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2025年 第78回 日本推理作家協会賞 翻訳部門

2025年 第78回 日本推理作家協会賞
翻訳部門受賞作

ビリー・サマーズ

受賞者:スティーヴン・キング・著 / 白石 朗・訳

受賞の言葉

 日本推理作家協会賞の翻訳部門(愛称「Double Copper Award」)にスティーヴン・キング『ビリー・サマーズ』が選ばれたことを翻訳者として心から喜んでいます。
『キャリー』でのデビュー以来50年、ホラーにとどまらずさまざまなジャンルに挑んできたキングは、この作品で凄腕の暗殺者の最後の仕事をテーマにクライムノヴェルを書きました。ただし作品は意想外の展開ののち「小説を書くこと」「物語をつむぐこと」のすばらしさを謳いあげて幕を閉じます。いまなお旺盛に活躍するベテランによる物語讃歌といえる本作が、小説のプロ集団である推理作家協会により顕彰されたことには感慨を禁じえません。賞の運営にたずさわる協会員の方々や、本書版元の文藝春秋のみなさん、ならびに読者諸兄姉に深く感謝するとともに、長年すばらしい作品世界を創造しつづけるキング氏に心より敬意を表したいと思います。

作家略歴
1959~
東京都出身。早稲田大学第一文学部卒。出版社勤務を経て翻訳業。主訳書はジョン・グリシャム「法律事務所」「処刑室」「陪審評決」、スティーヴン・キング「ローズ・マダー」「グリーン・マイル」(以上新潮社)、同「図書館警察」、ディーン・クーンツ「心の昏い川」(以上文藝春秋)、同「戦慄のシャドウファイア」、ロバート・R・マキャモン「スティンガー」(扶桑社)など。

選考

以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。

選考経過

選考経過を見る
 第78回日本推理作家協会賞の選考は、2024年1月1日より2024年12月31日までに刊行された長編と連作短編集、および評論集などと、小説誌をはじめとする各紙誌や書籍にて書き下ろしで発表された短編小説を対象に、前年12月よりそれぞれ予選を開始した。
 長編および連作短編集部門と短編部門、翻訳部門では例年通り各出版社からの候補作推薦制度を適用。長編および連作短編集部門と翻訳部門では、予選委員による推薦も採用した。なお、評論・研究部門、および推薦枠を持たない出版社からの作品については、従来どおり予選委員の推薦によって選考の対象とした。
 長編および連作短編集部門では59作品、短編部門では640作品、評論・研究部門では46作品、翻訳部門では25作品をリストアップし、協会が委嘱した部門別の予選委員がこれらの選考にあたり、各部門の候補作を決定した。
 本選考会は5月15日(木)午後3時より日本出版クラブ会議室にて開催した。
 長編および連作短編集部門は選考委員・芦辺拓、宇佐美まこと、澤村伊智、葉真中顕、山田宗樹、立会理事・呉勝浩。短編部門と評論・研究部門は、選考委員・喜国雅彦、今野敏、柴田哲孝、月村了衛、湊かなえ、立会理事・真保裕一。翻訳部門(Double Copper Award)は選考委員・阿津川辰海、斜線堂有紀、杉江松恋、三角和代、三橋曉、立会理事・西上心太。各部門ごとに選考会がおこなわれた。
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西上心太[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 3月4日に行われた予選会で25作のロングリストから選ばれた5作品について議論を行った。
 始めに各作品に5段階の相対評価を付け、点数を集計した。次に各作品に対し、全選考委員が意見を述べた。
『ぼくの家族はみんな誰かを殺してる』は、いまの日本の読者に好まれそうな伏線回収型のミステリーであること、古典ミステリーへの言及など遊び心が評価されたが、構成が整理し切れていない点などが指摘された。
『両京十五日』は、とにかく面白く、中国古典文学の影響などにも好感が持てたものの、無敵キャラクターの存在、エピソードの多さと要素の配置が統一感に欠け、長編小説として整理、再構成が必要ではないかという意見があった。
『失墜の王国』は、斬新な構成やエピソード配置が評価されたが、プロットの整合性やキャラクターの動機の明確化に改善の余地があり、主人公の過去や動機がなかなか明かされず、読むのにストレスを与える部分があったという声が上がった。
『ヴァイパーズ・ドリーム』は、短い分量の中に多くの要素を凝縮し、独自の魅力や新しい視点が評価された。その一方で、構成やリアリティ、犯罪組織の描写に課題が指摘された。
『ビリー・サマーズ』は、これまでのキング作品に比して突出した部分はないが、さまざまな犯罪小説の要素が詰め込まれている点に魅力があり、何より完成度が高かったという意見が多かった。
 その後は自由な討議に移り、最高点を付けた委員が1人もいなかった『ぼくの~』と『両京十五日』が、続いて『失墜の王国』も除かれた。残りの2作に関して活発な議論が行われた結果、スティーヴン・キング著・白石朗訳『ビリー・サマーズ』が受賞作に決定した。
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選評

