新入会員紹介

入会のご挨拶

近藤五郎

 このたび、《日本推理作家協会》の末席を頂戴いたしました。ありがとうございます。テレビ局のアシスタント・ディレクター、通称《AD》を主人公にした作品のほか、幕末の大坂・堂島を舞台にした時代小説『なにわ万華鏡 堂島商人(あきんど)控え書(がき)』を上梓しております。
 入会させていただくに際してご尽力を賜った方々、またご賛同くださった諸先生方に、改めて御礼申し上げます。

 子供の頃から《古典的なもの》が好きでした。クラシック音楽に西洋絵画のマスターピース、町の本屋さんに入れば岩波文庫の棚の前に陣取って、パラフィン紙が被せられた背表紙を順繰りに眺めている変な子供でした。
 一九六一年生まれで、子供の頃には社会全体にもまだ、昔の《教養主義》を尊ぶ空気が濃く残っていたような気がします。今の政権が見せている、露骨な人文系学問軽視を目のあたりにすると、社会の空気の違いを強く感じます。大百科事典《ジャポニカ》の刊行は、確か小学校低学年の頃でした。
 長じて後は、落語や歌舞伎、文楽、能など古典芸能好きにもなりました。また《古典好き》とは趣を異にしますが、映画も最近の作品を見ていると「CGで誤魔化さないで、ちゃんとセットを組めよなあ……」とフラストレーションが溜まります。自然、古い作品がゆかしく思える次第です。
 とはいえ、系統だった知識や見識などは全く持ち合わせていません。ただ、だらしない楽しみ方をしているだけです。『生来の古典好きが執筆にも生きて……』と胸を張れればよいのですが、無理。

 生まれは静岡県の焼津です。遠洋漁業の基地として知られる港町です。
 私も潮風の匂いや、たくさんの漁船が係留されている港の風景には慣れ親しんできました。
 ところが住まいは海から離れた地域で、農村と呼んでよいような場所でした。すぐ隣には水田が広がり、夏にはそれはそれは良い風が家の中を吹き抜けます。秋には実った稲穂が黄金色の海をつくります。風に吹かれた稲穂がゆらゆらと揺れ、金の波となって渡っていく光景を飽かずに眺めていました。
 海と田畑の両方を楽しめた土地で生まれ育ったわけで、ラッキーでした。
 その後、東京暮らしを経て、今では関西に住んでいます。気が付けば、人生の半分以上の年月を関西で過ごしている勘定になりますが、《アウェー感》は消えません。
 ただ、たまの上京の折など、街の人たちの顔つきや仕草が、何となく取り澄ましているように思え、居心地の悪さを感じます。見知らぬ人同士が乗り合わせているだけの電車の中でも、関西特有のぬる~い空気の心地よさが懐かしくなります。
 ひょっとしたらアウェーであるはずの私も、いつの間にか《関西人》になってしまったのかも……いやいや、断固、アウェーです。

 現在の住居から阪神競馬場までの所要時間は、きっかり二十五分。ご近所だから、というわけではありませんが、週末には結構な頻度で競馬場に足を運びます。
《古典好き》だから競馬もクラシックレースしか買わないかというと、真逆です。『どの馬が勝つかわからない』を通り越して、オッサンらが「このレース、勝つ馬が居れヘンやないか……」とボヤく類のレースが大好物です。
 競馬場のコアな客は、陣取る場所が決まっています。私がいつも隣り合わせになる人物は、御年八十三歳のジイさんです。著書を差し上げたところ、大いに喜んでくださいました。
「近藤さん、アンタの本、オモロかった。いや、ホンマやで」
 コアな客の中では私は最若手。得体の知れない《ニイちゃん》と思っていた男が本を書いたとは……というので驚いたのでしょう。
「ワシが言うのやから間違いない。こう見えてワシも、若い頃は、よう小説を読んだンや。『赤と黒』とか『暗夜行路』とか……」
 そうですか、『赤と黒』ですか。『暗夜行路』ですか。
 ジイさん、アリガト!
 そんなに偉い作家になる見込みはないけれど、ジイさんの言葉を励みに、頑張って書き続けていきます!!