「イラスト雑談」
一九八回土曜サロン 二〇一四年四月十九日
二〇一四年四月の土曜サロンは画家・イラストレーターの楢喜八氏をお招きした。楢さんの絵は「ミステリマガジン」「SFマガジン」等で見たことのある方が多いだろう。人前で話すのは得意ではないとのことなので持参された作品を拝見しながら雑談形式でお話を伺った。
楢さんはこどものころ山川惣治『少年王者』がきっかけで絵を描き始め、いつか東京で絵の仕事をしたいと思い、金沢市立美術大学を卒業後に上京。しかし、しばらくは絵の仕事に恵まれず、服の織りネームの下書きや、晴海の見本市会場で商品説明等のパネル描きなどをされていた。やがて子どもが生まれるのを機に、奥さんの友達の親戚の紹介で早川書房を訪ねたところ、当時の編集長だった太田さんからすぐに仕事を依頼され、翌月の「ミステリマガジン」オーガスト・ダーレス『ダーク・ボーイ』の挿絵でデビュー。
それからが大変だったという。「ミステリマガジン」でほぼ毎月レギュラーのように描き、「SFマガジン」からも依頼され、「オール読物」、「小説新潮」、「小説現代」、SFの挿絵の仕事も来るようになったが、雑誌の仕事は締切が重なることが多いので毎月前半はとても忙しかったそうだ。デビューした六〇年代後半は経済成長に伴い出版関係にも勢いがあり、読む雑誌から見る雑誌が増えていたことも仕事の多さにつながったのかもしれない。
ちなみに挿絵を描く際は読みながら自分でシーンを選ばれるそうだ。大体クライマックスの手前辺りが一番絵になるそうでイメージするのに苦労したことはないとか。また作家や編集者から注文がつくこともないそうである。
使う紙の大きさは原寸の1.2倍から1.5倍、B2からB3くらい。目が疲れるのと、点描調の作業が大変なので、最近はあまり大きい紙は使わないとのこと。またデジタルで描かないのかと時々聞かれるが、点描で微妙なグラデーションを出すためにはやはり手書きに限るそうである。
「ミステリマガジン」では怪奇幻想系の作品の挿絵が多く、刑事ものは少なかった。ドタバタものが好きなのでウェストレイクは描きやすかったそうだ。印象に残っているミステリはロバート・L・フィッシュの「シュロック・ホームズ」とウィリアム・H・ホジスン。ホジスンの『異次元を覗く家』。ホジスンは表紙とカラー口絵と挿絵を描かせてもらった。
日本の作家だと日影丈吉さんや阿刀田高さんとのお付き合いが古い。とくに阿刀田さんはKKベストセラーズのワニの豆本のブラックユーモア的なショートショートの挿絵をよく描かせていただいた。泡坂妻夫さんの「亜愛一郎」シリーズも印象深い。「幻影城」で泡坂さんとのお付き合いが始まったが、『敷島の道』(『幻影城の時代』講談社刊)の挿絵を描いた翌年、最後の作品となった「オール読物」二〇〇九年四月号掲載の『ヨギ ガンジー、最後の妖術』の挿絵を泡坂さんの奥様の指名により描かせていただいた。デビュー作で描いて遺稿で描くという不思議な縁になった。
今も続いている『学校の怪談』はワニの豆本の阿刀田さんの挿絵を目にした常光徹氏からのオファーだとか。『学校の怪談』は最初に出たのが一九九〇年、そこから毎年一冊ずつ九巻まで出ていて、二〇〇五年から『新・学校の怪談』復活し五冊出たが、その後も続いていて今はアルファベットでE巻まで出ている。何度か映画化もされていて今年も新作が封切られている。最初に『学校の怪談』の読者だった世代がそろそろ親になっているので最近の若い読者はそのこどもにあたるかもしれない。六〇年代のファンはSF・ミステリ・怪奇幻想系から入った人が多く、その次の世代はワニの豆本、そしてその後の世代は『学校の怪談』が多いそうだが、デビューされてから現在までどの世代にももれなくファンがいることは楢さんのすごさといえよう。
『学校の怪談』ではコミックではまるまる一冊担当したこともあった。今までの怪談の中から好きなのを十七本選んで入れ、またコミックスとしては凝った作りもしてみたが、児童書コーナーに置かれたせいかあまり売れなかった。今ではプレミアが付いているらしい。復刊を望む声も多いそうなので実現してほしいと願っている。
今までも個展は何度か開催されているが、いつかそのうちミステリ・SF・怪奇幻想系のモノクロのイラストをメインにした個展もやってみたいと思われているとか。古くからのミステリ・SF・怪奇幻想系のファンとしては実現を願ってやまないだろう。
