「北森鴻氏のこと、東日本大震災のこと」
一九七回土曜サロン 二〇一四年三月十四日
東日本大震災から三年を迎えた二〇一四年三月の土曜サロンは協会員の愛川晶氏から北森鴻氏と東日本大震災についてお話を伺った。
愛川さんは福島県で高校教師を務めながら作家活動をされている。北森さんとは年度は異なるが共に鮎川賞受賞者という縁があり、あるとき東京創元社での打ち合わせが一緒だったことから親しくなった。お二人にはもうひとつ共通項があり、それはお酒。周囲の作家仲間は飲まない人が多かったので、お酒が好きな二人は意気投合するようになった。無邪気で寂しがり屋だった北森さんは電話魔でもあったという。受話器の向こうからウイスキーの氷の音を響かせながら他愛のないことよく電話をかけてきたそうだ。
短編の名手と呼ばれていた北森さんだが、短編だけでなく長編にも優れた作品が多い。個人的に一番好きな作品は『蜻蛉始末』。歴史小説としてもすばらしく、これは直木賞にノミネートされてもいいと思ったのに残念なことに候補にもならなかった。
きっちりと取材し、編集者からの急な依頼にもすぐに応じるなど才能のある人なので一般小説も書けたのではと思うが、最後まで本格ミステリの書き手であったと思う。それを強く感じたのは『暁英 贋説・鹿鳴館』。最初どうしてこういう枠組なのか不思議に思ったが、それは北森さんにとって本格ミステリであるために必要な条件だったのだ。
上京すると必ず会い、家に泊めていただいたこともあったが、郷里の山口へ戻られてからはさすがにお会いできる機会がなくなっていた。訃報は突然だったが、葬儀も急だった。そのため学生時代の友人や作家仲間は誰も参列できなかった。このままお別れする機会がないのは寂しいと思い、「北森鴻さんを偲ぶ会」を企画したが、亡くなられてから一年以上が経っていたこともあり準備には大変苦労した。
偲ぶ会ではミステリーチャンネルでのインタビュー映像と生前の北森さんの数多くの写真を上映。写真に関してはご家族や学生時代のご友人、いくつかの出版社に協力していただいたので、ご両親も見たことのないような貴重な写真も含まれている。
会の出席者は一〇〇名を超えた。北森さんのご家族と友人、作家仲間と編集者、そして数多くのファンに加え、推理作家協会を代表して当時の理事長の東野圭吾氏と本格ミステリ作家クラブからは当時の会長だった辻真先氏も出席してくださった。これには北森さんのご両親もとても喜んでくださったそうだ。今回、土曜サロンの講師を引き受けたのはこのことへの恩返しの意味もあるそうです。東野圭吾さん、あのときは出席してくださってありがとうございました。
「北森鴻さんを偲ぶ会」は二〇一三年三月五日、そして翌週の三月十一日に東日本大震災が起きた。だからこのふたつのことは愛川さんの中では強く結びついている。
勤め先の学校のある伊達市で被災した。伊達市は沿岸側ではないので津波の被害はなかったが、震度六弱と揺れは激しかった。校庭へすぐに避難したが、校舎の壁がみるみる崩れていくのが見えたという。
福島市の自宅へ戻ると、書斎が大変なことになっていた。本棚に収まりきれない本をコンテナに詰めて本棚の上に置いといたが、それらが落ちていた。もし在宅時だったら大けがをしていたかもしれない。
被災して教訓にしたいのは生活用水。トイレや洗濯に使う水がない。水道が止まる前に風呂に水を張っておけばよかったと後で気が付いた。ちなみに飲料水は思ったよりひんぱんに給水車が来てくれたが、こちらも水を運ぶ器がなくて苦労した。ペットボトルの二リットル程度では全く足りず、ポリタンクがあればと気付いた時にはすでに売り切れていた。ガソリンにも苦労した。震災直後ならまだ普通に営業していたガソリンスタンドもあったから、そのとき入れておけばと後悔した。
仕事も大変なことになっていた。校舎は立ち入れないので、授業は体育館で行ったが、仕切りもなく風通しも悪い。かなり劣悪な状況だった。しかし逆に生徒たちは今までにないぐらい真剣な態度で聞いてくれた。
生徒たちの就職先も苦労した。地元はほぼ壊滅状態なので他県や避難先などの求職を探し回り、なんとかほぼ全員の希望を叶えることができた。これはとてもうれしかった。今、福島県の高校生への求人はかつてない数が来ている。需要がものすごく増えているそうだ。
震災直後は福島県に対して様々なことを言われた。根拠のないことでひどく罵倒されたこともある。放射能についての報道についても一方的でないかと感じたこともある。なにがいいのかははっきりと言えないが、福島県在住の小児科医の方のブログ「ひまわりの種」(http://blog.goo.ne.jp/yi78042/m/201106)に書かれたことが自分の心情に一番近い。
震災について書かないのかという質問を編集者から受けたことはあるが、今のところ考えてない。ただ定年が四年後なので、それを過ぎたらもしかしたらとは思っている。
