1998年 第51回 日本推理作家協会賞 長編部門
受賞の言葉
受賞作は、捨て身の気分から生まれたといっても言い過ぎではありません。
いつか、これまでに書いたことのないタッチで収束しない物語を好きに書きたい、と願っていました。その機会をいただいたのは嬉しかったのですが、その実、失敗するのではないか、読者の支持を得られないのではないか、と不安でたまらなかったのです。
しかし、空振り三振したところで命を取られるわけではないし、二、三年本が出なくたって何とかなる。そう覚悟して、とりあえず書き始めてみました。駄目でもともと、の捨て身状態でした。ところが、予定紙数を大幅に越えて登場人物たちが勝手に動き回り、自分にこんな一面があったのかと驚くほどでした。その意味でも、記念すべき作品となりました。思いがけず、このような栄えある賞をいただけることになり、心から感謝しております。本当にありがとうございました。
- 作家略歴
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1951~
石川県金沢市生まれ。成蹊大学法学部卒。会社員を経て文筆業に入る。
九三年「顔に降りかかる雨」で第三九回江戸川乱歩賞を受賞。
九八年「OUT」で第五一回推理作家協会賞受賞。
九九年『柔らかな頬』で第一二一回直木賞受賞。
2004年『残虐記』にて第一七回柴田錬三郎賞を受賞。
2005年『魂萌え!』にて第5回婦人公論文芸賞を受賞。
2008年『東京島』にて第44回谷崎潤一郎賞を受賞。
2021年 第8回早稲田大学坪内逍遙大賞大賞を受賞
「天使に見捨てられた夜」「ファイアボールブルース」「水の眠り灰の夢」など。
趣味は映画鑑賞。
受賞の言葉
迷いながら書いた。
デビュー作ですべてを出しきってしまった後の抜け殻のような状態。望外の売れ行きに対する戸惑い、畏れ、混乱。
なにを書けばいいのかわからなかった。どう書けばいいのかわからなかった。
書いては消し、書いては消し、やがて、幻聴が聴こえるようになった。
――書きたいことを、もっとも適切な形で書け。
『鎮魂歌』はそうしてできあがった。
賞をいただいたということは、わたしが聴いた声がただの幻聴ではなかったということだろう。
書きたいことは一つしかない。それをどう描くか。そのことにこだわって、これからも書きつづけていこうと思う。
- 作家略歴
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1965.2.18~
北海道生れ。横浜市立大学卒。
出版社勤務ののちにフリーに。本名で「本の雑誌」などで書評を手掛けたのち、一九九六年、馳名義の長編第一作「不夜城」を刊行。九七年の第二作「鎮魂歌」で日本推理作家協会賞長編部門を受賞。さらに「夜光虫」「漂流街」と長編を刊行し、九九年、後者で第一回大薮春彦賞を受賞する。2020年『少年と犬』にて第163回直木賞を受賞。
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
- 大沢在昌[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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第五十一回日本推理作家協会賞の選考は、一九九七年一月一日より十二月三十一日までに刊行された長篇と、各小説雑誌の一月号から十二月号までに掲載された短編、連作短篇集を対象に、例年通り昨年十二月より開始された。
協会員、出版関係者のアンケートを参考に、長編三一五篇、短編八一六篇、連作短編集二一篇、評論その他の部門二一篇をリストアップした。
これらの諸作品を協会より委嘱した部門別予選委員が選考にあたり、長編十二、短編三八、連作短編二、評論その他が十五、の各篇を第二次予選に残した。最終予選会は、三月四日、六日の両日、協会書記局で開催され、候補作を決定した。
候補作は既報の通り、長編三篇、短編四篇、連作短編が一篇、評論その他が四篇という内容で、本選考委員会に回付した。
本選考委員会は五月十九日、午後三時より、第一ホテル東京「カトレア」にて開催された。生島治郎、勝目梓、北村薫、佐々木譲、船戸与一の全選考委員が出席、大沢在昌が立合理事として選考をおこなった。本年度は長編部門が二篇、評論その他の部門が二篇の受賞作が決定した。評論その他の部門の受賞作「本格ミステリの現在」に関しては、編者である笠井潔氏が対象とされた。
選考内容については、各選考委員の選評を参照していただきたい。
受賞者記者会見には、桐野夏生氏、馳星周氏、北方謙三理事長が臨み、笠井潔氏、風間賢二氏からはファックスによるコメントが寄せられた。
なお、この記者会見の模様は、スカイパーフェクTV「ミステリチャンネル」にて、録画放映される予定である。閉じる
選評
