「柳生新陰流と私」
一九九九年にデビューし、剣豪小説を中心に時代モノを書いて参りました。この度は、推理作家協会に入会させていただき、とても光栄に思っております。
私が時代モノの魅力にとりつかれたきっかけはテレビの時代劇でした。その後、自分でも物語を作ってみたくなり、学生時代に執筆を開始、時代小説大賞(講談社・朝日放送共催)に応募しました。この賞に六回も挑み、二十八歳の時、過去の最終候補作であった『双眼』を単行本化してもらうことができました。
二十代、就職先の会社もすぐにやめた私は、ほとんどプー太郎として過ごしました。今でいえばニートですが、バブル崩壊直後の当時は、極めてマイナーな無職の若者でした。
この時に出会ったのが古武術の世界です。柳生新陰流の剣術を学んだほか、様々な武人から教えを受けて、手裏剣術の稽古にも励みました。古い武術の身体操法は、今の私たちが体育で習うような考え方とはまるで違うことに驚きました。
「小よく大を制す」「柔よく剛を制す」で、ベタな筋トレなどはいらず、小さくて非力な私にも希望のある世界でした。端的にいえば、今の柔道は体重別で戦いますが、昔の柔術はそのような階級もルールも何もない中で行なわれ、小柄な老師範が、大きくて俊敏な若者を軽々投げ飛ばしたというようなことがあったのです。
三十代は、この武術に凝り過ぎた感もありました。そこで得た理や感覚を、独自の形で小説にも随分、書き込んでいきました。近年は、次第にまたテレビ時代劇のような娯楽性の高いものが書きたいと思うようになり、チャンバラシーンに理屈を書くことを控え始めたところです。
それでも、古武術の理は非常に優れたものであり、小さな労力で大きな仕事を行うための知恵の宝庫だと、いつも感じています。しかも、様々なことに応用が可能ですから、そのことは今も、ノンフィクション等で発信し続けています。
中でも、「人を切らない平和の剣」といわれる柳生新陰流は、対人関係やビジネス、コミュニケーションの仕方などに活かせます。今は弱肉強食の時代といわれますが、そうでない関係性が生み出せるのです。
「切ろうとするから、切られる」「勝とうとするから、負ける」これが柳生流の基本法則です。何事も、こうと決めてかかったり、執着すると失敗を招くという理があります。力の強弱にかかわらず、心身が柔らかく自由であること。落ち着いて周りをよく把握していること。そういう状態を保つ「兵法」が、生き残りの鍵なのです。
一昨年から三重県の伊賀市に住み、忍者・忍術についても本格的に学び始めましたが、柳生新陰流の発想と驚くほど一致しています。
どちらも表と裏を巧みに使い分け、自分も敵も少ないダメージで争いを収めようとします。忍者は少数で、何千何万という兵の守る城へ潜入し、情報戦や奇襲を仕かけて大部隊を崩壊させますから、まさに「小よく大を制す」の世界です。
個人的には、小柄で体力もなく、知識もあまりないタイプの人間ゆえ、これらの発想にはとても救われます。どんな人間でも、やり方次第で必ず生きる道はあると思えるのです。
子どもの頃は、小さいことにコンプレックスをもっていました。小学六年生の時、近所の大柄な一年生とほとんど身長が同じで、私の六年間は一体何だったのかと落ち込んだこともあります。会社などでも、体の弱い私は常に疲れ果てていて、満足な働きができませんでした。自分など無用な人間だと思い込んでいた時期も長くあります。
しかし、四十を過ぎた今、やっと自分が弱く小さいことが、必然であり、むしろ役に立つのだと実感できるようになりました。例えば、古武術や柳生新陰流の法則を講演などで説明する際、私は実演を交えるのですが、これを大きくて、いかにも強そうな人がやると、真意が伝わりづらいと思います。私のような人間が動くことによって、本当に力技ではないという理が、明確な印象とともに、多くの人の心に届くのです。
