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2020年 第73回 日本推理作家協会賞 評論・研究部門

2020年 第73回 日本推理作家協会賞
評論・研究部門受賞作

えんどうしゅうさくとたんていしょうせつ こんせきとついせきのぶんがく

遠藤周作と探偵小説 痕跡と追跡の文学

受賞者:金承哲(キムスンチョル)

受賞の言葉

 キリスト教神学を勉強する者として、今日における神学の「場」とは何か、その「場」においてキリスト教神学はどのように行われるべきなのか、という問いに私は常に関心をもっております。そのような関心の中で、遠藤周作の文学世界を築いている探偵小説と関連づけながら神学の可能性を模索しようとしたのが、拙著『遠藤周作と探偵小説 痕跡と追跡の文学』でした。探偵が現場に残された痕跡を手掛かりにして犯人を追いかけるように、人間は自分の中に刻み込まれているそれぞれの痕跡をもとにして、人間と世界の根拠としての神を追いかけるものでしょう。文学としての探偵小説は、そのような「観念」を主題化して扱うのではなく、その「観念」が「もの」として現前する様子を描きます。神学がこのような探偵小説の試みから学ぶことによって、もう一つの新しい可能性が開くのではないだろうか。この度日本推理作家協会賞をいただいたのは、私のそのような拙い試みの妥当性や可能性についてお認めいただき、またお励ましをいただいたと思いまして、心より感謝を申し上げる次第です。

選考

以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。

選考経過

選考経過を見る
 第七十三回日本推理作家協会賞の選考は、二〇一九年一月一日より二〇一九年十二月三十一日までに刊行された長編と連作短編集および評論集などと、小説誌をはじめとする各紙誌や書籍にて発表された短編小説を対象に、昨年十二月よりそれぞれ予選を開始した。
 長編および連作短編集部門と短編部門では、例年通り各出版社からの候補作推薦制度を適用した。なお推薦枠を持たない出版社からの作品については、従来通り予選委員の推薦によって選考の対象とした。
 長編および連作短編集部門では出版社推薦と予選委員の推薦による六十九作品、短編部門では出版社推薦と予選委員推薦による五〇四作品、評論・研究部門では三十七作品をリストアップし、協会が委嘱した部門別の予選委員がこれらの推薦にあたり、各部門の候補作を決定した。
 本選考会は当初四月二十三日(木)の開催を予定していたが、新型コロナウイルス流行による緊急事態宣言を受け延期。七月九日(木)午後三時より集英社アネックスビルにて開催した。長編および連作短編集部門は、出席・大沢在昌、門井慶喜、書面選考・法月綸太郎、馳星周、薬丸岳、立会理事・北村薫。短編部門と評論・研究部門は、出席・垣根涼介、深水黎一郎、麻耶雄嵩、山前譲、書面選考・長岡弘樹、立会理事・月村了衛の選考委員により各部門ごとに選考が行われた。
 受賞作決定後、翌十日午後一時より道尾秀介事業担当理事司会のもと、ZOOMによるリモート記者会見が行われた。
立会理事による選考経過を京極夏彦代表理事が代読、受賞者の呉勝浩氏、矢樹純氏は集英社から、金承哲氏は自宅よりZOOM参加、喜びの言葉を語った。
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月村了衛[ 会員名簿 ]選考経過を見る
短編部門
 今回は『夫の骨』が最初の投票から高得点を得た。文章に無駄がなく読み易い、展開に無理がない等の賛辞が寄せられる一方、結末部の告白が唐突で不自然との声もあった。しかしそれを説明すると短編としてのキレを失うとする意見もあり、協議の結果、最終的に異議なく授賞となった。
『神様』は土台となる設定に二重の偶然があることから構成力の難が指摘され、積極的な支持を得られなかった。『青い告白』は選考委員に総じて好印象を与えたものの、「突き抜けたものがない」という意見が大勢を占めた。『さかなの子』は文章、描写力、人物像等多くの点で問題が指摘され、評価を得られなかった。『コマチグモ』はパズラーとして評価する委員もいる一方、本格故に粗が目立つとする委員もいた。人物が記号的で小説としての滋味に欠けるとの声もあった。また題名が内容と一致しないという不満を複数の委員が述べていた。
評論・研究部門
 傾向の異なる候補作が揃ったこともあり、個々の作品が入念に検討された。
『ずっとこの雑誌のことを書こうと思っていた』は読み物としての面白さは殆どの委員の認めるところであったが、最終的にそれはコラムとしての面白さであり、評論ではないとする意見が大勢を占めた。『シャーロック・ホームズ語辞典』は労作であると認められたが、やはり評論ではないとして退けられた。逆引きができず辞書として使えないという意見もあった。『栗本薫と中島梓 世界最長の物語を書いた人』もまた、評伝であって評論ではないとされた。題材の良さを評価する声もあったが、対象との距離感が問題視された。『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本』は考察に深みがないという意見が多かった。『遠藤周作と探偵小説 痕跡と追跡の文学』は、研究論文らしい読みにくさが難とされたが、実作者として刺激を受けたと評する委員もいた。今回唯一の正統的評論であることからも授賞にふさわしい作品として意見の一致を見た。
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選評

