1987年 第40回 日本推理作家協会賞 短編および連作短編集部門
1987年 第40回 日本推理作家協会賞
短編および連作短編集部門
該当作品無し
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
- 中島河太郎[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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第四十回日本推理作家協会賞の選考は、昭和六十一年一月一日より十二月三十一日までに刊行された長編、各雑誌の一月号から十二月号までに掲載された短編および連作短編集を対象として、例年通り昨年末から選考に着手した。
まず協会員をはじめ出版関係者など各方面にアンケートを求め、その回答結果を参考にして、長編三六三編、短編六四四編、連作短編集二八編、評論その他の部門八編をそれぞれリスト・アップした。
これらの諸作品を協会より委嘱した部門別予選委員一四氏が選考に当たり、長編部門は十編、短編部門は四一編、連作短編集部門は四編、評論その他の部門は四編を二次予選に残し、二月二十日と二十三日の両日、協会書記局において最終予選委員会を開催した。それによって既報の通り、長編四編、短編四編、評論その他の部門二編の候補作が選出された。
この候補作を理事会の承認を得て、本選考委員会に回付した。
本選考委員会は三月二十六日午後五時より、新橋第一ホテル新館・柏の間にて開催。青木雨彦、佐野洋、夏堀正元、藤沢周平、山村正夫の五選考委員が出席、理事長中島河太郎が立会い理事として司会し、各部門ごとに活発な意見が述べられ、慎重な審議が行なわれた。
その結果、短編および連作短編集部門は該当作品がなかったが、長編部門と評論その他の部門では、別項の通り授賞作が決定した。選考内容については各選考委員の選評を参照していただきたい。閉じる
選評
- 青木雨彦[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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わたしは、逢坂剛氏の「カディスの赤い星」と伊藤秀雄氏の「明治の探偵小説」を推し、高橋克彦氏の「北斎殺人事件」を推す人があれば反対しないという立場で臨んだので、この結果はすこぶる満足している。ただし逢坂氏の長編「カディスの赤い星」はすでに直木賞を受賞していることでもあり、むしろ短編部門で「クリヴィツキー症候群」に賞を与えては――といった意見には大いに食指を動かされた。この際、逢坂氏には短編にも力を注いでもらいたいと思ったからである。
逢坂氏は、長編部門で二作、短編部門で一作、都合三作が候補に挙げられた。そのことだけでも、氏の力倆がじゅうぶんに証明されたようなものだが、作品としては、いくつかの欠点はあるものの、やはり「カディスの赤い星」がいちばん面白かった。欠点の最大のものは、一言で言えば「現実の人間は、こんなにカッコいい奴ばかりではない」ということだろう。登場人物に、もう少しヤボったさが欲しかった。
そのことは、逆に中町氏の「十和田湖殺人事件」にも言える。もっとも、中町氏の場合は「現実の人間は、こんなに卑しい奴ばかりではない」と言わなければならないかも知れないが・・・。
高橋氏の「北斎殺人事件」では、絵の真贋をめぐるトリックに、私は快くひっかかった。ひるがえって現在進行形の殺人事件に関しては、いかにも登場人物が少なすぎ、最も怪しい人物は犯人ではないという推理小説の常識を弁えて読めば、犯人は"この人"以外に考えられないところがヨワい。
しかし、古来、名作のトリックは、意外に単純だった。受賞が氏にとって一つの弾みになれば、楽しい。
伊藤氏の「明治の探偵小説」は、文字通りの労作である。現役の作家たちについて「彼もし明治の人間なりせば」といった観点から読むのも一興ではなかろうか。閉じる
- 佐野洋[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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残念なことに、ことしも短編部門には受賞作が出なかった。候補作には、それぞれ趣向が凝らされており、おもしろく読んだのだが、人生の断面を切り取ってミステリーとして提示するといった、言い換えれば『短編らしい短編』とは程遠いものばかりだった。新たな小説雑誌の創刊もあり、毎月の小説雑誌には、必ず推理小説が載っているのに、三年続いて短編部門が『該当作なし』に終わったのはどうしてなのだろう。二年ほど前ある作家が「短編を書くのは割があわない」と言っているのを耳にしたが、ほかの人たちも同じようなことを考えているのだろうか。また作家にそんな気持を持たせるような事情が出版界にあるのだろうか。
短編が不振だったのに反し、長編部門では受賞作が二つ出た。逢坂剛氏『カディスの赤い星』は前半部の謎とサスペンスがすばらしい。後半部スペインに舞台が移ってからは、ストーリーが都合よく運び過ぎたり、平然と人を殺す場面が多過ぎたりで、私はいささか辟易した。ミステリーの賞にふさわしいか、と考えもした。だが前半部のおもしろさは抜群であり、昌の贈呈に賛成した。
高橋克彦氏『北斎殺人事件』では、北斎が隠密ではないかという歴史の謎の提示とその証明手続きが実にみごとだったが、しかもその謎が現実の殺人事件の伏線になっており、浮世絵に造詣が深いこの作者ならではの世界を作り上げている。これまでになかったアイデアも含まれており、その点にも感心した。
評論その他の部門、伊藤秀雄氏の『明治の探偵小説』には、教えられるところが多かった。評論の方法自体は、とくに独創性があるとは言えないかもしれないが、研究の丹念さには、敬服のほかはない。今回の賞の贈呈は、こうした地味な研究を続けられて来られた氏に対する、推理小説界からの感謝と受け取っていただきたい。閉じる
