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2024年 第70回 江戸川乱歩賞

2024年 第70回 江戸川乱歩賞
受賞作

遊廓島心中譚

受賞者:霜月流(応募時:東座莉一より改名)

受賞の言葉

 昔からひどい飽き性で何をやってもろくに続いたためしがなかったくせに、小説だけはなぜか愉しすぎて「もう書くのやめようかな」と思ったことがなく、勝手に作家が天職だと思い続けてきました。
 書き始めて間もない頃は「ミステリーとか歴史時代小説は高尚なもので、自分にはムリ」と敬遠していたのに、三年前の秋口に本格推理のトリックとプロットを思いつき、取り憑かれたように書き上げて乱歩賞に応募してしまいました。箸にも棒にも掛からずに終わると思った作品が二次選考を突破したがために調子に乗り、翌年もそのさらに翌年も乱歩賞に戦いを挑みました。
 受賞を勝ち獲ることができたものの、まだまだ未熟で学ぶべきことは山ほどあり、壁を乗り越えたというよりは破壊して無理やり先に進んだような心地です。
「第百回江戸川乱歩賞は霜月流が選考委員だから応募しよう」
 三十年後のミステリー作家の卵にそう思ってもらえるように、勝って兜の緒を締めよの精神で、これからも走り続けたいと思います。
 最後になりましたが、選考に関わったすべての皆さま、拙作を受賞作に選んでくださった選考委員の先生方、講談社の編集部の皆さま。受賞を祝ってくれた知人友人、実家義実家のみんな。そして、いつか芽が出ると信じて一番近くで見守ってくれていた夫に、心より感謝します。

2024年 第70回 江戸川乱歩賞
受賞作

フェイク・マッスル

受賞者:日野瑛太郎(ひのえいたろう)

受賞の言葉

 初めて江戸川乱歩賞の最終候補に残ったのは、いまから三年前、第67回の時でした。
 その時は落選という結果に終わったのですが、選評で新井素子先生から「このお話が一番好き」という言葉をいただき、飛び上がるほど嬉しくなりました。自分の書いた物語にプロから評価されるだけの力があることを知り、この時初めて、自分はいつか作家になれるかもしれないと思いました。それまでもなんとなく作家になりたいと妄想はしていましたが、あまり現実的な目標だとは思っていなかったのです。
 もっとも、それですぐに次の回で受賞できるほど、乱歩賞は甘くありません。そこからの二年間は、最終候補にこそ残るものの、最後の一押しが足りずに落選が続きました。出口の見えないトンネルの中を突き進んでいるような、苦しい状態が続きました。
 正直、心が折れかけたことは何度もあります。それでも踏み止まって挑戦を続け、ようやく受賞に漕ぎ着けることができたのは、応援し続けてくれた家族や友人たちがいたからです。この場を借りてお礼を言わせてください。ありがとうございました。
 さて、こうしてやっとスタートラインに立てたわけですが、本当の勝負はここからです。
 あとはこの命が燃え尽きるまで、人を楽しませる物語を書いて、書いて、書きまくりたいと思います。
 読者の皆さま、どうか末永くお付き合いください。

選考

以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。

選考経過

選考経過を見る
 本年度江戸川乱歩賞は、一月末の締切りまで応募総数三九五編が集まり、予選委員(香山二三郎、川出正樹、末國善己、千街晶之、廣澤吉泰、三橋曉、村上貴史の七氏)による選考が去る四月八日(月)開催され、最終的に左記の候補作六編が選出された。

「容疑者ピカソ」    相羽廻緒
「陽だまりのままでいて」雨地草太郎
「ハゲタカの足跡」 工藤悠生
「許されざる拍手」 津根由弦
「遊郭島心中譚」 東座莉一
「フェイク・マッスル」日野瑛太郎

 この六編を五月九日(木)帝国ホテル「松の間」にて選考委員の綾辻行人、有栖川有栖、真保裕一、辻村深月、貫井徳郎、東野圭吾、湊かなえの七氏により協議。結果、霜月流氏(応募時:東座莉一より改名)「遊廓島心中譚」、日野瑛太郎氏 「フェイク・マッスル」の二作を本年度の受賞作と決定した。
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選評