作家としてはまだまだ勉強不足ですが、ユニークさをもって、文芸の世界に新しい観点を吹き込むのが私の仕事だと思っております。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
私が時代モノの魅力にとりつかれたきっかけはテレビの時代劇でした。その後、自分でも物語を作ってみたくなり、学生時代に執筆を開始、時代小説大賞(講談社・朝日放送共催)に応募しました。この賞に六回も挑み、二十八歳の時、過去の最終候補作であった『双眼』を単行本化してもらうことができました。
二十代、就職先の会社もすぐにやめた私は、ほとんどプー太郎として過ごしました。今でいえばニートですが、バブル崩壊直後の当時は、極めてマイナーな無職の若者でした。
この時に出会ったのが古武術の世界です。柳生新陰流の剣術を学んだほか、様々な武人から教えを受けて、手裏剣術の稽古にも励みました。古い武術の身体操法は、今の私たちが体育で習うような考え方とはまるで違うことに驚きました。
「小よく大を制す」「柔よく剛を制す」で、ベタな筋トレなどはいらず、小さくて非力な私にも希望のある世界でした。端的にいえば、今の柔道は体重別で戦いますが、昔の柔術はそのような階級もルールも何もない中で行なわれ、小柄な老師範が、大きくて俊敏な若者を軽々投げ飛ばしたというようなことがあったのです。
三十代は、この武術に凝り過ぎた感もありました。そこで得た理や感覚を、独自の形で小説にも随分、書き込んでいきました。近年は、次第にまたテレビ時代劇のような娯楽性の高いものが書きたいと思うようになり、チャンバラシーンに理屈を書くことを控え始めたところです。
それでも、古武術の理は非常に優れたものであり、小さな労力で大きな仕事を行うための知恵の宝庫だと、いつも感じています。しかも、様々なことに応用が可能ですから、そのことは今も、ノンフィクション等で発信し続けています。
中でも、「人を切らない平和の剣」といわれる柳生新陰流は、対人関係やビジネス、コミュニケーションの仕方などに活かせます。今は弱肉強食の時代といわれますが、そうでない関係性が生み出せるのです。
「切ろうとするから、切られる」「勝とうとするから、負ける」これが柳生流の基本法則です。何事も、こうと決めてかかったり、執着すると失敗を招くという理があります。力の強弱にかかわらず、心身が柔らかく自由であること。落ち着いて周りをよく把握していること。そういう状態を保つ「兵法」が、生き残りの鍵なのです。
一昨年から三重県の伊賀市に住み、忍者・忍術についても本格的に学び始めましたが、柳生新陰流の発想と驚くほど一致しています。
どちらも表と裏を巧みに使い分け、自分も敵も少ないダメージで争いを収めようとします。忍者は少数で、何千何万という兵の守る城へ潜入し、情報戦や奇襲を仕かけて大部隊を崩壊させますから、まさに「小よく大を制す」の世界です。
個人的には、小柄で体力もなく、知識もあまりないタイプの人間ゆえ、これらの発想にはとても救われます。どんな人間でも、やり方次第で必ず生きる道はあると思えるのです。
子どもの頃は、小さいことにコンプレックスをもっていました。小学六年生の時、近所の大柄な一年生とほとんど身長が同じで、私の六年間は一体何だったのかと落ち込んだこともあります。会社などでも、体の弱い私は常に疲れ果てていて、満足な働きができませんでした。自分など無用な人間だと思い込んでいた時期も長くあります。
しかし、四十を過ぎた今、やっと自分が弱く小さいことが、必然であり、むしろ役に立つのだと実感できるようになりました。例えば、古武術や柳生新陰流の法則を講演などで説明する際、私は実演を交えるのですが、これを大きくて、いかにも強そうな人がやると、真意が伝わりづらいと思います。私のような人間が動くことによって、本当に力技ではないという理が、明確な印象とともに、多くの人の心に届くのです。
作家としてはまだまだ勉強不足ですが、ユニークさをもって、文芸の世界に新しい観点を吹き込むのが私の仕事だと思っております。
どうぞよろしくお願い申し上げます。