- 夏堀正元[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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現実逃避型症候群におかされている多くの日本人の状況と、まったくみあった形で大量生産される推理小説では、日本の現実や社会矛盾は殆んど描かれない。そのうえ、読者の読解力や想像力が低下して、小説の味わい方が浅くなっていることが加わって、何回目かの推理ものブームが生れている。
これは推理小説の<質>の面で、大いに考えなければならないことであろう。仕掛けばかりで人間が描けていないという批判は、これまでもあったが、現在こそこの批判を粉砕する作品がでてもよい。だが、実情はブームというみせかけの陰で、すでに衰弱が始まっているように思えてならない。
その意味では、今回は長編・短編ともに現実(社会)への切り込みのない作品が多かった。しかし、そのなかにあって高橋克彦さんの「北斎殺人事件」は、抑制された静かさのうちに緊張を湛えており、作者の丁寧で真摯な小説づくりに好感をもてた。わたしはこの一作を推した。ただ注文をつけるとすれば、男女関係の描き方が浅くて弱い点である。わたしは犯人の正体が割れていることにはこだわらないが、男女の感情の描写が一面的なために、犯人像が魅力を薄めているのは否めないと思う。
逢坂剛さんの「カディスの赤い星」は評判どおり、たしかに面白かった。とくに前半のPRマン、PRウーマンの描写にはリアリティがあった。だが、文章が新しいようでいて実は古いと感じられたのは、作者の独創性の問題にかかわっているのではないか――そのことが最後まで気になった。やたらに殺人場面の多い活劇が展開されるスペインに舞台が移ってから、それはさらにきわだった。
評論では、選考委員の青木雨彦さんの熱弁に魅せられているうちに、伊藤秀雄さんの労作「明治の探偵小説」に一票を投じた。閉じる
- 藤沢周平選考経過を見る
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<長編部門>逢坂さんの「百舌の叫ぶ夜」は、この作者が得意のスペイン物から転進して新生面をひらいた秀作。また「カディスの赤い星」はさきに直木賞を受賞した作品で、どちらもすでに高い世評を得ている作品である。改めて賞の対象として吟味すれば、少々の瑕瑾は眼につくものの、逢坂さんが久びさに現われた推理小説界の秀才であることは疑問の余地がなく、私は二作のどちらが受賞してもかまわないだろうと思った。
また高橋さんの「北斎殺人事件」では、私はプロローグの贋作の仕立て方にまず感心した。この贋作の謎解きもおもしろく、また関連する殺人事件も処理も、以前の「写楽殺人事件」よりはるかにうまくなっている。これに北斎の謎がからみ、隠密説の当否はともかく作者のこの方面の薀蓄が小説の厚みになっていて、これも受賞に値する作品と思った。
前記の作品にくらべると、中町さんの「十和田湖殺人事件」は、謎の設定、読者を謎に誘いこむテクニックなどに推理小説のおもしろさはあるものの、あちこちに無理があり、また文章も粗くて受賞圏に達しなかった。
<短編部門>中津さんの「遠眼鏡の女」は、女の裸体体操とか、それを見るために望遠鏡が七本も売れたというのは、ありそうで現実にはあり得ないだろうと思われるところが損。大沢さんの「スウィッチ・ブレード」は、ゲームを読まされているようで現実感が乏しかった。小杉さんの「赤い証言」は、ポイントとなる女性の偽証がある偶然を理由にしているところが弱い。ただしこの人の作品には、人間の体温が感じられる。逢坂さんの「クリヴィツキー症候群」も短編として上出来とは言えず(この連作では「謀略のマジック」の方がおもしろい)結局短編賞なしに賛成したが、短編不振の傾向は少々さびしい。
<評論その他の部門>伊藤さんの「明治の探偵小説」はいわゆる名論卓説とか、特別の発見とかがあるわけではないけれども、「『ブラウン神父』ブック」と読みくらべたあとではこちらが印象に残る。一途なお仕事に敬意を表す賞があってもいいと思った。閉じる
- 山村正夫[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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今年は、長編部門の候補作がいずれも力作揃いだったが、四作の中で高橋克彦氏の「北斎殺人事件」に、私はもっとも感心させられた。「写楽殺人事件」以来、浮世絵を扱ったこの種の作品は、まさに氏の独壇場で、独自の世界が厳然として構築されている。今回は北斎隠密説が興味深く、状況証拠で固められているとはいえその論証は説得力が強い。ボストン市の殺人事件の背景に密接に結びついていて、推理小説的にも見事な成功を収めている。プロローグの地獄絵の描写も迫力があり、積極的に受賞に賛意を表した。
逢坂剛氏の「カディスの赤い星」は、千枚を越す大長編にもかかわらず破綻がなく、いっきに読ませた逞しい筆力に脱帽させられた。主人公のPRマンが、スペインへ行ってから別人のように颯爽とし過ぎ、危機を次々に脱するという設定が、他の委員の指摘同様、少々気にはなったが、冒険小説にはつきものの手法として、やむを得ないだろう。結末の意外性にも唸らせられた。その点「百舌の叫ぶ夜」の方は、趣向が凝っている割には感銘度が薄く、最後の登場人物の処理の仕方もスマートとはいえなかった。だが、逢坂氏はエンターティナーとしては稀に見る大器の素質を備えており、高橋氏とは対照的な意味で今後の活躍を期待したい。
中町信氏の「十和田湖殺人事件」は綿密に考え抜かれた緻密な構成の純粋本格作品ではあったが、全体的に複雑さが目立ち小説としてこなれていなかった上に、第二、第三の殺人に際し、刑事が毎度後手を踏む御都合主義がやはりひっかかり、強力に推せなかった。また短編賞部門は今回も残念ながら受賞を見送らざるを得なかった。これこそ珠玉の一篇といえるような作品を、待望する方に無理があるのだろうか。閉じる