垣根涼介[ 会員名簿 ]選考経過を見る
[短編部門]
「青い告白」――言葉選び、内面描写が的確で、すんなりと世界に入り込める。しかし、主人公の動機には合理性がない。教師を糾弾し、評判をさらに落とす事が目的なら、単に警察に通報し、現場から生徒の遺書を見つけさせれば良い。主人公がここまでのリスクを負う必要はない。
「神様」――構成に無駄はなく面白く読めるが、それも当然で、話の起点に相対する人物のすべてが同日同時刻のマックで出会うという、二重の偶然性を使っている。長めに仕立て直し、時間差を使ったほうがいい。
「コマチグモ」――話に破綻はないし、おかしな展開もない。だが、話の中心軸である母子像を浮かび上がらせるための、周囲からの掘り込みが甘く、情感がさほど盛り上がらない。また冒頭の一文に、この種の複文のさらなる重複を使う時点で、読者に対する書き手の構えと力量がほぼ推察されてしまう。意識して欲しい。
「さかなの子」――構成にも文章にも練度が足りない。読点の不用意な省略など、技術以前の問題もある。初期の伯父のセリフで、読み手には犯人の見当がつくことも致命的だ。
「夫の骨」――筆使いが柔らかく、感覚の描写もごく自然でリアルである。一見、何気なく書いているように見せて、構成にも一切の無駄がない。ラスト二ページは――多少の難はあるものの――二重のどんでん返しも切れ味が良い。一般文芸としてもレベルは高く、受賞は当然だろう。
[評論・研究部門]
『栗本薫と中島梓』――かつて読者であった者として、栗本薫という作家の業を興味深く読んだ。ただ、この書き手は対象に寄り過ぎている。一ファンが書いた伝記の傾向が強く、評論としては考察が弱い。
『ずっとこの雑誌のことを書こうと思っていた』――鏡氏の文章に初めて触れてから四十年が経つが、今も続くその感覚の瑞々しさ、思考の柔軟さには瞠目せざるを得ない。流れるような筆致もここから来る。これは特定分野における随筆集であり、評論家としての立ち位置を取らぬところに、むしろ氏の矜持がある。
『シャーロック・ホームズ語辞典』――個々の項目は面白く読めるのだが、ではこれをどう活用するかという点において、矛盾が生じる。既知の者にとっては再認の楽しみということであり、マニア知のない者にとっては、逸話の探しようがない。
『舞姫の主人公をバンカラとアフリカ人が~』――明治の娯楽物語という主題がブレずに貫かれ、具体的な小説例も要領よく纏め上げられている。門外漢にも敷居が低く、商業ベースとしても成り立つエンタメ評論である。〇にした。
『遠藤周作と探偵小説』――候補作の中では、群を抜いて思索のレイヤーが深い。哲学、心理学、比較文化学など多岐の知見を駆使して精神世界を掘り下げていく。〇を付け、かつ受賞作にも推した。しかし、読み手の反駁を塞ぎながら書き進める学者特有の文章は、非常にまどろっこしく、文脈の重複も多い。売価を付けて世に出す以上、読み易さも重要な要素である。
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長岡弘樹[ 会員名簿 ]選考経過を見る
[短編部門]
「神様」――ストレスなく楽しめる作品に仕上がっていた。ただ、結末で主人公が殺人鬼として覚醒するのなら、そうならざるをえなかった背景や心情が、伏線としてもう少し張り込んであってもよかったかもしれない。
「青い告白」――複雑なクラス事情を背景にした学園もの。込み入った話を回想の形式で描いたためか、幾分もたついた印象を受けてしまった。構想に力を注いだことがよく分かる作品だけに惜しい。
「さかなの子」――落ち着いた文章がロケーションの雰囲気をよく伝えていて引き込まれた。カラスの模型という小道具の使い方も面白かったが、序盤は謎めいていた中学生の人物像が、後半でそれほど活きてこなかった点は残念だ。