綾辻行人[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 日野瑛太郎『フェイク・マッスル』が頭抜けて面白かった。どうかすると「選考のために原稿を読んでいる」ことを忘れてしまいそうになりながら、ノンストップで楽しませていただいた。たまたま僕は第66回からこの賞の選考委員を務めてきたので、四年連続で最終候補に残った日野氏の作品を四年連続で読んだことになる。過去の三作も決して悪い出来ではなかった。水準はクリアしているものの、あとひと押しが足りなくて受賞には届かなかったのだけれども、今回は迷わず推すことができた。
「ユーモアミステリー」と呼んでいいだろう。難しげな潜入調査を命じられた主人公(=週刊誌記者)の一人称の語りが、彼の妙に真面目な性格とそれゆえの妙にロジカルな行動を澱みなく描いて、実に読み味が良い。随所に可笑しみがあって笑わされてしまうのだが、「さあ笑え」というような押しつけがましさはない。主人公の真面目な思考と行動が、結果として読者に笑いをもたらす。この書きっぷりがたいへん優れているのだ。物語の、広義のミステリーとしての結構にも抜かりがない。文句なしの快作である。
 東座莉一(霜月流に改名)『遊廓島心中譚』は、幕末・横浜の遊廓を主な舞台にした時代ミステリーの力作。万延元年(一八六〇年)と文久三年(一八六三年)を往き来しながら進行する物語を、「これは何なのだろう」と幾度も首を傾げつつ読んでいくと、終盤に至ってすこぶる本格ミステリ的なクライマックスが待ち受けている。この展開には驚いた。愉しくもあった。
 ただこの作品、描かれる事件の〝形〟が非常に特異であるだけになおさら、そこかしこに疑問を感じざるをえない。充分な高度・深度まで筆が届いていない、とも感じたのだけれど、だからといってこの作品を推す声を否定しようとも思わなかった。作者がめざそうとしたもの、そのポテンシャル、といった点では大いに評価したいからである。
 議論の末、『フェイク・マッスル』と『遊廓島心中譚』両作への授賞が決まった。第70回の記念の年に、まるでタイプの異なる二つの受賞作が並ぶ、というのも悪くない話だろう。この結果を喜びたい。