阿津川辰海[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 翻訳部門は2年の試行期間を経て、今年から本格始動となる。「Double Copper Award」という愛称込みで、長く愛され、注目される賞となることを祈る。
『ぼくの家族はみんな誰かを殺してる』は、5作品のうち唯一の本格ミステリーである。全編に敷き詰められた伏線も素晴らしく、現代日本の読者にアピールする要素は十分だ。一方で本書の趣向として提示される「ぼくの家族は~」という「宣言」については、事件を体験した「後」の語り手の視点から記述されているのだから、アンフェアなレトリックに過ぎない。犯人の正体を隠す重要な一要素である以上、この点には辛い評価をする他なかった。
『両京十五日』は、中国から届けられた大ボリュームの活劇小説である。「A地点からB地点へ向かう」というシンプルな目的を軸に組み立てられた物語は、ギャビン・ライアル『深夜プラス1』を思わせる冒険小説的一面を備えている。ラストには歴史小説として、避けることの出来ない悲劇を謎解きの形で提示しているのも美点である。受賞に至らなかったのは、1位として強烈に推薦する委員がいなかったことが大きいのかもしれない。
『失墜の王国』はノルウェーのノワール小説であり。これもまた大部である。ジョー・ネスボの作品については、警察小説やパルプ・ノワールが日本でも既に紹介されているが、それらのイメージとは異なる、重厚で、息詰まるような小説だ。同心円状に現在と過去の2つの時間軸のエピソードが配置され、破滅的な未来を想起させるところはまさに見事というべきで、結末の味わいは圧巻である。
『ヴァイパーズ・ドリーム』は、1936年から61年のニューヨーク、ハーレムを舞台とした歴史小説である。わずか300ページに満たない軽量級の佇まいにも拘わらず、小説としての「仕掛け」を全編に張り巡らせて、この分量でジャズの変遷を閉じ込め、マリファナとヘロインが対立したギャング史をも捉える点で、その充実度は他の候補作に全く引けを取らない。なお、議論中、私が1位と提示していたのは本作だった。
『ビリー・サマーズ』はスーパーナチュラルな要素を含まない犯罪小説、殺し屋小説である。スティーヴン・キングは、異界/事件に足を踏み込む前の日常描写までもが魅力的な作家だが、本作では「殺し屋が任務を遂行したなら、失われるべき『日常』」として一段違った提示がされており、子供たちとモノポリーで遊ぶエピソードの巧さは特に言及しておきたい。犯罪小説の「定型」を踏まえたうえで、そこから少しずつ外していこうとする気概も感じさせられ、一種の創作讃歌ともいえる結末に辿り着く筆さばきにも感服させられる。
 議論は早い段階で『失墜の王国』『ヴァイパーズ・ドリーム』『ビリー・サマーズ』の3作に絞られた。前者2作はどちらも犯罪計画や犯罪組織の扱いの甘さ、主人公(たち)が都合よく逃げおおせることへの疑問が呈され、一方で『ビリー・サマーズ』も同種の弱点を抱えるものの、それを補って余りある結末の鮮やかさが高く評価され、最終的に受賞に至った。
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斜線堂有紀[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 今年は選考会会場に入った瞬間から、思わず他の選考委員の方々と顔を見合わせてしまうくらい素晴らしい候補作が揃っており、個人的にはどれが受賞してもおかしくないと思っていた。そのくらい高水準かつそれぞれの良さが際立った候補作だったと思う。
 その中でも私はスティーヴン・キング『ビリー・サマーズ』を推した。ストーリーテリングの巧みさが随一であり、スティーヴン・キングの作品として見た時の完成度も高かったと思う。ミステリ的な面でいえば、この作品は構造単位でのスケールの大きいミステリをやっている点を評価している。選考委員の方々の間でも論点になった「アリス」の存在などがその最たるものだ。物語の中盤で謀ったように投入される彼女の存在は、物語を都合良く回す為だけの存在なのではないか、という点が私もとても気になっていた。だが、彼女の存在は結末を導き出す為の伏線として機能しているのだと解釈すると納得が出来た。