「コマチグモ」――シンプルな真相を不可解な事態に見せかける手際に優れ、良作だと感じた。その一方で、叙述の視点が一つに定まっていないせいか、やや読みにくさを覚えてしまった。
「夫の骨」――本作に○をつけた。これも回想形式で進むため説明が多いきらいがあったが、退屈はしなかった。静かな筆致が読んでいて心地よかったせいかもしれない。いくら妄想を装ったとしても、これほど大事な告白を第三者がいる前でするか、といった疑問は感じたが、読後の衝撃度は本作が一番大きい。ラスト一行のとぼけた味わいが、話の暗さを上手く払拭している。
[評論・研究部門]
『ずっとこの雑誌のことを書こうと思っていた』――癖のある文体だが、長く読んでいても苦にならなかった。翻訳ミステリー史の資料としても貴重な一級品だ。ただ評論・研究というには、やや個人的な思い入れが強すぎたように思う。
『シャーロック・ホームズ語辞典』――体裁が他の候補作と大きく違うため評価が難しかったが、本作に○をつけた。語彙収集の貪欲さと実用性の高さを評価したい。「辞典」を超えて「事典」の域に到達してしまった感があった。満載されたイラストも素晴らしいの一言に尽きる。
『遠藤周作と探偵小説 痕跡と追跡の文学』――本格的な「探偵小説作家・遠藤周作」論の登場は、この小説家をエンターテインメント作家と認識している私にとって、まさに待望だった。結果的にも秀逸な仕事であることに間違いはないと思うが、我儘を言わせてもらえば、ここまで堅い「論文」ではなく、もう少しくだけた「読み物」であってほしかった。
『栗本薫と中島梓 世界最長の物語を書いた人』――本作にも○をつけた。著者自身による評が控え目だと感じたが、その代わり、この天才作家の周囲にいた人たちの声という声が、圧巻といってもよいぐらいのボリュームを持って奏でられている。見事な労作だ。
『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本』――タイトルのインパクトに負けることなく中身も充実していたが、題材自体の面白さに頼る部分が他作より大きかったため、強く推すことはできなかった。
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深水黎一郎[ 会員名簿 ]選考経過を見る
[短編部門]
 受賞作を出すならば「夫の骨」しかないと思いながら選考会に臨み、その通りの結果になったので満足している。
 欠点がないわけではない。いくら昭和中期の話といっても、この犯行はそれほど容易ではないだろう。真相の開示方法が、守秘義務がある筈の介護人のお喋りというのは、ちょっと安易である。だがそんな瑕瑾を吹き飛ばすような魅力が本作にはあった。その落ち着いた無駄のない筆致は、候補作の中で抜きんでていた。
「神様」には「夫の骨」に次ぐ評価をしたが、命の恩人に対する主人公の最後の行動が、唐突すぎるように感じられた(それが描きたかったのだろうが)。私だったらこの場面、主人公の危機にトモキは隠れて、復讐の証拠固めのためスマホ等で撮影していたことにする(それならば納得できる)。また構成をタイトにしすぎた弊害か、偶然の連鎖が目立つ点がマイナスだった。
「コマチグモ」は肝腎のコマチグモの生態と事件との重ね合わせが上手く行っていないように感じた。この種の作品は、ネタがわかった時に一気に腑に落ちる感覚を読者に与えなければならないと思うのだが。
「さかなの子」は登場人物に魅力がなく、描写が数字に頼り過ぎているため情景が目に浮かばない。ドライブレコーダーの扱いも、もっとスマートにできた筈だ。「青い告白」は犯人の行動に看過できない矛盾を感じて推せなかった。
[評論・研究部門]
 かつては〈評論その他の部門〉だったが、平成30年から現在の名称に変更になっている。当然〈評論・研究〉の賞としてふさわしいか否かが、選考の大きな基準となった。
