一週間ほど前。祖父の手術で新年会には行けなくなったものの、授賞式には行くことができます。新しいスーツをハンガーに掛けて気分上々だった私は、ある日、突然の高熱に見舞われたのです。
 病院で診察してもらうと、インフルエンザとのことでした。一週間ほどの自宅療養を命じられ、授賞式にすら出席できなくなってしまったのです(手術の立ち会いは回復して行くことができました)。
 授賞式に出席できず、非常に悔しい思いをしました。そして実は、この授賞式の直前に、推理作家協会事務局を訪れる約束もしていました。新年会を欠席するお詫びとして、地元の銘菓の箱を携えてご挨拶に行く予定だったのです(今思うと厚かましい行為だったかもしれませんが)。ところが、こちらまでインフルエンザになったため中止となりました。推理作家協会とはご縁がないのか、とますます落ち込みました。
 というように、授賞式前後で大変落ち込んだ私ですが、その後体調を整え、満を持して上京しました。自作のドラマ撮影見学に行くなど、楽しい時間を過ごすことができ、気分も上向きました。
 そして推理作家協会にも加入申請をしようと思い立ったのですが、ここで大きな問題が発生しました。入会金と会費を払わなければならないという問題です。
 入会金と会費が必要。当たり前のことなのですが、どういうわけかそれまで、あまり意識してきませんでした。先に述べた通り、私は月収二、三万円という生活を送っていました。デビュー作の印税も、日々の暮らしのためにあっという間に消えていました。
 推理作家協会には二度も縁がなかったので、三度目の正直としてぜひ入会したいと思っていいました。ですが、これではいけません。結局、入会はデビューから二年以上を待つこととなりました。
 デビュー作刊行から二年半経った現在、私の収入は上向きました。二作目の『認知心理検察官の捜査ファイル 検事執務室には嘘発見器が住んでいる』が出版され、印税が入りました。個別指導塾講師のアルバイトも続けているのですが、収入は増え、入会金と会費をまかなえるまでになりました。
 こうして私は、念願の推理作家協会への入会を果たすことができたのです。私の並々ならぬ思い、少しでも伝わったでしょうか。
 それでは、挨拶はこのあたりとしましょう。皆様、推理作家協会の集まりなどでお会いできた際は、優しくお声掛けいただけますと幸いです。その時私は、未だクローゼットの中で眠ったままの、ちょっと高めのスーツを着て、念願の舞台に緊張していると思いますので。