 以下、受賞を逃した四作について。
 津根由弦『許されざる拍手』。序盤から中盤にかけての不気味さ・怖さは素晴らしい。ところがどうしたわけか、中盤を過ぎたあたりから急激に〝小説の質〟が低下してしまう。時間が足りなかったのか、あるいはそこから先を同じテンションで書ききる力が出なかったのか。いずれにせよ、この原稿は「未完成品」だろうと判定するしかなかった。
 相羽廻緒『容疑者ピカソ』。複雑な構造の物語を最後まで丁寧に書き通している。意気込みと努力は買う。だが、その結果が「盛りだくさん」ではなくて「詰め込みすぎ」に見えてしまうところが、この作品の弱点のひとつだろう。それとは別の次元でいただけなかったのは、物語の核心部に置かれた「性加害事件」である。昨年から現実の社会で騒がれている同様の事件をあからさまに流用したような、この題材のこの取り扱い方にはまったく賛成できない。
 雨地草太郎『陽だまりのままでいて』。女子高校生たちを主人公にした「学園本格ミステリー」が書きたかった──という作者の想いは分かる。とてもよく分かるのだが、描かれる彼女たちの学校生活も人間関係も、発生する事件の謎もトリックも真相も……すべてにわたって作りがゆるい、そしてぬるい。「古い」と云いたくなるようなところも多々あって、残念ながら僕はこの作品世界に没入できなかった。
 工藤悠生『ハゲタカの足跡』。ミステリーとしての結構は無難に整っているが、これといって突出したものが感じられない。そんな中でもメインの殺人事件の構図はなかなか面白いのだけれど、それを解明するための情報に〝後出し〟が目立つのは問題だと思う。
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有栖川有栖[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 二作同時受賞となったのは、乱歩賞70周年を記念してのことではない。粘り強く討議を重ねた上での結果である。
 受賞作の一つ『フェイク・マッスル』は、急に筋肉を得たアイドルに向けられたドーピング疑惑について探る週刊誌記者が主人公。謎も彼の潜入取材ぶりもユニークで、「何をやっているんだか」「よし、がんばれ」とにやけながら読み進めた。まんまと作者の術中にはまった感じだ。やがて事態は意外な展開を見せて、筋肉の謎の裏にあった秘密が最後に明かされる。独特の味わいで楽しませる作品で、この作者が他にどんなミステリを書くのかという興味も湧く。
 もう一つの受賞作『遊廓島心中譚』は、幕末の横浜に実在した遊廓島が舞台の時代ミステリ。納得しにくい箇所がいくつか指摘されもしたが、修正が施せるとの判断で一致を見た。時代色が売り物ではなく、ある観念をテーマにしているため〈今ここ〉ではない時間と空間が選ばれている。ミステリでしか描けない夢想とも言える物語だろう。真相を暗示してしまいそうなので具体的には書けないのをお赦しいただくとして、候補作中、この作品が最も大きな小説になりたがっているように感じた。できるだけ大きくして読者に届けていただきたい。
 ということで──。
 日野瑛太郎さん、霜月流さん、おめでとうございます。揃って乱歩賞作家です。
 他の四編について。
 結論として「受賞作ではない」と思ったのだが、どの作品も「受賞に値する作品に生まれ変わる可能性」は感じた。最終候補に残っただけのことはある。
『容疑者ピカソ』は美術ミステリかと思いきや、学童野球チームの監督による性加害に起因する殺人事件という予想外の方向に話が進む。芸能界で現実に起きた性加害を学童野球にスライドさせることから発想されたのだろうか。それにしては当該問題への掘り下げが乏しく、ただミステリの素材として扱われているようなのが物足りない。二重底・三重底になった真相にはかなり無理がある。
『陽だまりのままでいて』は学園ミステリ。主人公の女子高校生たちが事件解明に乗り出す動機、刑事から情報を得る経緯、物語の結び方など、いずれも釈然としない。中核にある不可解な転落死のトリックについては物理的にも心理的にも成立しないだろう。これで行ける、という作者の見切りが随所で早すぎる。ただ、とても楽しんで書いたように感じられ、羨ましいほどだった。
『許されざる拍手』の主人公は福祉課に勤める職員。死亡した老人の日記を盗んで読むのを趣味にしており、そこにあった不穏な記述に興味を惹かれて……という発端が〈探偵趣味〉的で面白い。しかし、終盤に近づくほど軸がふらふらしてきて、どうしてこうなるのか、というエンディングだった。文章の密度もある時点から薄くなり、時間が足りなかったのだとしたら残念。