- 生島治郎[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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長編部門で私がもっとも面白かったのは、馳星周の『鎮魂歌』であった。文章のリズムが良く、チャイナ・マフィアというユニークな世界を生き生きとエネルギッシュに描いている。
いかにも伸び盛りの作家という感じで、今後の活躍にも大いに期待ができる。
桐野夏生の『OUT』は力作である。
力作であることは大いに評価できるのだが、バラバラ死体を扱ったものだけに、読むのがなかなかしんどかった。
女性だからしぶとく描けたのであって、男性作家にはこういう血まみれな世界をきめ細かく描く生理はない。その意味では女流らしい作品だと言えるかもしれない。
いずれにしても、私は同時二作受賞に全く異論はなかった。
短編では野沢尚の『殺されたい女』が、私にはもっとも面白く読めたが、ややストレートすぎた。
他の短編にも言えることだが、ストレートなテクニックでは限られた枚数の短編では個性が出しにくい。
今後の精進を期待したい。
評論では、私には特にユニークな作品がなかったように思う。
『本格ミステリの現在』は編書としてはユニークであり、それぞれの評論は面白く読めたが、笠井潔の本格論は新味がなく、ややせまい視野にとらわれすぎているように思う。
『ホラー小説大全』はブック・ガイドとしては貴重だが、ホラー論としては新味に欠けるところがある。
評論は、元来、実作より一歩先んじたクリエイティブな作品であらねばならないはずだというのが私の持論である。
今度の候補作の中に『スクランブル』が残されたのは疑問である。短編連作とは一編ずつが完結し、なおかつ、それを並べてみた場合にひとつの連りがあるという作品でなければならない。
その意味では、『スクランブル』は長編のジャンルにしか当てはまらないのではないか。
予選委員の一考をうながしたい。閉じる
- 勝目梓[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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長篇小説は桐野夏生さんの『OUT』を私は支持した。佐竹という特異な人間像の持主を物語りの主軸に絡ませたところには異論もあるが、熱気をはらんだ力業の一作である。香取雅子を中心とした平凡な主婦たちのリアリスティックな造形を通して、乾ききってザラッとするような今の時代の空気を捉えてみせたところに私は感服した。
馳星周さんの『鎮魂歌』の受賞にも、私は特に異論はない。前作の『不夜城』とともに、他に類のない独自の世界を拓いて見せた力量は、評価されて当然であろう。スピーディーな文体とテンポの早い場面展開は読んでいて心地良い。だが、その心地よさが小説としての底の浅さになりかねない危うさも私は覚える。
阿井渉介さんの『荒南風』は、丁寧な筆遣いの作だが、有無を言わせぬ力に欠けている。文章も清々しいし、話の運び方もツボにはまっているのだが、それだけに型にはまり過ぎた憾みが残る。
短篇小説の部門では私は、北森鴻さんの『バッド テイスト トレイン』にある種の才気と洒落気を感じて惹かれたが、話の作り方にいくらかの無理が目立って、強く支持するには迷いを捨てきれなかった。
柴田よしきさんの『切り取られた笑顔』は、持って回った作り方にしては、途中で話の底が割れている。
新津きよみさんの『殺意が見える女』は手のこんだ作りだが、作者の仕掛けたトリックに見事にはまったという快感を味わうには至らなかった。切れ味不足だろう。
野沢尚さんの『殺されたい女』はサスペンス十分で、読んでいる限りでは面白い。だが、テレビ局にかかってきた素性のわからない相手からの電話を、ディレクターが"直感"だけで真に受けて、殺人事件が起きることを"確信"するという話の発端には首をひねるところがある。一つにはそのために読後の味気なさが残った。
若竹七海さんの『スクランブル』は連作短編集だが、連作の背景を成すべき部分のこしらえがいまひとつ物足りない。軽快な語り口や、登場する女子高校生たちの描写、会話には生彩があるだけに惜しまれる。
評論その他の部門では、笠井潔さんの編になる『本格ミステリの現在』と、風間賢二さんの『ホラー小説大全』を私は推した。前者は、大半の論者のことさらに難解を良しとするような、大上段のスタイリッシュな文章も含めて、その元気のよさと論旨の刺戟的なところを私は買った。後者はホラー小説の入門書、読書案内として読みやすく適切。趣味的な偏りを免れている点に好感を持った。
竹内靖雄さんの『ミステリの経済倫理学』は、エッセイの楽しさがもう少し欲しい。
山崎光夫さんの『藪の中の家』はたいへんな労作で興味深く読んだ。だが、当賞の対象として考えると、そぐわない性質の作品だったかもしれないと私は思っている。閉じる
