入会のご挨拶
はじめまして。このたび、第七十回江戸川乱歩賞を『フェイク・マッスル』で受賞し、日本推理作家協会の末席に加えていただくことになりました、日野瑛太郎と申します。
もともと僕は小学三年生ぐらいの時から小説家志望ではありましたが、その中でもミステリ作家を目指そう、特に江戸川乱歩賞を目指そうと思い立ったのは、それからずっと後の三十歳手前ぐらいの時のことでした。
きっかけは大きく二つあります。
ひとつは大沢在昌さんの『小説講座 売れる作家の全技術』という本を読んだことです。この本は創作指南本ではあるのですが、それ以上に出版業界の現実について、とても厳しいことが書かれている本です。協会員の方ならご存知でしょうが、小説家は他の職業と比べると、経済的には圧倒的に儲からないことのほうが多い職業です。当時の自分はそのことをよく知らなかったので愕然としました。デビューした人の大半が、数年後には消えてしまっているという事実にも肝が冷えました。
そのような悲惨な末路を辿らないために何が必要か。この本では「できるだけ偏差値の高い新人賞を獲ってデビューする」ことが推奨されています。その偏差値の高い新人賞の例として挙げられていたのが、江戸川乱歩賞でした。
過去の受賞者リストを見て、江戸川乱歩賞の偏差値が高いと言われる理由にも納得しました。そこには誰もが知る人気作家の名前がずらりと並んでいるではないですか。つまりそれだけこの賞は穫るのが難しく、しかし獲れれば未来を拓きやすいということが伝わってきました。 これは僕の個人的な性格なのですが、昔から難しい目標を立てて、それを攻略する方法を考えてコツコツと山を登っていくのが好きです。江戸川乱歩賞は非常に高い山ですが、この山を登り切ることができればきっと何かが変わるはずだと、当時の僕は無謀にも思ったのでした。
もうひとつのきっかけは、第四十七回江戸川乱歩賞受賞作である、高野和明さんの『13階段』を読んだことです。
なんとなく江戸川乱歩賞を目指そうと目標だけ定めた僕は、まずは過去の受賞作を一通り読んでみようと考えました。乱歩賞の受賞作は基本的にどれもハイレベルなのですが、そのなかでもこの作品は圧倒的で、徹夜で一気読みしてしまうほどの面白さでした。そこには小説という媒体で人を楽しませようとすることの、強い覚悟や決意のようなものすら感じました。僕もこんなふうに、誰かに夢中で読んでもらえるような作品を書いてみたい。そんな作品で江戸川乱歩賞を獲りたい。そう決意させるような一作でした。
後に知ったことですが、第五十一回の受賞者である薬丸岳さんも、この作品を読んで乱歩賞を目指そうと思い立ったそうです。そのぐらい、パワーのある作品なのだと思います。
余談ですが、他の乱歩賞受賞作ですと、戸川昌子さんの『大いなる幻影』、岡嶋二人さんの『焦茶色のパステル』なども大好きです。もっと言えば、これは受賞作ではなく候補作ですが、岡嶋二人さんの『あした天気にしておくれ』からも強い影響を受けました。第六十七回、第六十八回と二年連続で誘拐ミステリを乱歩賞に送ったのも、確実にこの作品の影響があります。
以上のような経緯で乱歩賞への挑戦を始めたわけですが、二回目の応募という比較的早い段階で最終候補になるところまではたどり着いたものの、そこからなかなか先に進むことができませんでした。気づけば三年連続で最終候補になってから落選という、とても苦しい状態に陥っていました。
落選回の選評を読んでも、別にボロクソに貶されているわけではなく、むしろ「まとまりがいい」とか「このまま商業出版されていてもおかしくない」なんてことが書いてあるのです。しかし、受賞作には選ばれない。これはいったいどういうことなんだ、これならいっそのこと他の新人賞に目標を切り替えたほうがいいのではないかと、うじうじ悩んだこともありました。
それでも諦めの悪さに定評のある僕は、懲りずに乱歩賞への応募を続けました。そもそも乱歩賞チャレンジャーの中には、十年選手や、二十年選手だっているのです。横関大さんや下村敦史さんのように、複数回の最終候補を経てから受賞し、その後、大活躍している乱歩賞作家もいらっしゃいます。自分もこの最後の一歩を突破できれば、先輩たちのように活躍できる作家になれるかもしれない。そう信じて必死に原稿を書きました。
結果からいえば、諦めなくて本当によかったです。おかげでこうして推理作家協会の会員になることもできました。
もっとも、ここはあくまでスタートラインに過ぎません。あとはここからどれだけ読者を楽しませる作品を書き続けられるか、本当の勝負が待っています。初心を忘れることなく、引き続き精進していきたいと考えておりますので、皆様どうぞよろしくお願いいたします。