『ハゲタカの足跡』は、受賞作とするには最も穏当なように私には思えた。どの人物像にも一貫性があり、AIなど素材の新しさがあって、文章に難がない。細部にミステリらしい工夫も施されていてポイントを稼いでもいるのだが──。非常に惜しいのは、今一つ面白みに欠けること。小さくまとまりすぎたのではないか。書ける方だと思うので、「納得・感心させてやろう」ではなく「驚愕・陶酔させてやろう」の意気込みでまたチャレンジしていただきたい。
 七人の作家による異例の選考会は、とても楽しく充実した時間でした。
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真保裕一[ 会員名簿 ]選考経過を見る
『陽だまりのままでいて』を推したのは、残念ながら私一人だった。多くの弱点はある。警察の捜査も甘い。が、ライトノベル風の作品世界を選択することで、ぎりぎりトリックを成立させようという作者の意図は感じられた。さらに、六作中この作品のみが、登場人物の動機や思いに無理なく共感できた。この視点を大切に書き続けていただきたい。
『ハゲタカの足跡』のストーリーはなかなか練られていた。ただ、致命的にキャラ作りが弱かった。主人公は秘密道具を作り上げる力を持つ優秀な学生でありながら、言動が凡人で魅力につながらなかった。肝となるエマも、ファムファタルを狙ったのだろうが、何を考えて行動していたのか納得しにくい。が、この作者は筆力を磨けば、必ずいい作品を仕上げてくれそうだ。
『許されざる拍手』は、何気ない日常を読ませる筆力に目を見張らされ、前半は楽しめた。ところが、最初の設定のみで書き継いでいったのか、後半になると話が迷走し、読者は戸惑うばかりとなる。本当にもったいなかった。読者をもてなすケレンや気取りは必要と思うものの、ミステリである以上、まず最低限の構成は固めてから執筆してほしい。
『容疑者ピカソ』はタイトル負けしていた。このストーリーにピカソが必須だったとは思いにくい。キュビズムと犯人の似顔絵に共通項を見出すのは難しく、到底証拠となりえない。あくまで捜査の足がかりのヒントにすぎず、ピカソまで持ち出しても多くの読者は腑に落ちないだろう。実際の事件をヒントにした犯罪も、関係者かつ共犯者が多いために個の主張が置き去りになり、作者の都合が優先した。ラストも人物の切なる思いの描写が薄く、どんでん返しの効果よりも後味の悪さにつながっていたと思う。文章力はあるので、一歩引いて自分の組み立てた話を見つめ直す作業をしていただきたい。
『遊廓島心中譚』はプロローグの文章に配慮が見られ、姿勢を正して読み進めた。ヒッチコックの『汚名』を思わせる導入も興味深い。読み進めると、構想のスケールが実に大きく、魅力を感じた。が、春を売る仕事に就く主人公たちの描写に関して、作者は逃げているとしか思えず、強く推せなかった。性を描くことへの作者の覚悟までを求めはしないが、少なくとも女性たちの覚悟と決意の描写がなければ、この物語は成立しない。受賞後に手を入れることで、美しい完成形を期待したい。
『フェイク・マッスル』の面白さが私にはわからなかった。ユーモアでは片づけがたい土台の脆弱さが目についたせいだ。ネタばらしになるので多くを語れないが、SNS全盛の現代に秘密の過去は成立しにくいし、捜査側の動きにもリアリティが不足してはいないだろうか。手堅くまとめた筆力は認めながら、作者が本当に書きたい物語だったのか、疑問が残った。今後の活躍で危惧を吹き飛ばしていただきたい。
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辻村深月[ 会員名簿 ]選考経過を見る
『フェイク・マッスル』が抜群に面白かった。多くの選考委員からこの小説に宿るユーモアのセンスが評価されたが、私はもっと単純にこの小説で示された「謎」と、それを追う展開を心から楽しんだ。真面目で、真面目であるがゆえにちょっと抜けたところのある主人公にも好感が持て、エンタメとして山場となる試練をひとつひとつ乗り越えて読ませるテンポの良さも素晴らしい。登場人物たちが声高な主張なく組織を組織として当たり前に機能させ、読者や犯人の上をいく思考をしているところにも、さりげないけれど信じられる作家の筆力を感じた。受賞、おめでとうございます!