 その割を食ったのが、『ずっとこの雑誌のことを書こうと思っていた』と『シャーロック・ホームズ語辞典』である。前者はあくまでも上質なエッセイ集、後者はガイドブックという性格が強すぎて推せなかった。
『栗本薫と中島梓』は、今後彼女について語る時には必読の文献となることだろう。欲を言えばもっと作品の内容への踏み込みが欲しかったところだ。
 実は一読した時に一番面白かったのは、『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコに(以下略)』である。歴史に埋もれていた過去の大衆文学を発掘紹介する本としては最高の一冊だろう。受賞に値すると思ったが、惜しむらくは記述が羅列にとどまっていて、論旨が系統的ではないことである。選考委員の一人が述べた「ツッコミ芸に過ぎない」という反対意見に、最終的に押し切られてしまった。
『遠藤周作と探偵小説』は、一般に純文学作家と目されている遠藤周作が、常に探偵小説の構造を意識していたこと、そしてその作品に探偵小説的な様相が通奏低音のように流れていることを、丁寧に解きほぐした労作である。文体が硬すぎる等の批判もあったが、最も協会賞にふさわしいと判断した。
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麻耶雄嵩[ 会員名簿 ]選考経過を見る
[短編部門]
 短編部門は甲乙つけがたかった。
「青い告白」は事故が自殺で自殺が事故でというコンセプトは面白かったし、ユーモラスなオチのつけ方もよかった。ただトリックが偶然と大胆さを要求するわりに地味なため、切れ味が鈍ったきらいがある。
「コマチグモ」は冒頭のドタバタした部分に事件のすべてが詰め込まれているのが意欲的。真相もスマートだったが、コマチグモのエピソードが話に上手く絡んでいるとは云いがたく、そのため解決を示唆する探偵役の存在が曖昧になってしまいもったいなかった。
「さかなの子」は人の奥底に潜む心の風景を求めている探偵役が、語り手の人間的なエゴイズムを執拗にいたぶる反面、当の犯人は全く心がない異常な動機の持ち主という構造に、ちぐはぐした印象を持った。
「神様」は設定や展開は面白かったが、いきなり部屋を物色したり、急に冷酷な殺人鬼になったりと、ヒロインの性格が展開やサプライズの犠牲になったのが残念だった。
 サプライズは前段までの筋の通し方が重要で、その点「夫の骨」はどんでん返しが綺麗に決まっていた。ひとえにラストへ収束する流れの手つきもいい。ただおしゃべりな介護士が唐突に明かすラストは少々雑に感じられた。あの場面、見せ方にもうひと工夫あれば更によかった。とはいえサプライズと直後の腑の落ち方は、受賞に相応しい。
[評論・研究部門]
 評論・研究部門はいずれも力作だった。
『ずっとこの雑誌のことを書こうと思っていた』は独特の癖のある語り口調が面白く、また著者が「マンハント」とその周辺をどれほど好きか伝わってくる。同好の士にはたまらないだろう。しかし門外漢にまで面白さが届かない。愛情の告白に満ちているが、布教の意図に乏しいせいだろう。
『シャーロック・ホームズ語辞典』は〝ホームズ辞典〟ではなく〝ホームズ語辞典〟という題名が示すとおり、あくまで単語を知っているファン向けの辞典。例えばある映画について引くと面白おかしく解説されているが、他にどんなホームズ映画があるのかは教えてくれない。逆引き機能があればよかった。
『栗本薫と中島梓』は評伝ではあるが、あまり評を加えず取材や資料から淡々と時系列を追った本。それだけで面白いのは、栗本薫という存在が凄いのだとあらためて実感した。
『「舞姫」の主人公を……』は明治娯楽小説のツッコミ本。退屈だけど面白い部分もあるよ、と作者が冷笑的にピックアップしてくれる。楽しいのだが、本書だけで完結していて原本への興味が湧かないのが難。