 ここで他の候補作についても触れていく。馬伯庸『両京十五日』は、大変優れた冒険小説である。冒険小説として見た時には受賞作として相応しいと思った。だが、終盤で明かされる蘇荊渓周りの真相の唐突さについては私も気になっており、ミステリとして見た時にそこまで強く受賞作には推せなかった。
 ジョー・ネスボ『失墜の王国』は受賞作としては強く推さなかった。強い感情と絆によって結ばれた兄弟のクライムサスペンスであるが、物語の運びに既視感があり、展開もあまり驚くべき部分が無かったからである。唯一、この話の展開で敢えて続編を明言している点は高評価だったのだが、この一作での評価にはならないことから加点はしなかった。
 ベンジャミン・スティーヴンソン『ぼくの家族はみんな誰かを殺してる』は、受賞作となった時に、ミステリにあまり馴染みの無い人でも楽しく読んでくれるだろうと思った。その点では受賞させることに意義があるのではないかと思うが、「みんな誰かを殺してる」という作品のルールをクリアする為にアンフェアな記述なども目立つ為、推理作家協会賞とはしてはあまり相応しくないのではないか、という結論に落ち着いた。
 ジェイク・ラマー『ヴァイパーズ・ドリーム』は、『ビリー・サマーズ』の次点として考えていた作品である。裏社会に取り込まれてしまった男の一代記を音楽と共に振り返る小説なのだが、語りの妙が凄まじく、読書の喜びを存分に味わい尽くすことが出来た。ミステリとしてはラストの展開の唐突さが気にかかるものの、小説としては大変優れていると大いに評価した。
 最後は『ビリー・サマーズ』と『ヴァイパーズ・ドリーム』でどちらを受賞させるかという話になったのだが、やはり作品の完成度という面で見た時に『ビリー・サマーズ』が『ヴァイパーズ・ドリーム』を下回っているということはないだろうという判断で『ビリー・サマーズ』に票を投じた。
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杉江松恋[ 会員名簿 ]選考経過を見る
『ヴァイパーズ・ドリーム』はビバップの時代を描いたジャズ小説としても読むことができる。アフリカ系の主人公はマリファナ密売に手を染める。連綿と書き継がれてきた犯罪小説の定型に則った展開だが、回想形式で物語に枠が設けられているため、異質な感触がある。16世紀スペインに起源を持つ悪漢小説に先祖返りしたような人生を概観する小説になっているのだ。スリルを与えることを旨とする犯罪小説というより教養小説の興趣に近かったのが、本命作品の対抗に名を挙げられながらも支持を集めきれなかった理由だろう。
『失墜の王国』も一人の肖像を描くことを目的とする小説である。主人公の内面が見えにくくなっており、彼がどのような倫理観を持っているかが不明であるため、起こる事態にどう対処するかが読者の興味をそそる。カインとアベルを連想させる物語でもあり、兄と弟の関係以外はすべて付帯物と見ることもできるので、にもかかわらず大部の小説であることが冗漫ではないかという意見を呼んだ。ただし一見無関係なヰタ・セクスアリスも交えて立体的に主人公を造形するという試みは、個人的には非常に好もしいものであった。
『ビリー・サマーズ』もまた犯罪者小説である。暗殺者が狙撃の瞬間を待って町に潜入し脱出経路を確保する、という上巻の内容は逃亡小説の定石を踏まえたものだが、予想された展開にはならない。さまざまな犯罪小説の要素を盛り込んでおきながら少しずつツボを外してあるので、予定調和に収まらない物語となっているのである。前半と後半でストーリーが切れているという指摘もあり、それは的を射ているとは思うが致命的な瑕ではないだろう。結末に有無を言わせない説得力があり、正式第1回にふさわしい受賞作となった。
