土曜サロン

推理小説・二○一二年

佳多山大地

 二○一二年に映画〈007シリーズ〉が生誕五十周年を迎えた。記念すべき年に公開された第二十三作『007 スカイフォール』は、三度目のジェームズ・ボンド役を務めるダニエル・クレイグのアクションにもいよいよ磨きがかかって、年来のファンの期待を裏切らない出来栄えだった。その最新作では、敵方のアジトが長崎県の端島、通称「軍艦島」をモデルにしていたことも話題になった。
 ご存じ、長崎港から南西に約十九キロメートルの沖合に位置する軍艦島は、かつて海底炭鉱の島として殷賑をきわめた。コンクリート造りの高層集合住宅が所狭しと建並び、最盛期の一九五○年代には周囲約一・二キロメートルの小さな島に五千人以上もの人が暮らしていたのだ。しかし、日本の近代化を象徴して威容を誇ったこの島も、産業エネルギーの需要が石炭から石油に移行するなかでその使命を終え、七四年一月に炭鉱が閉山されたあとは無人の島となってしまった。斯くして長らく捨て置かれていた軍艦島だが、二○○九年一月に世界遺産暫定リストに掲載された「九州・山口の近代化産業遺産群」の構成資産に数えられると再び注目を浴びるようになり、地元長崎市が上陸見学を安全に行ってもらえる設備を整えて、今ではすっかり観光の目玉のひとつになっている。実際、僕も軍艦島クルーズに参加したことがあるが、廃墟と言うにはあまりに雄々しい島影に敬虔な気持ちをおぼえるほど。よくぞあれほど洋上に浮かぶ軍艦めいたフォルムが偶然に出来上がったものだ。
 そんな軍艦島は、炭鉱閉山後の無人の島であった時期にこそ推理作家のイマジネーションを刺激してきたよう。皆川博子の『聖女の島』(一九八八年)をはじめ、赤川次郎『三毛猫ホームズの無人島』(九七年)、内田康夫『棄霊島』(二○○六年)など軍艦島を舞台とした作品は枚挙に遑がなく、ここ最近も貴志祐介が『ダークゾーン』(一一年)で異形の怪物に変身した人間たちの闘争の場に選んでいた。それに──おっと、これはネタばらしになるので書名を挙げられないが、本格派のベテランが二○一二年九月に発表した長編では先の大戦中の軍艦島が最重要の"仕掛け舞台"となっていたっけ。そう、石炭から石油、そしてその先にあるエネルギー革命と人類が信じた原子力の眩しすぎる光と爆風を軍艦島もまた浴びたのだ。
 二○一一年三月十一日に東日本大震災が発生してから二年の時が過ぎた。しかし今なお、福島の原子力発電所の廃炉に向けた作業は様々な困難を抱えて先行き不透明である。昨年の回顧原稿「推理小説・二○一一年」で、いずれ今度の震災から逃避するだけでない逃避文学は書かれなくてはいけない、という主旨のことを書いておいたが、「小説新潮」二○一二年五月号掲載の高橋克彦の短編「合掌点」には心を強く打たれた。盛岡に暮らしながら震災と無縁の小説を書くことに後ろめたさを感じる小説家の「私」を主人公にした物語は、行方不明の友人の不可解な行動の真相に迫るロジックが幻想と交錯し、恐怖と同時に慰藉の念が湧き立つ秀抜な作品だ。江戸川乱歩風のレンズ趣味を現代のカメラ機材でもって"再生"してみせた岩手出身の異才は、震災の惨禍から逃げず、前に進んでいる。

