1993年 第46回 日本推理作家協会賞 長編部門
受賞の言葉
今から十六年前、大岡昇平氏の『事件』を読みました。まったく本嫌いでほとんど小説は読まなかった私が手に取った、ほんの数えるほどの本の中の一冊であり、今でも細部を鮮やかに覚えている印象深い小説の一つです。年月が経ち、どういうわけか自分で小説を書き始めてから、かの『事件』が日本推理作家協会賞を受賞した作品であったと知りました。それからまた少し歳を取り、今日気がつくと、自分の作品が同じ賞を頂戴するという事態になっていました。私にとっては、これこそこんなことがあってもいいのかと思う、感慨ひとしおの『事件』です。
時代は休みなく動き、年々多くの作品が生まれ流されていきますが、その中から年月に耐える作品が一つ二つと渓流の縁に残り、岩となっていくのでしょう。その岩のいくつかに本賞の名が冠されているのを見るとき、私の作品も岩の一つになれるだろうかと、粛々とした思いで身を引き締めております。
- 作家略歴
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1953~
大阪市生れ。国際基督教大学卒。
商社に勤務していた一九九〇年、「黄金を抱いて翔べ」で日本推理サスペンス大賞を受賞。九三年、「リヴィエラを撃て」で日本推理作家協会賞長編部門を、九三年、「マークスの山」で直木賞を受賞した。長編はほかに「神の火」「照柿」「レディ・ジョーカー」があり、短編集に「地を這う虫」。
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
- 大沢在昌[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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第四十六回日本推理作家協会賞の選考は、一九九二年一月一日より十二月三十一日までに刊行された長編と、各小説雑誌の一月号から十二月号までに掲載された短編、連作短編集を対象に、例年通り昨年十二月より開始された。
協会員、出版関係者のアンケート結果を参考に、長編三六十篇、短編五七四篇、連作短編集三六篇、評論その他の部門二六篇をリストアップした。
これらの諸作品を、協会より委嘱した部門別予選委員が選考にあたり、長編十七、短編四十、連作短編四、評論その他が七、の各篇を第二次予選に残した。
最終予選委員会は、三月一日、二日の両日、協会書記局で開催され、候補作を選出した。
候補作は既報の通り、長編三篇(当初は四篇であったが、著者一名が辞退した)、短編五篇、評論その他が四篇、連作短編が二篇、という内容で、理事会の承認を得た後、本選考委員会に回付した。
尚、今年度より、予選、本選考委員の選考に要する時間を鑑み、全体では約二ヵ月間、前年度より遅らせることになった。これは年々、候補作の分量が増大していることに対応するためである。
本選考委員会は五月十八日、午後六時より、第一ホテルアネックス「藤の間」にて開催された。逢坂剛、清水一行、高橋克彦、檜山良昭、森村誠一の五選考委員全員が出席、大沢在昌が立会理事として司会し、各部門別の候補作について慎重かつ活発な意見交換のもと、審議がおこなわれた。
その結果、本年度は長編部門が一篇、評論その他の部門で二篇、受賞作が決定した。
選考内容については、各選考委員の選評を参照していただきたい。閉じる
選評
- 逢坂剛[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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長編賞については、ぶっちぎりに近い形で『リヴィエラを撃て』に決まった。その圧倒的なボリュームと密度の濃さを前にしては、『ある閉ざされた雪の山荘で』の謎も『ブルース』のブルータリティも、いささか霞んでしまった感がある。
優れた推理小説の条件は、鬼面ひとを驚かすトリックもさることながら、犯人が殺人を犯すにいたる動機や手段に、合理性と必然性が備わっていることだと思う。むろん一方では、推理小説はふつうの小説と違うので、トリックが論理的に成立しさえすればそれでよい、とする意見もあろう。しかしそういう推理小説もまた、人間心理に今一歩踏み込んだストーリーテリングを心がけることで、いっそう優れた作品になるなずではないか。これは今回受賞作の出なかった、短編についてもいえることである。その点『リヴィエラを撃て』は、推理小説に≪推理≫だけでなく≪小説≫を求める読者に対して、十分な満足感を与える作品であった。
評論その他の部門では、『文政十一年のスパイ合戦』がまず受賞作に決まった。おおもしろいという意味では、候補作中随一の作品だったが、作者の推論(あるいは断定)を裏付けるべき根拠、出典が示されていない箇所がいくつか目についた。もし作者に、この作品を単なる読み物としてではなく、学問的成果として提示する意図があったとすれば、その点にいささか不満が残った。