【参加者】石井春生、新保博久、直井明、長谷川卓也、響由布子、本多正一、水島裕子、桃さくら
【オブザーバー】鍋谷伸一、矢島久美子
愛川さんは福島県で高校教師を務めながら作家活動をされている。北森さんとは年度は異なるが共に鮎川賞受賞者という縁があり、あるとき東京創元社での打ち合わせが一緒だったことから親しくなった。お二人にはもうひとつ共通項があり、それはお酒。周囲の作家仲間は飲まない人が多かったので、お酒が好きな二人は意気投合するようになった。無邪気で寂しがり屋だった北森さんは電話魔でもあったという。受話器の向こうからウイスキーの氷の音を響かせながら他愛のないことよく電話をかけてきたそうだ。
短編の名手と呼ばれていた北森さんだが、短編だけでなく長編にも優れた作品が多い。個人的に一番好きな作品は『蜻蛉始末』。歴史小説としてもすばらしく、これは直木賞にノミネートされてもいいと思ったのに残念なことに候補にもならなかった。
きっちりと取材し、編集者からの急な依頼にもすぐに応じるなど才能のある人なので一般小説も書けたのではと思うが、最後まで本格ミステリの書き手であったと思う。それを強く感じたのは『暁英 贋説・鹿鳴館』。最初どうしてこういう枠組なのか不思議に思ったが、それは北森さんにとって本格ミステリであるために必要な条件だったのだ。
上京すると必ず会い、家に泊めていただいたこともあったが、郷里の山口へ戻られてからはさすがにお会いできる機会がなくなっていた。訃報は突然だったが、葬儀も急だった。そのため学生時代の友人や作家仲間は誰も参列できなかった。このままお別れする機会がないのは寂しいと思い、「北森鴻さんを偲ぶ会」を企画したが、亡くなられてから一年以上が経っていたこともあり準備には大変苦労した。
偲ぶ会ではミステリーチャンネルでのインタビュー映像と生前の北森さんの数多くの写真を上映。写真に関してはご家族や学生時代のご友人、いくつかの出版社に協力していただいたので、ご両親も見たことのないような貴重な写真も含まれている。
会の出席者は一〇〇名を超えた。北森さんのご家族と友人、作家仲間と編集者、そして数多くのファンに加え、推理作家協会を代表して当時の理事長の東野圭吾氏と本格ミステリ作家クラブからは当時の会長だった辻真先氏も出席してくださった。これには北森さんのご両親もとても喜んでくださったそうだ。今回、土曜サロンの講師を引き受けたのはこのことへの恩返しの意味もあるそうです。東野圭吾さん、あのときは出席してくださってありがとうございました。
「北森鴻さんを偲ぶ会」は二〇一三年三月五日、そして翌週の三月十一日に東日本大震災が起きた。だからこのふたつのことは愛川さんの中では強く結びついている。
勤め先の学校のある伊達市で被災した。伊達市は沿岸側ではないので津波の被害はなかったが、震度六弱と揺れは激しかった。校庭へすぐに避難したが、校舎の壁がみるみる崩れていくのが見えたという。
福島市の自宅へ戻ると、書斎が大変なことになっていた。本棚に収まりきれない本をコンテナに詰めて本棚の上に置いといたが、それらが落ちていた。もし在宅時だったら大けがをしていたかもしれない。
被災して教訓にしたいのは生活用水。トイレや洗濯に使う水がない。水道が止まる前に風呂に水を張っておけばよかったと後で気が付いた。ちなみに飲料水は思ったよりひんぱんに給水車が来てくれたが、こちらも水を運ぶ器がなくて苦労した。ペットボトルの二リットル程度では全く足りず、ポリタンクがあればと気付いた時にはすでに売り切れていた。ガソリンにも苦労した。震災直後ならまだ普通に営業していたガソリンスタンドもあったから、そのとき入れておけばと後悔した。
仕事も大変なことになっていた。校舎は立ち入れないので、授業は体育館で行ったが、仕切りもなく風通しも悪い。かなり劣悪な状況だった。しかし逆に生徒たちは今までにないぐらい真剣な態度で聞いてくれた。
生徒たちの就職先も苦労した。地元はほぼ壊滅状態なので他県や避難先などの求職を探し回り、なんとかほぼ全員の希望を叶えることができた。これはとてもうれしかった。今、福島県の高校生への求人はかつてない数が来ている。需要がものすごく増えているそうだ。
震災直後は福島県に対して様々なことを言われた。根拠のないことでひどく罵倒されたこともある。放射能についての報道についても一方的でないかと感じたこともある。なにがいいのかははっきりと言えないが、福島県在住の小児科医の方のブログ「ひまわりの種」(http://blog.goo.ne.jp/yi78042/m/201106)に書かれたことが自分の心情に一番近い。
震災について書かないのかという質問を編集者から受けたことはあるが、今のところ考えてない。ただ定年が四年後なので、それを過ぎたらもしかしたらとは思っている。
【参加者】石井春生、新保博久、直井明、長谷川卓也、響由布子、本多正一、水島裕子、桃さくら
【オブザーバー】鍋谷伸一、矢島久美子