 そして、もう一作の受賞作『遊廓島心中譚』のために選考会でかわされた言葉の数々を、著者にはぜひ直接あの場で聞いていただきたかった。それくらい小説としてミステリとして、選考委員それぞれがこの作品が目指している方向性を語り合い、それに近づくためにどうしたら読者により伝わるかを巡って議論した時間が得難いものだったと感じる。小説を書く者の一人として、私も大いに勉強になった。私たちからそうした言葉を引き出す魅力を十分に持った志の大きい作品であるという点に全員が合意して、受賞作となった。あれだけの血塗られた経緯をまとった事件の先で、他者が体の一部を結びつきの根拠とする心中箱に、互いの好きな石を入れるという伊佐とスタンリーのラストシーンも美しく、著者の今後の飛躍を期待したい。
『陽だまりのままでいて』は、青春小説の中に本格ミステリの謎を扱う作品で、期待が大きかったのだが、ミステリとしての真相の粗さもさることながら、青春小説として、今何をすれば新しいのか、その「強い新しさ」を何か用意してもらえたなら、評価が大きく違ったと思う。タイトルにもある咲那を守りたい、という友情とエゴの形や、他者の事件より自分たちに身近な文化祭に重きを置くあり方の「今っぽさ」は少女たちを扱う既存の物語ですでによく見られるものであり、私もとても好みの要素だからこそ、そこを超える何かを探してほしかった。ただ、著者が「これを書きたい」と思う熱量はよく伝わり、そこはとても好感を持った。
『容疑者ピカソ』。特殊清掃の現場の細部のリアリティーがとてもよく描けていて、ラストで明かされる、主人公がなぜその仕事を選んでいたのかの真相もよかった。ただ、要素が多い作品であるがゆえに事件と謎が渋滞気味で、登場人物のほとんどが何かの事件の関係者になってしまう展開が、結果として小説の奥行きを殺いでしまっている。特にもったいないのが、タイトルにもしているピカソにまつわる手記がうまく本編に絡まず、浮いてしまっている点。書ける著者だと思うからこそ、次は真に描きたい要素を、そここそが際立つような構成で考えてみてほしい。
『ハゲタカの足跡』。主人公が論文をハゲタカジャーナルに投稿してしまい、その事実を絶望しきった眼差しの担当教官に指摘される──このシーンが大変魅力的で、その先に大きな話が広がる予感があり、とても期待した。しかし、話がハゲタカジャーナルの問題としての大きな広がりや側面を描くことなく、個人的な小さな事件に着地してしまった印象。せめてエマか主人公にもっと読者を引きつける魅力があったなら、読み応えが変わったかもしれない。
『許されざる拍手』。前半、引き込まれて読んだのだが、未完成のまま終わってしまった印象。大きな風呂敷を広げようとしたけれど、途中で畳み方を放棄した形のままアートのように展示した、という感覚があり、おもしろくなりそうな題材であっただけに残念!
 第70回、記念の年の江戸川乱歩賞選考会。それぞれに考え方や好みが違っても、同じ「ミステリが好き」という感覚を有する皆さんと心ゆくまで話ができる選考は、とても幸せな経験だった。今回、この場に立ち会えたことを光栄に思うとともに、候補者全員に大きな感謝を捧げたい。
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貫井徳郎[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 ミステリーの賞なのだから、設定か仕掛けのどちらかで「おっ」と思わせて欲しい。そういう気持ちがありますが、それを満たしてくれた作品が少なかったのは残念です。
 唯一、設定に凝った作品が『遊廓島心中譚』でした。舞台は幕末の横浜で、主人公はらしゃめん。これだけで興味を惹かれますが、ミステリーとしてもかなりいろいろがんばっています。一番の高評価でした。
『フェイク・マッスル』の作者の作品を読むのは、これで三度目です。過去二作はトリック勝負の作品だったので、今回はそうでなくなったのが残念でした。驚いたのは、これをユーモアミステリーと読んだ選考委員が多かったことです。過去二作が生真面目な作風だったから、そうした読み方はまったくしませんでした。当てる物差しを間違えていたようです。
『ハゲタカの足跡』は困った作品でした。きちんとできているのです。読んでいて面白い。ですが、設定も仕掛けも目を惹くところがありません。すでにプロデビューしている人が、アベレージの無難な作品を書いたかのようです。これでは新人賞は突破できません。仕上がりはいびつでも、何か新しいパワーを感じさせる作品を新人賞は求めています。特徴のない作品でデビューしても、ご本人のためにならないと判断しました。
『陽だまりのままでいて』は、採点すれば高得点はつけられないけれど、好感が持てる作品でした。女子高校生が学校の屋上から飛び降りたら、下で倒れていたのは男子高校生だった。この謎は面白い。残念ながら、真相はあまり優雅ではありませんでした。とはいえ、フーダニットではなくホワットダニットに果敢に挑戦した姿勢は評価します。挑戦しつつも、最低限の完成度は確保する。そうすれば、デビューへの道が開けるでしょう。