『ぼくの家族はみんな誰かを殺してる』は、いわゆる本格の味が最も濃い作品だった。伏線の振り撒き方が執拗で、現代の日本読者に好まれる作品になっていると思う。一人称の主人公が過去を振り返って語る形式になっているが、それならば叙述にはいくらでも恣意の偽装を施すことができる。そこが作者の標榜するフェアプレイの徹底とは一致しないのではないかという意見があった。モティーフとして用いられるノックスの十戒も、うまく嵌まっているとは言い難い。謎解きの楽しさは満点なので、惜しい作品だったと思う。
『両京十五日』は唯一の純粋な冒険小説だ。明の皇太子が帝位継承のため長い旅程を15日で踏破しなければならなくなるというミッションも関心を惹きつけるには十分で、読書家の支持を得たのは当然である。気になったのは梁興甫という怪物の使い方で、主人公たちが困難に陥ると彼が出て来て事態が打破されることになる。便利なワイルドカードのような使い方になっており、これは伝奇小説の筆法であろう。細かい謎で話を牽引していく技法も用いられ、ミステリーらしさも問題なくあるのだが、その点が私は気になった。
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三角和代[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 タイプが異なり、それぞれの良さがある5作が揃った。検討材料として、その場で相対評価の点数をつけて集計してみると、若干の高めだったり低めだったりはあったものの、極端に大きな差はなかった。つまり、各自の点数づけが見事にばらけていた。
 まず、『ぼくの家族はみんな誰かを殺してる』から話し合いを始めた。ノックスの十戒を掲げ、凝った仕掛けと驚きの真相が待つオーストラリア発の本格だ。謎解きを楽しく読んだものの、おそらくリスペクトだとは思うが既存の某作品との類似が気になったのと、小説としてもう少し余韻があれば好ましいと感じた作品だった。いまの国内ミステリの読者に最もアピールするのはこちらではないかという意見もあったが、謎解きのフェアネスの観点から見るとどうなのか、という声も強く、選考から外れることになった。
 明の時代の中国を舞台にした一大冒険小説が『両京十五日』である。ほかで読んだことのない斬新な活劇シーンや復讐方法も描かれ、ある女性の登場人物の怒りが大変胸に訴えてくる。ただし、歴史もの故に先が読める点や、プロットと構成の点を指摘する声のほうが強く、こちらも選考から外れた。
『失墜の王国』はノルウェーの兄弟を描いたノワールだ。一般文芸のような冒頭から徐々にミステリ要素があきらかになっていく筆致は見事で、さすがネスボである。強いて言えば、若干都合のいい展開が多めのように感じた。そしてなにかひとつ目新しさがほしくもあった。
 同じノワールでもまったく雰囲気が異なるのが『ヴァイパーズ・ドリーム』で、ニューヨークのかつてのジャズ・シーンとドラッグ事情が描かれる。CWAの最優秀歴史ミステリー賞受賞作で、最初からある事実が伏せられた状態で進行し、それが明かされる場面では、神話の要素までも取りこんだ文化的な広がりに爆発するような感銘を受けた。長いものが評価されやすいなかで、文庫で300ページ足らずの本を評価してみてもいいのではないかと思った。ただ、都合のいい展開や、短い故の物足りなさを指摘する声もあった。
 集計でいちばん点数が高かったのが、小説家に扮した暗殺者を描いた『ビリー・サマーズ』だ。仕事のためにコミュニティに溶けこむ描写、主人公の過去を描いた作中作などじつにうまく、充実した内容だ。中盤のある人物の登場から大きく流れが変わり、そこに戸惑いはする。最後まで読めば必然性がわかるものの、その人物と周囲との関係性にだけは、わたしの目線からは少しだけ引っかかりを覚えた。
『ビリー・サマーズ』と戦えるのは同じくキャリアの長い作家の『失墜の王国』より、本邦初訳の新鋭による『ヴァイパーズ・ドリーム』ではないか、と話はまとまった。短くまとまった新鋭も捨てがたかったが、並べたときに、やはりキングの圧倒的な力にはじゅうぶんすぎる説得力があり、なにより、この作品は物語の力への賛歌でもある、という点が大きく、『ビリー・サマーズ』に決定した。Double Copper Award受賞、おめでとうございます!
