新入会員紹介

入会のご挨拶

高田在子

 皆様、はじめまして。このたび日本推理作家協会に入会させていただきました高田在子と申します。
 幼い頃から空想好きで、布団の中に入ってから寝入るまでの間が至福の妄想タイム。じつは私は、この家の本当の子供じゃなくて……というベタな悲劇のヒロインになりきっては涙を流し、枕を濡らす少女時代を送っていました。
 ですが、小学生時代までは文章を書くことに苦手意識を持っていました。机に向かう習慣をつけさせようとした両親に日記を書くよう義務づけられても、内容はいつも同じ。「今日は何もありませんでした」だけ。両親も呆れ返っていました。
 そんな私が、中学生時代から少しずつ妄想物語を文章にしはじめて、高校生のときには「小説家になる!」と勝手に決めていました。
 短大卒業後、種苗会社に勤務しながら勉強の場を探しましたが、なかなか見つからず。縁あって日本児童文芸家協会の会員にもしていただきましたが、ジャンルを超えて大人むけの小説を書きたいという気持ちを抱き続けていました。
 結婚したとき夫に出した条件は「小説を書きつづける環境づくりに協力すること」でした。けれど一人息子を出産した十日後に、夫が独断で会社を退職。現在、夫は社会保険労務士として立派に生計を立てておりますが、当時はまだ社労士資格も持っておらず、転職先も何も決まっていませんでした。
 おいおい、どうやって乳飲み子を抱えて生活していくんだよ! という不安を抱きながらも、執筆活動だけは続けていました。社労士の資格試験勉強をする夫と交代で子供をおんぶして、ひたすらマイペースに書き続けておりました。
 文学賞の大賞候補に残ること七回。すべて落選、受賞歴なし。ちくしょう! と思いながらも、書くことをやめようと思ったことは一度もありませんでした。
 数年前まで実家に三人の病人を抱えておりましたので、介護や看病のため、毎日のように実家へ通いました。まだ幼かった息子の世話に追われながら、アルツハイマーと診断された祖母の入浴介助などをこなし、肺病で無理のできない父に代わって、よく心臓発作を起こしていた母の夜間病院に付き添いました。
 幼い息子の手を引いて実家に通う日々の中で、つらいと思うことも多々ありました。けれど、書くことが私の救いになってくれたのです。
 よく「ピンチはチャンス」と聞きますが、アクシデントやトラブルが起こるたびに「これは小説のネタとして使えるかしら?」と思うことで、困難を乗り越えてこられたのでしょう。これは、十三日の金曜日の仏滅生まれの夫からリアルに学んだ気持ちの切り替え法でもあります。
 一般では不吉と言われる日に生まれた夫は、たまにトラブルに巻き込まれます。殺人事件のご遺体がなぜか夫の電話番号を持っていて、二人組の刑事が事情聴取に来たり(これは市外局番が違っていたとのことですが、ご遺体が持っていたメモには市外局番以降の番号しかメモされておらず、その番号がたまたま夫の電話番号と完全に一致していたのです)。
 ゴミ捨て場付近にいたら、自転車泥棒と間違えられてパトカーに乗せられ、交番に連れて行かれたり。エスカレーターに乗ろうとしたら、上から人が将棋倒しの状態で落ちて来たり。デパートのガラス戸をくぐったとたんに、背後で突然ガラス戸が落ちて割れたり。今年の誕生日(ちなみに十三日の金曜日)には、同乗していた車が追突事故の被害に遭いました。
 そんな夫は、自分を「ラッキーマン」と言います。警察ではすぐに無実が証明され、事故に遭っても夫だけは奇跡的に怪我もなく助かっていたからです。今年の誕生日の追突事故でも、同じ車に乗っていた他の二人は骨折など全治数ヶ月の怪我を負いましたが、夫だけは無傷でした。
 夫のエピソードを少々強引に我が身に置き換えてみますと、受賞歴がなくとも、ご指導くださる方々のおかげで、なんとかデビューにこぎつけることができました。険しい作家道を歩いていくため日々ご尽力くださる方々との出会いは、本当にラッキーでした。
 過去に勤めておりました種苗会社ではトマトの苗も扱っていましたが、トマトの糖度を上げるためには、一般的に水分の少ない土で育てる必要があります。あえて必要最低限の水と肥料しか与えないのです。
 トマトは、もともとアンデスの乾燥地が原産の植物で、生命力が旺盛です。過酷な環境でこそ本来の性質を発揮して、みずみずしく実り、おいしさを増すのです。
 この先ずっと作家として生き残り、書き続けていくために、私はトマトのたくましさを身につけたいと思います。苦境に立ってしまったときほど「ネタきたーっ!」と心の中で叫び、体感したものを小説の中に注ぎ込みたいと思います。
 今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。