【参加者】芦辺拓、石井春生、植草昌美、加納一朗、笹川吉晴、七瀬晶、長谷川卓也、響由布子、本多正一、両角長彦
【オブザーバー】沢口安史、山口雄也
楢さんはこどものころ山川惣治『少年王者』がきっかけで絵を描き始め、いつか東京で絵の仕事をしたいと思い、金沢市立美術大学を卒業後に上京。しかし、しばらくは絵の仕事に恵まれず、服の織りネームの下書きや、晴海の見本市会場で商品説明等のパネル描きなどをされていた。やがて子どもが生まれるのを機に、奥さんの友達の親戚の紹介で早川書房を訪ねたところ、当時の編集長だった太田さんからすぐに仕事を依頼され、翌月の「ミステリマガジン」オーガスト・ダーレス『ダーク・ボーイ』の挿絵でデビュー。
それからが大変だったという。「ミステリマガジン」でほぼ毎月レギュラーのように描き、「SFマガジン」からも依頼され、「オール読物」、「小説新潮」、「小説現代」、SFの挿絵の仕事も来るようになったが、雑誌の仕事は締切が重なることが多いので毎月前半はとても忙しかったそうだ。デビューした六〇年代後半は経済成長に伴い出版関係にも勢いがあり、読む雑誌から見る雑誌が増えていたことも仕事の多さにつながったのかもしれない。
ちなみに挿絵を描く際は読みながら自分でシーンを選ばれるそうだ。大体クライマックスの手前辺りが一番絵になるそうでイメージするのに苦労したことはないとか。また作家や編集者から注文がつくこともないそうである。
使う紙の大きさは原寸の1.2倍から1.5倍、B2からB3くらい。目が疲れるのと、点描調の作業が大変なので、最近はあまり大きい紙は使わないとのこと。またデジタルで描かないのかと時々聞かれるが、点描で微妙なグラデーションを出すためにはやはり手書きに限るそうである。
「ミステリマガジン」では怪奇幻想系の作品の挿絵が多く、刑事ものは少なかった。ドタバタものが好きなのでウェストレイクは描きやすかったそうだ。印象に残っているミステリはロバート・L・フィッシュの「シュロック・ホームズ」とウィリアム・H・ホジスン。ホジスンの『異次元を覗く家』。ホジスンは表紙とカラー口絵と挿絵を描かせてもらった。
日本の作家だと日影丈吉さんや阿刀田高さんとのお付き合いが古い。とくに阿刀田さんはKKベストセラーズのワニの豆本のブラックユーモア的なショートショートの挿絵をよく描かせていただいた。泡坂妻夫さんの「亜愛一郎」シリーズも印象深い。「幻影城」で泡坂さんとのお付き合いが始まったが、『敷島の道』(『幻影城の時代』講談社刊)の挿絵を描いた翌年、最後の作品となった「オール読物」二〇〇九年四月号掲載の『ヨギ ガンジー、最後の妖術』の挿絵を泡坂さんの奥様の指名により描かせていただいた。デビュー作で描いて遺稿で描くという不思議な縁になった。
今も続いている『学校の怪談』はワニの豆本の阿刀田さんの挿絵を目にした常光徹氏からのオファーだとか。『学校の怪談』は最初に出たのが一九九〇年、そこから毎年一冊ずつ九巻まで出ていて、二〇〇五年から『新・学校の怪談』復活し五冊出たが、その後も続いていて今はアルファベットでE巻まで出ている。何度か映画化もされていて今年も新作が封切られている。最初に『学校の怪談』の読者だった世代がそろそろ親になっているので最近の若い読者はそのこどもにあたるかもしれない。六〇年代のファンはSF・ミステリ・怪奇幻想系から入った人が多く、その次の世代はワニの豆本、そしてその後の世代は『学校の怪談』が多いそうだが、デビューされてから現在までどの世代にももれなくファンがいることは楢さんのすごさといえよう。
『学校の怪談』ではコミックではまるまる一冊担当したこともあった。今までの怪談の中から好きなのを十七本選んで入れ、またコミックスとしては凝った作りもしてみたが、児童書コーナーに置かれたせいかあまり売れなかった。今ではプレミアが付いているらしい。復刊を望む声も多いそうなので実現してほしいと願っている。
今までも個展は何度か開催されているが、いつかそのうちミステリ・SF・怪奇幻想系のモノクロのイラストをメインにした個展もやってみたいと思われているとか。古くからのミステリ・SF・怪奇幻想系のファンとしては実現を願ってやまないだろう。
【参加者】芦辺拓、石井春生、植草昌美、加納一朗、笹川吉晴、七瀬晶、長谷川卓也、響由布子、本多正一、両角長彦
【オブザーバー】沢口安史、山口雄也