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「孤高の鳥」

鳴神響一

 初めてそいつらに会ったのは、十二年前の八月の終わりだった。
 僕のジープは、北海道道一〇八八号線を、然別峡の野営場に向かって急いでいた。
 有明月の夜とあって、十キロ以上も人家はおろか街路灯すらないダート道は真っ暗だった。トドマツ林から若いエゾジカが飛び出してきて、危うく衝突回避という一幕もあった。
 闇の道に目をこらしながらシイシカリベツ川に掛かる橋を渡ろうと速度を緩めた。その瞬間、僕の心臓はどくんと激しく収縮した。
 赤い鉄の欄干に、得体の知れぬ二つの影が並んでいる。こちらを見つめる瞳が鋭く光っている。
 クルマを止めると、開け放った窓から夜の森の湿った匂いが車内に忍び込んだ。怪しの影はニホンザルよりも大きい。僕との距離はわずかに二メートルほどだろう。
「よ、妖怪?……コロポックル?」
 心を静めて、ヘッドライトの明かりに目をこらす。野生動物だ! 懐中電灯を取り出し、刺激しないように相手に向けた。黒い影には、特徴的な尖った耳があった。
 二つの影の正体は、シマフクロウのつがいだった。次の瞬間、驚くほどの羽音を響かせて、二羽は闇空に消えた。こんなに大きい鳥が空を飛ぶものか。それにしても何という気高い姿だろう。
 アイヌの人々は、シマフクロウを、コタン・コロ・カムイ(村を守る神)、カムイ・チカップ(神の鳥)などと呼び、自分たちの守護神として崇めてきた。
 人々が、大きな野生動物に霊的な力を感じ、神の使いであるとして信仰した時代があった。この晩の出会いから、僕も彼らに憧れ、畏敬の念を抱くようになった。
 長年、道東や道北を十数回は旅したが、一度も出会う機会はなかった。それもそのはず。シマフクロウの個体数はきわめて少ない。調査結果によっても異なるが、日本野鳥の会は、約五十つがい百四十羽と推断している。なんとも、ラッキーな夜だったのだ。
 彼らの声が聞きたいと思った。翌々年、養老牛温泉の「旅館藤や」に泊まった時に、願いは果たせた。標津川を望む露天風呂に入っていたら、カラオケでオヤジが調子っぱずれに唸るような、鳥類とは思えぬ不思議な低声が原生林から響いてきた。一度聞いたら、
二度と忘れられない鳴き声だった。
 やがて、一組のつがいが羽音を響かせ、数メートル先のエサ場に舞い降りた。薄暗い照明の下ではあるが、僕は湯のぼせするくらい、彼らの姿を堪能できた。(残念にも、この宿は昨年末で閉館した)
 僕は昼間の姿を見たくてたまらなくなった。翌年の夏、大空町に住む友人に頼んで、シマフクロウの観測に同行させて貰った。
 自然公園指導員の仕事を委託されている友人は、僕と同年配である。北見人で、山の住人である彼は、野生動物の気持ちがわかる不思議な人だった。友人のおかげで、オジロワシにもオオワシにも何度も出会えた。彼しか知らない秘密の森で、エゾフクロウにそっと近づき、写真も撮らせて貰った。
「今日あたり、会えるかもしれないな……」そんな友人の言葉に期待して、深い原生林を訪ね、姿を現す瞬間を待った。だが、旅人の前に都合よく現れるわけもなく、いまだに太陽の下での彼らの姿を見る機会には恵まれていない。
 東オホーツクのシマフクロウは、川魚、ことにサケを好んで食べる。エゾフクロウは野ネズミなどの小型動物を食べている。もっと小さい夜行性の鳥は、昆虫をエサにする。
「人間でも鳥でも、美味いもんは一緒なんだな。で、大きくて強い順に美味いもんを食ってるのさ」
 友人は笑った後に、シマフクロウが、ここまで個体数を減らした原因の一つには、河川改修があるといって、眉を曇らせた。
 川がカーブを描くところにできる浅瀬で、シマフクロウはサケを獲る。ところが、小規模河川にまでに進められた護岸工事のせいで、道内の浅瀬は減り、シマフクロウのエサ場がどんどん消滅していったのだという。
 北辺の山に棲む孤高の鳥に、文芸の森に生きる表現者の姿が、どうしても重なる。無理は承知の上で、自分もシマフクロウのような小説家を目指せないものだろうか、と願う。
 いったい、何が護岸工事のコンクリート壁にあたるのか、その答えは簡単には決められないような気がするけれども……。

――今野敏先生、細谷正充先生のご推薦を賜り、入会させて頂きました鳴神響一と申します。両先生には、この場をお借りして心より御礼申し上げます。
 昨年、第六回角川春樹小説賞を受賞させて頂き、スタートラインにつけて頂きました。伝統ある推理作家協会の名を汚さぬように、研鑽に努めて参りたいと存じます。どうぞよろしくお願い申し上げます。