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三橋曉[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 他の文学賞も含め、これまで場数だけは踏んできたつもりの選考会だが、不思議なもので、予期したとおりに議論が進んだためしがない。今回の翻訳部門の選考も、やはり想定外の展開となった。
 豪州発のベンジャミン・スティーヴンソン『ぼくの家族はみんな誰かを殺してる』は、初読時こそ中盤からの謎解きに感心したが、再読すると、作者の後出しジャンケンのように思えてきた。ノックスの十戒や信頼できない語り手を引き合いに出しフェアプレイが力説されるが、一人称の語り手(=作者)は、すでに終わった事件を自分の都合で語り直しているだけということに気づいたからだろう。
 中国から登場した馬伯庸の『両京十五日』のスケールの大きな物語性と読み応えは、候補作中突出していた。15世紀中国の明の時代を背景に、南京から北京へと向かう皇太子と従者の一行が苦難の旅を強いられる。クリフハンガーの釣瓶打ちともいうべき山場の多い展開は、日本の歌舞伎や狂言によくある長尺の戯曲を思わせ、当時の社会状況への深い考察もある。だが、最後に詳らかにされるある真相が、大長編の締めくくりとしてはやや弱いと感じた。
 児童向けを除くと久々の翻訳となったジョー・ネスボ『失墜の王国』は、個人的に意中の作品であった。かつてわが国でも好評を博したハリー・ホーレ刑事シリーズの感動的な面白さが、今も残像となり焼き付いているせいもある。パトリシア・ハイスミス直系の犯罪小説である本作は、主人公ばかりか登場人物全員の造形がしっかりしており、細部のエピソードも印象的で、小説としての深みを湛えている。ミステリの面白さがにじむクライマックスがとりわけ見事だが、やや緊張感の薄れる中間部を冗長と捉える向きもあったようだ。
 当初わたしは、『両京十五日』『失墜の王国』に加え、スティーヴン・キングの『ビリー・サマーズ』の三つ巴の争いになるものと思い、選考会にのぞんだ。そんな予想を裏切り、キングとの一騎打ちとなったのは、伏兵のジェイク・ラマー『ヴァイパーズ・ドリーム』だった。
『1794』『1795』と『トゥルー・クライム・ストーリー』という過去2回の受賞作がの付く長編だったことの揺り戻しではないと思うが、20世紀半ばのNYで発展を遂げたジャズの変遷を巧みに折り込み、流麗な訳文とも相まって、コンパクトだが密度の高い作品に仕上がっている。ただ、設定や展開に安易さが目立ち、ラストも強引が過ぎるように思え、私は積極的に票を投じることができなかった。
『ビリー・サマーズ』の受賞は、ある程度予想できたが、やはり妥当な結果だったと思う。読み始めた当初は、善良な殺し屋という設定に疑問も感じたが、物語が後半にさしかかると、なるほどと納得がいった。ミステリ界にも跨る活躍を重ねてきた超ベテラン作者の集大成的な作品で、犯罪小説の他、教養小説、戦争小説、恋愛小説など、多様なジャンルの結合を成し遂げ、とりわけメタフィクションの技巧は感動的といえる。翻訳の安定感も抜群であった。今回で第3回となる(そしてDouble Copper Award =二銭銅貨賞の愛称が付いて最初の)翻訳部門受賞作として、まこと相応しい作品が選べたと思う。
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立会理事

選考委員

予選委員

候補作

[ 候補 ]第78回 日本推理作家協会賞 翻訳部門  
『ヴァイパーズ・ドリーム』 ジェイク・ラマー・著 / 加賀山 卓朗・訳
[ 候補 ]第78回 日本推理作家協会賞 翻訳部門  
『両京十五日』 馬 伯庸・著 / 齊藤 正高、泊 功・訳
[ 候補 ]第78回 日本推理作家協会賞 翻訳部門  
『失墜の王国』 ジョー・ネスボ・著 / 鈴木 恵・訳
[ 候補 ]第78回 日本推理作家協会賞 翻訳部門  
『ぼくの家族はみんな誰かを殺してる』 ベンジャミン・スティーヴンソン・著 / 富永 和子・訳