新聞復権で活字復権
新聞記者をおよそ四半世紀務め、新入会員でありながら、すでにキツい老眼と二十年来の酷い腱鞘炎に苦しんでいる。
就職氷河期世代で、一年だけ印刷・広告会社に勤めたが、翌年に地元・千葉の地方紙「千葉日報」に記者採用された。官邸や国会、省庁はじめ県や市町村といった地方行政、開港当初から問題を抱える成田空港、県内経済界、警察や司法、スポーツや文化。ありとあらゆる分野を取材した。広告関係も含めると、いずれもかなり控えめだが、名刺をもらっただけでも何千という人と会い、何百万字と記事を書いてきた。
一般の人が知る前に取材し、一般の人が会えない人に会い、一般の人が入れない場所にも入れる。アリストテレスの名言に「すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する」とある。現役時代、新聞記者ほど知識欲が満たされる職業はないと感じた。まさに天職だと思っていた。
その職を辞した。
何か〝悪さ〟をしたわけではないし、会社とケンカをしたわけでもない。確かに右腕は悲鳴をあげていたが、昭和の名横綱・千代の富士のように「体力の限界。気力もなくなり、引退することになりました」というわけでもない。腱鞘炎でペンは持てなくなっても、現代にはパソコンがある。
では、なぜ辞したか。
活字とともに歩んだ人生。それを最期まで、活字に捧げようと思った。
もちろん、作家になりたいという夢は、幼いころからあった。だがもう、そんな夢を語れるような年齢ではない。
何かに文字を刻むという活字には、必ず責任が伴う。小学生のころ、初めて書道で半紙に字を書いたとき、消しゴムで消せる鉛筆ではなく、初めてボールペンでノートに文字を書いたときに緊張しなかっただろうか。ひとつ間違えれば半紙やノートが無駄になる。そこに責任が生まれる。
活字の大切さを知ってほしい。現代ではそんな呑気なことも言っていられないのかもしれない。
インターネットが世界の隅々にまで浸透し、誰も自分の手で文字を書かなくなった。SNSでは顔も名前も出さずに好き勝手にコメントをし、炎上したら削除すればいい。適当に文章を入力し、誤変換など当たり前。むしろ誤変換はネット上のスラング扱い。責任感が欠如した世の中になっていないだろうか。
活字から離れることが、すなわち責任感から離れることとは言わないが、文明が滅んだ千年後に発掘されるのは、インターネット空間でも使い方のわからないタブレットやハードディスクでもなく、何かに刻まれた文字、例えば墓石のようなものや書物であることは歴史が証明している。
活字こそ文化の原点であり、その原点をおろそかにして文明の継続も発展もないだろう。
いかに微力であろうとも、活字を供給する側の人間がいなくてはどうしようもないのだから、それをやるべきだと考えた。
新聞が売れない時代。新聞社内でいくら奮闘しようとも、全国的な部数減の流れは食い止めようがなかった。その上、今は本も売れない時代だ。
新聞を読まない人は小説を読まないというデータがある。裏を返せば、新聞を読む人を増やせば、小説を読む人も増えるということになる。
ならば今一度、文学の世界に新聞を登場させてみてはどうか。そう考えたのである。
かの池上彰氏は著書の中で、『続地方記者』を読んで新聞記者に憧れたと語っている。新聞業界には島田一男先生の『事件記者』を挙げる人も多い。
拙著にそんな力があるとは思わないが、それでも作家はそれを信じて書き続けるしかないのではないか。
フィンランドでは、学校教育の「脱デジタル化」が進んでいる。ノートパソコンやタブレットではなくペンと紙が見直され、デジタルで低下した学力の向上が期待されるのだという。
日本国内で「脱デジタル化」は難しいだろうか。
新聞を読まない人の多くの中には、「ネットニュースで十分」との意見もある。例えばネットニュースで官房長官の会見記事を読むと、勝手に関連だとして、「官房長官が遺憾」との記事ばかりがずらりと並ぶ。ソースが誰だかわからない記事も多い。
もしも新聞がなくなったら、どこの誰が書いたあるいはコピペしただけの記事なのか、フェイクニュースなのかがわからなくなるだろう。信頼できるソースは残しておかなければならない。
文学にもできることはある。文学の火を絶やさなければ、活字文化を守っていくことができる。本気でそう信じている。
最後に、新入会員挨拶ということなのでひと言。偉大な先人たちの名を汚さぬよう、浅学非才の身ではありますが、筆を折らず精進を重ねますので、今後ともよろしくお願いいたします。