もう一つ、この部門で『欧米推理小説翻訳史』が受賞したことは、推協賞の趣旨からして当然の結果ともいえよう。こうした作品をきちんと評価しなければ、推理小説評論の水準を高く維持することは、今後いっそうむずかしくなる。資料の博捜と綿密な考証は、古書の世界に詳しいこの著者の持ち味であり、本書も知的刺激に満ちている。ページ数の少ないのが唯一の不満、といっても過言ではない。閉じる
- 清水一行[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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今回の候補作について、わたしは長編短編を問わず、高村薫さんの<リヴィエラを撃て>が、一番秀れていると思った。
この作者は従来日本では見られなかった、新しいタイプの書き手で、筆力があり構成力に秀れ、素材に対する分析、把握力もあってそれでまだ四十歳代。人間観察にも秀れたものがあり、文句なしである。
それと現在の時間と過去の時間を、交互にクロスさせる計算された構成がとられていて、謎の配列と複雑にからみあう、登場人物たちの愛と憎しみの構図が、効果的に次第に鮮明になっていくという、凝った構成も見どころの一つだと思う。
花村萬月さんの<ブルース>は、評価の分れる作品、ブルースへの過剰な思い入れが邪魔になり、わたしは読み進めるのがしんどかった。
東野圭吾氏<ある閉ざされた雪の山荘で>は、アイデア着想が光っていること。しかしそれだけで決め手がない。取材をもうすこしていねいにやってもらいたい。
短編で印象に残る作品はなかった。
連作短編は、短編として選ぶならその中の一点。全体として推すなら長編部門に入れるべきではないか。
山崎洋子さんの<横浜幻燈館>は、受賞してもいい作品だった。
ノンフィクションの秦新二氏<文政十一年のスパイ合戦>は立派な作品で当然の受賞である。資料に忠実なノンフィクション作品ながら、シーボルトとシーボルト事件に新しい光を当てたもので、歴史ミステリーとして読んでも、大変興味深い労作。
まだ四十五歳なのだから、これ一作で終わらせないよう、わたしは次作を期待している。閉じる
- 高橋克彦[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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もともと政治的な匂いの強い小説は苦手としている。大作と認めることはやぶさかではないけれど、読み通すには苦労させられた。結果としての感想は、これほどの頁を費やさねばならぬ事件だったのか、という戸惑いだった。正体が割れてみると、リヴィエラの小ささが気になる。それが現実だという考えもあろうが、二千枚近い物語を読んだという充足がない。小説なのだから、もっと華麗に演出できたはずだ、と不満が残った。もっとも、この小説の面白さは、私が苦痛に感じて読み進めた政治の背景部分にあるのかも知れない。こういう世界に造詣の深い檜山さんや逢坂さんが「面白い」と評価を下したなら、素直に従おうと心に決めて選考会に臨んだ。ずるい考えかもしれないが、苦手だからと言って詰まらない小説と退けるわけにはいかない。
一方、東野さんと花村さんの小説は私にとって文句なしに面白い作品だった。東野さんの小説作りの上手さは定評あるところだが、今度の候補作にもミステリーの醍醐味があって、俗に言う「掌に汗を握り」ながら読んだ。一頁先の予測がまるでつかない。どんでんも見事だ。選考委員の立場も忘れ、ただの読者に戻って楽しませていただいた。ミステリーにこだわり続ける東野さんの姿勢を、やはり私は高く評価したい。そして花村さん。脇役の徳山という人物の描出が抜きんでている。北方謙三さんが登場して来たときの勢いと、大沢在昌さんが「新宿鮫」で勝負して来たときの熱気と同質のものを覚えた。
結果として高村さんに軍配が上がったわけだが、許されたならば三本同時受賞でも構わなかったのでは、というのが私の偽らざる思いである。今回、ここに並んだ三人が今後のミステリーを牽引して行く人たちであると私は確信している。閉じる
- 檜山良昭[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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長編部門では、高村薫さんの「リヴィエラを撃て」を推した。登場人物の多いこと、冗漫な部分が目につくこと、という欠点もあるが、作者のエネルギーと情熱を買った。花村萬月氏の「ブルース」も注目すべき作品だが、作者のひとりよがりの思い込みに、いまひとつのめりこめなかった。また、「ブルース」は推理小説としての構成力が弱いのも物足りない部分である。東野圭吾氏の「ある閉ざされた雪の山荘で」は、小説の作りは上手であるし、構成も巧みだが、こじんまりまとまりすぎているのが食い足りない。
長編賞は多少の欠点はあっても、既存の推理小説界に衝撃を与え、またその変化をもたらすような意欲的で野心的でパワフルな作品に与えられるべきだというのが私の考えである。高村さんの作品はそれに十分に値する作品であると言えるだろう。