 ──さて。ここからは二○一二年の推理小説界のトピックから特に目立ったものを拾い上げる。
 まずは三月に〈日本冒険小説協会〉が解散した。一九八○年に内藤陳が日本版「月刊PLAYBOY」誌上で同志の参集を呼びかけ、翌八一年末に結成されてから三十余年。「冒険小説」とは本邦独特の広義なジャンル名であり、大自然に対峙する人間の営為を描く山岳冒険小説、海洋冒険小説のほか、ハードボイルド、スパイ小説、警察小説など幅広く対象とする〈日本冒険小説協会大賞〉の選考を八三年以降実施してきたが、同協会運営局が発表した解散宣言(三月二十四日付)から引けば「(前略)昨年末に会の精神的支柱であり永世会長である内藤陳が天に帰した事、また、冒険小説という名のUボートがエンターテインメントという大海に深く静かに潜航した今、日本冒険小説協会はその使命を果たし終えたと考えます」とのこと。八○年代の本邦で、冒険・ハードボイルド小説のブームに火を付けて出版界を活気づかせた功績は大きい。
 昨年の回顧原稿でも報告しておいた、いわゆる自炊代行のビジネスをめぐる民事訴訟は五月に一応の決着をみた。原告の作家・漫画家たちは、個人利用者が書籍を電子化する"自炊"の作業を業者が代行することは著作権の侵害に当たると法廷闘争に持ち込んだわけだが、それを裁判所が判断するより先に、被告二社のうち一社は代行業務の中止を発表、もう一社も代行事業を廃止して会社自体が解散したことから、原告側は当初の目的を達成したとして訴訟を取り下げるに至った。とはいえ、これで問題が全面的に解決したわけではなく、十一月には別の代行業者七社を相手に再び自炊代行の差し止めと損害賠償を求める訴えを東京地裁に提起することになった。おそらく今回も原告側の"実質勝訴"の流れができるのはまず間違いないように思うけれど、出版社主体の電子書籍の普及が読者のニーズに応えるだけ充実しないかぎり、この鼬ごっこは続きそうでもある。
夏から秋にかけて斯界を賑わせたのは、一九八五年以来およそ四半世紀ぶりに実施された〈東西ミステリーベスト100〉のアンケートだ。ここでは特に国内編のことについて触れるが、今回の新版では八七年に綾辻行人が『十角館の殺人』を引っさげてデビューしたことを象徴的な起点とする、いわゆる新本格ムーブメントを支えた作家の代表作が相当数ランクインする結果が出た。謎とその論理的解明を骨子とする本格推理の復興運動は、暫定的ではあるが 歴史的評価を得た と言ってかまわないだろう。また、社会派推理のフィールドで圧倒的な存在感を示したのは宮部みゆきだ。とりわけ、九二年発表の『火車』(五位)を筆頭に、『理由』(六十位)、『模倣犯』(四十一位)と、バブル崩壊後の現代社会を背景に日本人の精神風俗の変化を捉えた傑作群の評価は揺るぎない。思えば、八五年に旧版のアンケートが実施されたとき、まだこの国はバブル景気に浮かれ出す前だったのだなあ。
 その他、七年ぶりに警察小説の新作『64』を上梓して第一線に復帰した横山秀夫、『地の底のヤマ』で第三十三回吉川英治文学新人賞と最後の(第三十回)日本冒険小説協会大賞をダブル受賞した西村健、ドストエフスキーの名作『カラマーゾフの兄弟』の続編を謎解きの興趣たっぷりに仕上げて第五十八回江戸川乱歩賞を獲得した高野史緒、『ケルベロスの肖像』と『スリジエセンター 1991』を物して当代屈指の医療サスペンス・サーガに有終の美を成そうとする海堂尊、絵画の真贋判定をめぐるドラマをスリリングに仕立てた『楽園のカンヴァス』で第二十五回山本周五郎賞に輝いた原田マハ、情感あふれる法曹劇『検事の本懐』で第十五回(二○一三年)大藪春彦賞の受賞が決まった柚月裕子など多士済々の活躍に胸躍る一年だった。ともかくも、二○一二年末に樹立した新政権が主導するデフレ脱却策──俗に言うアベノミクスが出版界に好況の気配を投げかけるかどうかは予測がつかないけれど、トーハン調べによる「二○一二年 年間ベストセラー」の文庫総合部門において上位二十作中の大半を広義の推理小説が占める結果を鑑みてもやはり同ジャンル読者の支持は底堅いものだと信じていいはずである。

 最後に、二○一二年に鬼籍に入られた推理小説界の功労者のことを。
私淑する丸谷才一氏が、十月十三日、心不全のため亡くなった。享年八十七。誤解を恐れずに言えば、すでに生き神のような人だったからだろう、不思議と悲しみは湧いてこない。
言うまでもなく、丸谷才一氏は戦後日本を代表する文学者である。「文学者」などという大仰な言葉が、この博覧強記の人にはきちんと誂えられた背広のように似合う。推理小説の年来の愛好家でもあり、とりわけ日本版「EQMM」に連載した『マイ・スィン』(福永武彦、中村真一郎の両氏との共著『深夜の散歩』所収)はユーモアに満ちて明晰、推理小説の特に風俗小説としての側面に光を当てた書きぶりは印象的で、斯界に多大な影響を与え続けている。──と、そういえば丸谷氏は、イアン・フレミングがお気に入りの作家の一人だった。いや、評論「イアン・フレミングと女たち」(文藝春秋『青い雨傘』所収)を読むと、氏はフレミングの小説作法より彼の人生そのものに惹かれていたようである。映画『007 スカイフォール』を生前に観られなかったのは心残りだったろう、などと呑気なことを想うのも、やはり氏がすでに生き神のような人だったから。
 二○一二年一月には、『殺意という名の家畜』で第十七回(一九六四年)日本推理作家協会賞を受賞した河野典生氏が永眠。生島治郎、結城昌治の両氏と並んで、国産ハードボイルド小説の草分け的存在だった。四月には、第二十八回(八二年)江戸川乱歩賞受賞作『黄金流砂』を皮切りに歴史推理ジャンルで一家を成した中津文彦氏が逝去。五月には、朝比奈耕作や氷室想介など数多くの名探偵を生み出して旺盛な筆力を示した吉村達也氏が六十の坂を越えて間もなく仆れた。六月には、幻想耽美の作風でカルト的な支持を得て、随筆『海峡』と短編「八雲が殺した」の二作で第十二回(八四年)泉鏡花文学賞を受賞した赤江瀑氏が黄泉の客となる。十一月には、映画評論家でSFやミステリーにも造詣の深かった石上三登志氏が長逝。また、この回顧原稿では海外の物故者は名前を挙げないのが通例だったが、イギリス本格派の重鎮レジナルド・ヒル氏が一月に亡くなったことに触れておきたい。知的で下品な巨漢、ダルジール警視を創造してくれて、ありがとう。
斯界に多大な貢献をされた各氏のご冥福をお祈りする。