『許されざる拍手』は、選考委員の多くが未完成と捉えました。確かに、一番おいしいところをぜんぜん描いていないのです。大量殺人者ではないかと思われる人がいる。本当にそうかと調べていったら、やはり殺人者だった。Aかと思ったらBだった、という展開をミステリーなら望みたいですが、まあそこはいい。問題は、その大量殺人者をまったく描いていないところです。なぜ何人も殺したのか? そのきっかけは? どんな考えの持ち主だったのか? そういったことを描くのが、この作品の読みどころでしょう。中途半端すぎました。
『容疑者ピカソ』の作者は、事実を伏せておけばそれがミステリーの謎になると考えているようです。もちろん、違います。見え見えのことでいつまでも引っ張られては、読んでいて苛々するだけです。唯一の引きであったピカソのエピソードがどう絡むかも、完全に肩透かしでした。ミステリーを面白くしているのは何か、じっくり考えてみることをお勧めします。
 おおむね高評価を得た『フェイク・マッスル』の受賞が決まった後も、『遊廓島心中譚』の挑戦した姿勢を惜しむ選考委員が複数いて、結果的に二作受賞となりました。70回記念にふさわしい作品を二作も世に送り出すことができ、大変嬉しく思います。
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東野圭吾[ 会員名簿 ]選考経過を見る
『許されざる拍手』
 孤独死した老人たちの日記をコレクションするというアイデアは秀逸だ。作者はかなり壮大な設計図を描いていたように思われる。ただ残念ながら構想が複雑過ぎて手に余り、時間切れで脱稿せざるをえなかったのではないか。日記の主が何をしていたのかという最大の謎が解明されず、いろいろな伏線が未回収のまま、中途半端に幕が閉じられている。
『陽だまりのままでいて』
 ストーリーに無関係なシーンが多すぎる。プロを目指すからには、読者を飽きさせてはならない。単に焼きそばを食べるだけのシーンであっても、面白く読めるよう工夫すべきだ。ミステリ部分に関しては、客観的に読み直し、この真相やトリックに物理的、心理的なリアリティがあるかどうかを自分なりに評価してほしい。
『ハゲタカの足跡』
 スペック不明のパソコンをひと目見ただけで、データ複製や完全消去に要する時間を割り出せるものだろうか。また主人公は移動手段として愛用のバイクを使っているが、都内を走っているかぎり、警察がその気になれば行動の九十パーセント以上を把握できるだろう。論理に強引な部分もあり、主人公が警察から介入されずに動けたのは少々都合がよすぎる。しかしハゲタカジャーナルを扱っている点は興味深く、文章も悪くない。堅実さを感じさせるオーソドックスなミステリ作品だった。
『容疑者ピカソ』
 思いついたアイデアを何もかもぶちこんだ、という印象を受けた。そうしたやり方は批判されることが多いが、私は評価したい。主人公が遺品処理のバイトをしている理由には驚き、感心した。メインの謎となる殺人事件の真相には多少強引なところがあるが、許容範囲だと判断した。むしろ問題なのは過去の事件のほうで、主人公の心情に同調できない。ピカソとの関連が薄かったのも残念だった。
『遊廓島心中譚』
 外国人の妾になった二人の女性を交互に描くという構成は魅力的だった。この二人の人生がどのように交錯するのかとわくわくしたが、期待外れというのが正直な印象だ。ミステリ要素が少ないと思っていたら、終盤になって突然謎解きが始まり、大いに面食らった。明かされる真相は荒唐無稽で、登場人物たちの心理に納得できないことが多い。しかしこの世界観を好きだという人もいるのではないか。選考会では、この作品についての議論で大半の時間を消費した。それが楽しかったのは、秘めた魅力に惹かれたからだろう。改稿を条件に授賞に賛意した。
『フェイク・マッスル』
 わかりやすい設定、書き慣れた文章で、ストレスなく読めた。突然マッチョになったアイドルのドーピング疑惑を追う、という展開は面白く、スピード感もあった。独自の世界で勝負できる書き手だと思う。注文をつけるとすれば、もっと笑いの要素を増やしてほしかった。採尿作戦がうまくいったり、ピアノ技術を順調に取り戻したり、何もかもがスムーズに進みすぎるところは物足りない。この手のエンタテインメント作品は、これでもかというほど粘っこく、しかも続けざまにネタを投入していく必要がある。
