新入会員紹介

入会していたご挨拶

稲羽白菟

 入会して、すでに数年が経ってしまいました。
 ツイッター(現・X)「日本推理作家協会広報アカウント」中の人(い)として広報の当番を勤めるようになってから、「皆様に入会のご挨拶もしないまま広報を勤めるのはよろしくないよなぁ」と思いつつ、それからも随分時間が経ってしまいました。
 稲羽白菟と申します。
 遅ればせながら、自己紹介とご挨拶を申し上げます。

〝1975年大阪市生まれ。早稲田大学第一文学部フランス文学専修卒業。2015年に『きつねのよめいり』で第13回北区内田康夫ミステリー文学賞特別賞。2018年、第9回島田荘司選ばらのまち福山ミステリー文学新人賞で準優秀作に選ばれた『合邦の密室』でデビューを果たす〟

 右記が自著掲載の作家紹介文です。
 左記が現時点での単著となります。

『合邦の密室』原書房
『仮名手本殺人事件』原書房
『オルレアンの魔女』二見書房
『神様のたまご 下北沢センナリ劇場の事件簿』文藝春秋

 小説を書く僕の根本には「文学とは『作家個々の才能の煌めき』のようなものである以上に『歴史的・発達科学的なもの』である」という思いがあります。
 たとえばフランス文学(世界文学)史の視点で考えるなら、ギリシャ悲劇を起点として、韻文、詩歌、ラシーヌ(シェイクスピア)、近代恋愛心理小説、プルースト、ヌーボーロマン。日本文学で考えるなら、記紀、王朝詩歌・文学から、平家物語、太平記、近松、南北、黙阿弥、そして文語文から言文一致、自然主義小説から近現代文学へ。
 大筋において、文学は前代の達成を礎に、人類の歴史に沿って常に発展・進化している──いうなれば、そういったものが「文学」であると僕は思っています。
 もちろん、科学や数学、哲学のように最適解を探りつつ直線的に発展可能なものではなく、個別の才能に負うところも大きく(むしろ大部分がそこにかかっている)、また、恣意的に「文学」をやろうとすればするほど「小説はつまらなくなる」というジレンマもあります(結局は、未来から振り返ってみなければ、それが「文学」なのかどうかは判らないということです)。
 しかし、日本の推理小説・ミステリーという職人気質のエンタメ文芸は、リアルタイムで「文学」たりうる稀有なジャンルなのではないか?……と僕は思っています。
 トリック、設定、趣向など、ミステリーの書き手は古典から最新作、それまでのすべての達成からの更なる進歩、発展、アレンジメントを意識しなければなりませんし、また、日本文学史そのものにおいても、近代の「自然主義文学」から次の次元に歩みを進めた、技巧的、人工的、制約的な「反・自然主義文学」として(「私小説」中心のいわゆる「純文学」とはまた違った)最前衛の日本文学の一ジャンルである──そう僕は確信しています。
 さて、僕の言いたことは「ミステリーは文学だから凄い」というようなことではなく、ジャンルとして常に前進するこの文芸、それ自体の発展を僕は何より大切に思っていて、そして、このジャンルの先人、先輩、お仲間を「ミステリー文学」を共に発展させてゆく同志として、とても大切に思っているということです。極論すれば、私小説の作家さんたちは互いに反目し合おうが、マイクで殴り合おうが、「どうぞご勝手に」ですが、ジャンルそれ自体の在り方と切っても切れない関係にあるミステリー作家たちは皆同じ蓮の上。日本推理作家協会を通じてお仲間になれるということ、そのような親睦団体が存在し、連携できるということはとても有意義で、とても幸福なことに違いないと思っています。
 自らの功利功名よりも、「日本のミステリー文学全体が今後一層盛んになり、それによって読者が益々愉しみを得る」という全体利益の実現を、僕は何より大切に思っています。建前や綺麗ごとではなく、本気でそう思っています。
 そんな心で広報アカウント中の人(い)を当番週は楽しく担当させて頂いてはいますが、自分自身も書き手の一人である以上、実作によって自らの意志と理想型を皆様に提示し、それによって実績と信用を築いてゆく必要があることも違いありません。簡単な道のりではないと思いますが、精一杯努めて参りたいと思っています。
 先輩諸姉諸兄、関係各位におかれましては、以後よろしくお見知りおき、お引き回し、お引き立てのほど、何卒お願い申し上げます。