『遠藤周作と探偵小説』は学術論文特有のくどさはあるが、グリーンを支点にして遠藤周作をミステリーで語るという論旨は明快でスリリング。他の候補作と違って対象作品をもっと読みたいと思わせるだけでなく、ミステリーそのものの初心に帰らされる部分があるという意味でも、受賞に値するだろう。
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山前譲[ 会員名簿 ]選考経過を見る
[短編部門]
 ミステリーの短編を読んだという余韻を一番感じたのは、やはり矢樹純「夫の骨」だった。派手なストーリーではない。けれど、描写の繊細さが、ラストのひねりを期待させていく。ずいぶん前のこととはいえ、これは可能だろうかと思ってしまうところもあるのだが、秘密の暴露によって物語世界が一変する驚きのほうが優った。
 秋吉理香子「神様」は現代風俗を巧みに取り入れている。だが、ミステリーとしてはストーリーにさほどの意外性はない。井上真偽「青い告白」は伏線もきちんとあって読み応えがあった。ただ、犯罪としては不自然さが否めない。
 木江恭「さかなの子」は雰囲気のある作品ではあるけれど、読後感がすっきりしなかった。ミステリー短編としてのフォーカスが定まっていないようである。櫻田智也「コマチグモ」は昆虫好きの魞沢泉のシリーズだが、キャラクターが生かされていない。他のシリーズ作に比べて優れているとは思えなかった。
[評論・研究部門]
 鏡明『ずっとこの雑誌のことを書こうと思っていた』が図抜けて楽しめた。しかし、賛同が得られなかったのは残念である。語り口が秀逸で、膨大な情報量から一九六〇年代のミステリー界のある側面を活写していく。欧米文化の受容史として知的好奇心をそそられる一冊だ。
 金承哲『遠藤周作と探偵小説 痕跡と追跡の文学』は、方向性が定まっているのにもかかわらず、前半がまだるっこい。遠藤文学に疎い身にとって驚かされることは多かったけれど、先行文献の引用はあまりにも煩雑だろう。最近発掘された未発表小説も「探偵小説」に関係があるらしく、さらなる深みを求めてしまった。
 北原尚彦・えのころ工房『シャーロック・ホームズ語辞典』には、ホームズに関する知識をこういう形でまとめていいのかという疑問を抱いた。辞典なのか事典なのか。小出しにされている書誌学的情報のほうに興味をそそられた。里中高志『栗本薫と中島梓 世界最長の物語を書いた人』はやはり「グイン・サーガ」シリーズの研究本だろう。山下泰平『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本』は、粗筋の紹介がめちゃくちゃに楽しい。だが、先行文献があるミステリー(探偵小説)やSFへの言及は物足りない。
 今回の候補作では、作家名や雑誌名など、固有名詞の間違いが散見された。折角索引が付けられていても台無しではないだろうか。自戒も含めて、校正・校閲の難しさを痛感させられた。
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立会理事

選考委員

予選委員

候補作

[ 候補 ]第73回 日本推理作家協会賞 評論・研究部門  
『ずっとこの雑誌のことを書こうと思っていた』 鏡明
[ 候補 ]第73回 日本推理作家協会賞 評論・研究部門  
『シャーロック・ホームズ語辞典』 北原尚彦・えのころ工房
[ 候補 ]第73回 日本推理作家協会賞 評論・研究部門  
『栗本薫と中島梓 世界最長の物語を書いた人』 里中高志
[ 候補 ]第73回 日本推理作家協会賞 評論・研究部門  
『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字く』 山下泰平