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湊かなえ[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 大きな学びの場となる選考会に参加できたこと、心より感謝いたします。
『フェイク・マッスル』一位をつけました。この春からトレーニングジムに縁ができたことから、テーマに大変興味を持ちました。それがなくても、主人公の潜入取材やそれに伴う成長を笑いながら応援し、ユーモアミステリとして楽しむことができました。潜入取材シリーズとなれば喜んで追っていきたいと思います。おめでとうございます。
『遊廓島心中譚』幕末の横浜を舞台に、綿羊娘となった女性二人を軸として、骨太な本格ミステリに挑んでおり、読み応えがありました。「信実の愛」の証明とは何か、他二、三点、些細な疑問は生じましたが、ブラッシュアップにより、作者ならではの世界観を確立した重厚な作品に生まれ変わると信じています。おめでとうございます。
 タイプの異なるミステリの二作同時受賞により、互いの作品の個性がより引き立つのではないかと思います。お二人とも、どんどん書いてください!
『容疑者ピカソ』特殊清掃の現場からピカソに繋がる日記を見つけるという導入に心を惹かれ、一気に読むことができました。未成年の性被害というデリケートなテーマに対し、若い刑事が真摯に寄り添う姿勢を感じることができたため、この作品の受賞もアリか、と考えましたが、ラスト三行で台無しになりました。怒るところはそこなのか、と。また、主人公に影響を与えたピカソの行動が肩すかしを食うものだったり、ピカソのキュービズム手法で描かれた容疑者の似顔絵に必然性を感じなかったりと、魅力的な道具立てが生かされていない点も残念に思いました。登場人物の名前にも配慮が必要です。実在の事件を面白がっているように思えて不快でした。どんでん返しや意外性を、受け狙いと混同してはいけません。場面の描写や、人物の心情をエピソードで描ける点など、上手いと感心する箇所は多々ありました。あと一歩だと信じて、これからもどうか書いてください。期待しています。
『ハゲタカの足跡』惜しい作品でした。主人公が大学院で何を学び、何を目指しているのかがわからないまま物語が始まったので、ハゲタカジャーナルに騙されることの重大さが理解できず、殺人事件が起きるようなことなのか? と物語に入り込めないまま読み進めてしまいました。冒頭、彼女と別れる場面から始まるのであれば、互いの信念がもっと掘り下げられていた方が、続く物語にメリハリが出たのではないかと思います。作品全体に大きな破綻は見られません。あとは、見せ方の工夫だと思います。この作品のおもしろいところはどこだろう、と全体を客観的に見返すためにも、梗概は最後まで書きましょう。がんばってください。
『陽だまりのままでいて』難しいトリックに挑んでいますが、一〇〇%不可能です。一%でもいいので「あるかも」と思わせる工夫をするのがプロの仕事です。高校生の心情描写は上手いのに、刑事が情報を明かし過ぎたり、隣家の男性が通報せず隠蔽工作をしたりと、主人公の親や教師も含め、大人が皆、高校生の延長のような思考の浅い描かれ方で、物語全体がふわふわとした印象になってしまい、もったいないです。梗概は三人称で書いた方が、作中、見落としていたことなどに気づきやすいのではないかと思います。
『許されざる拍手』田舎の役場に勤務する主人公の日常が、徐々に不穏な空気をまとい、歪なものに飲み込まれようとしている。そんな高い描写力とともに進んでいく物語に期待したものの、まさかの後半、やっつけ仕事の強制終了。開始一文字目からの誤字で、推敲していないことはわかりました。自宅の場面のはずが外出先のような描写になっていたり、美代が警察だった時、などと初出情報が既出のように書かれていたり。しかし、それよりも残念なのは、作品が未完成(私はそう捉えています)であることです。乱歩賞は毎年あります。他のミステリの賞もあります。どうか、可能性を秘めた作品を最後まで大切に扱ってください。
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立会理事

選考委員

予選委員

候補作

[ 候補 ]第70回 江戸川乱歩賞   
『容疑者ピカソ』 相羽廻緒
[ 候補 ]第70回 江戸川乱歩賞   
『陽だまりのままでいて』 雨地草太郎
[ 候補 ]第70回 江戸川乱歩賞   
『ハゲタカの足跡』 工藤悠生
[ 候補 ]第70回 江戸川乱歩賞   
『許されざる拍手』 津根由弦