短編部門では、短編一作の候補作と短編集の候補作では、どうしても短編集の読後感のほうが強い。公平を期すならば、これからは短編集の中の最良の作品一作を候補作にしてはどうか。私は候補作の中では山崎洋子さんの「横浜幻燈館」に惹かれたが、さてこれが短編賞の授賞水準に達した作品かと問われれば、強く推薦する自信はなく、消極支持にとどまり、結局は授賞該当作品なしに同意した。
評論部門では、秦新二氏の「文政十一年のスパイ合戦」が文句なしにおもしろかったが、さてこの作品は「評論その他の部門」に含めて善いのかという素朴な疑問が沸いた。この種の作品を候補作に入れるならば、長編部門に入れるべきではないのか。長編部門はフィクションの長編小説に限るというならば、「評論その他の部門」は今後無限に拡散してしまうだろう。
そこで、純然たる評論部門の推薦作を選ぶならば長谷部史親氏の「欧米推理小説翻訳史」と考えたのだが、この作品は続編も出版されるようだし、それを待って選考しても遅くはないと判断した。ただ、他の選考委員の意見を入れ、二作授賞を提案したのは私である。閉じる
- 森村誠一[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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いつもおもうことであるが、新人賞と異なり、すでに一家をなした同業者の作品を選考するのは不遜な行為である。だが、これも協会賞を先にいただいた者の義務としてお許しいただきたい。
『ブルース』は激しい作品である。作者が作品にこめた情熱が熱っぽく迫ってくる。その分、作者が自分の作品に陶酔している。自己陶酔の作品と、作者自ら作品との間に距離を設けている醒めた作品があるが、これは前者の部類である。
作品の中で、作者自身がサチオの演奏について、主人公に
「おまえは弾きすぎるよ。ボーカリストの邪魔ばかりしている。(中略)このお姐ちゃんの歌にまったく対応していないだろう。おまえは自分の技巧に溺れているんだ。(後略)」
と言わせているが、この作品についても作者は書きすぎて、自分の情熱に酔いすぎているところがある。抑制をかけていない。親衛隊読者はそこに酔い、醒めた読者は作者の濃厚すぎる体臭に辟易、あるいは反発する。それが邪魔をして受賞に必要なだけの票を集められなかったと言えるだろう。だが、この作者の秘めたパワーは凄い。
『ある閉ざされた雪の山荘で』は見事な本格推理である。だが、本格推理の宿命として、人間が人工的に配線され、小説の骨格を脆くしてしまう。本格推理小説は本来そのようなもので、トリックや謎の構築にこだわればこだわるほど人工性が強調されて、人間をつくりものにしてしまうのである。
私としては『ある閉ざされた雪の山荘で』よりは同じ作者の『交通警察の夜』の方が好みなので、そちらを推したが、『横浜幻燈館』と票が真っ二つに割れて、どちらも受賞に至らなかった。
『リヴィエラを撃て』は重厚で、力のこもった作品である。作者が女性とはとうていおもえない骨太の作品である。
物語は輻輳し、ある選者に「三度読むとわかる」と言わしめたほどである。多数の人間が次から次に殺される。殺す者、殺される者が入り乱れ、メモを取って読まないとよくわからなくなる。大量殺人のわりには動機が呆気なく、謎が浅い。
推理小説の原則となっている「殺人の節約」が、この作品ではまったく意に介されていない。だが、そのような不備を補ってあまりある圧倒的な迫力が全編に漲っている。
私自身は次作の『マークスの山』の方が好きだが、今回の長編候補作ではこの作品に止どめを刺された。
ただし、『哲学者の密室』が辞退されなかったならば評価伯仲して、どのような結果になったかわからない。
短編部門では『横浜幻燈館』の綿密な考証と時代の雰囲気が高く評価されたが、そのわりに謎が浅く、推理味の薄いところが減点された。
『交通警察の夜』は、これまで推理小説に取り上げられたことのない新たな分野の開拓と、現代的な視点に敬意を表するが、交通警察自体の取材が浅く、その造形が薄い。架空の存在であっても現実に密接して作品世界を構築しているのであるからリアリティの肉づけが必要である。
第一話「天使の耳」と同程度の厚みが他の連作に維持されていれば、文句なく受賞というところであったろうが、『横浜幻燈館』と票を分け合ってしまった。
短編では『いつもの儀式』が五本の中で最も強く印象に残ったが、同じテーマの先行作品がいくつかあって、受賞作として推すのにためらいがあった。連作短編集と単発作品を同じ土俵で比較するのも後者の方が不利である。
評論その他の部門は棄権した。それは文芸評論を作家が評価することは「評価の評価」となってしまい、作家の領域外だとおもったからである。
なお「評論部門とその他の部門」において評論とノンフィクションを同じ土俵で評価するのもいかがなものであろうか。だがこれ以上部門を増やせばきりがなく、今後の協会賞に負わされた課題であろう。閉じる