- 北村薫[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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長編部門では、『OUT』と『鎮魂歌』を共に推した。優れた作品においては、常識の目から不合理と見える部分が、傷とはならず、むしろ必然であったりする。二作ともにそういうところがあった。紙数の関係で、『OUT』に限っていうなら、最後の暴行された雅子の魂が、佐竹の魂と通じ合う部分である。この瞬間に、物語の全ての組み立てが明らかになる、人物の配置にも事件にも無駄はなかった。犯罪小説と思って読んでいたことが、まったくの誤りだったと分かる。死体解体とは決してリアリスティックなものではなく、≪人でなし≫となること、即ち、他者からの絶対の孤独を意味するものであった。詳述する余裕はないので、≪最も似通う小説として『銀河鉄道の夜』を思い浮かべた≫といえば手っ取り早い説明になるだろう。さみしいジョバンニ、雅子は、ここでは≪主婦≫となるところにも、作者の現代を見る目がある。『鎮魂歌』は、当たり前の『不夜城』続編ではない。そうしなかったところに、並々ならぬ作者の才があり、また、ひとつの≪世界≫を立体化しようという意志がある。劉健一を、描かずに描くという方法も成功していた。闇はいよいよ深い。即ち、卑小な人物をも巨大に描く手腕もまた健在ということである。『荒南風』も一気に読めたが、これら二作の圧倒的な力には及ばないと思った。なお、本格系の作品が候補にあがらなかったことは、推理作家協会員として、さみしくもあり、不思議でもあった。
短編及び連作短編集部門では、『殺意の見える女』が最も面白く読めた。基本的な仕掛けが鮮やかに決まっている。また、≪この人がこれを書く≫というところに、たまらない妙味も感じた。次いで、『スクランブル』も、出だしから魅力的な物語が展開されたが、それだけに≪最も、これに共感出来るのは、同じ時代を過ごした人々だけではないか≫という思いが付きまとった。女性達の過去を振り返るところが卵という連想に繋がるのだろうが、各章の表題が、それぞれ、なぜそこに置かれるのか読み切れなかった。『バッド テイスト トレイン』『切り取られた笑顔』『殺されたい女』も、それぞれに一長一短あった。
評論その他の部門では『ホラー小説大全』を推した。いい意味での素人っぽさ、つまり、無条件の情熱と愛情を忘れることなく中核に置いた、(ここが肝心なのだが)玄人の本だと思った。『本格ミステリの現在』についてはわたし自身、作家論の対象ともなり、また書き手の一人になっているので、論議にも加わらず投票も棄権した。『藪の中の家』の、新資料下島日記発掘の功績は大きい。そこに感銘を受けるだけに、薬に関する≪謎≫と解明はなくもがなだと思う。文庫本にまでなった芥川関係の基本図書、宇野浩二の『芥川龍之介』で一ページで書かれていること、しかも、芥川文学の本質にかかわることでもなく、善意で隠されていたことを、ことさら≪謎≫として提示する必要があるのだろうか。それがなくても、十分に読ませる本だと思う。『ミステリの経済倫理学』は、広くミステリを読み、個性の前面に出た感想が述べられていたが、協会賞となると、それ以上の強い個性が必要に思えた。閉じる
- 佐々木譲[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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新米選考委員としては、推理作家協会賞についてこう考える。「同業団体が同業者に賞を贈ることの目的はただひとつ、業界の活性化である」と。この観点から、わたしは選考委員会に臨んだのだった。
選考会の冒頭、複数の委員から、予選委員会で「計量ミス」があったのではないか、と疑義が出され、議論となった。ひとつは評論その他の部門の候補作「藪の中の家」は、小説部門の候補となるべきではないかというもの。もうひとつは、わたし自身も主張したのだが、連作短編集の候補として上がってきた「スクランブル」は、長編賞候補ではないかというものだった。
けっきょく予選委員会の決定を尊重するということで落ち着いたが、候補作の振り分けについては今後も議論が繰り返されるような気がする。
さて、評論その他の部門では、笠井潔氏編の「本格ミステリの現在」と風間賢二氏の「ホラー小説大全」が二作同時受賞と決まった。ミステリーというきわめて趣味性の強い文芸のジャンルでは、この二作のような偏愛と細部へのこだわりに徹した評論活動が不可欠と考える。「本格ミステリの現在」については、正直なところその前書きからして門外漢のわたしの読解力を超えており、途方に暮れるほどエクスクルーシブであった。しかし、前述したように業界の活性化という視点からは、このような評論集が編まれることは大いに支持したい動きである。最後まで読み通すことができなかったにもかかわらず、推薦にまわった次第。「ホラー小説大全」は、著者が前書きに記すとおり、「気軽な入門書、啓蒙書・・・・ブックガイド」であり、貴重な情報の詰まった実用書であるが、作品の選択や解説は必ずしもニュートラルではないし、伝統的でもない。サブ・カルチャーとしてのホラーを、よりサブ・カルチャーの辺境近くに探索した評論集と読めた。最近のスプラッタパンクやナスティ・ホラーについての紹介も興味深いものであった。
短編および連作短編集の部門では、支持が完全に割れたため受賞作なしと決まったが、わたしは若竹七海氏の「スクランブル」と強く推した。学園ミステリという、わたしにはなじみのない分野の作品であるにもかかわらず、女子高生の生態を気持ちよく読ませてもらえて、読後感もよかった。また本作のリーダビリティのよさは、長編部門を含めて較べてもいちばんだろう。
長編部門受賞作の、馳星周氏の「鎮魂歌」については、プロットにいくつかの破綻があり、しかも展開が一本調子という瑕疵はある。しかし全編を貫くテンションの高さと、オリジナルな小説世界を作り出した力が、これらの減点要因を圧倒した。桐野夏生氏の「OUT」は、ファンタジーと読むべきか、リアリズムの小説と読むべきなのか、最後までとまどい続けたのだが(けっきょくわたしは、ファンタジー寄りに読んだ)、人物造形が見事で文体にも魅力がある。受賞は当然の力作であった。閉じる
- 船戸与一[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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選考会前日の夜、佐々木譲に電話を掛けて談合を試みたいという誘惑にふと駆られた。しかし、やめた。彼は根っからの正義派なのである。賄賂も利益誘導も効かないのである。そういう徒手空拳で選考会に臨んだのだが、莫迦げた感ちがいのために一時間遅刻した。
余が熱意を持って推したのは次の二作だ。
『本格ミステリの現在』
これはいまどき珍しいマニフェストである。本格派が一丸となってハードボイルド派に向けてあげた反撃の狼煙だ。余は本格ミステリなるものをほとんど読まないが、展開された論理は実に興味深い。マニフェストだから当然オーバランする。ハイデッガーだの、デカルトだの柄谷行人だのが勝手に証言台に引きずり出され、その都合のいい言説だけが摘み食いされる。導かれようとする結論もきわめてひとりよがりだが、本書の価値はまさにそこにある。オーバランしないマニフェストはマニフェストとは言えないのだから。そして、本書のさらなる価値はこれが小説の実作者たちによって書かれたということだ。それはこのまま本格派の志操と熱情の強さを表わすものだろう。このことは何度も繰りかえされたが、まだ答えの定着していない問題――つまり、文芸上のアバンギャルドとは何かということをミステリの現場で再燃させるはずだ。同時に、本書はミステリ書評が印象批評に留まっている現実にたいする声高な抗議であり、書評家たちにきっちりとした批評軸を明示せよと迫るものなのである。ミステリ文芸活性化のためにも、この時期これが上梓された意味は大きい。それにしても、笠井潔よ、こういう難しいことは汝ら本格派に委せる。そのあいだにハードボイルド派はひたすら金儲けに勤む。
『藪の中の家』
ただし、余はこれを長編小説部門の賞として推した。どう読んでも小説なのである。小説の形式を借りた評伝ではなく、評伝の装いを凝らした小説だ。報告者たる著者の小説的自己客体化。証言者たちの登場のさせかたの手法とその小説的リアリティ。新たに発掘した第一級資料とすでに知られている宇野浩二の記述の配列をめぐる小説的作為。これが小説でなかったら何だろうか?そして、小説としてきわめてスリリングである。余は本書を長編小説部門で討議すべきだと提案した。だが、佐々木譲を除く他の選考委員は次の三つの理由で反対した。(1)それを認めたら本書を評論部門でノミネートした下読み選考委員の立場がなくなる。(2)突然の動議提出は本選考会を混乱させ収拾がつかなくなる。(3)本書が長編小説部門賞を受賞した場合、もし著者に小説のつもりがなかったなら、それは大いに迷惑なはずだ。しかし、(1)の下読み選考委員の立場云々は推理作家協会という組織体の運営の問題であり、もっとも魅力的なミステリを選出するという本選考会の目的とはレベルを異にしている。(2)の混乱云々は混乱したっていいじゃないかと言うしかない。(3)については作品はすでに作者の意図を離れて独り歩きしているのだと考えるのがふつうだろう、もしそれに著者が不服なら受賞を拒否すれば簡単に解決することだ。だが、遅刻の負い目があって余の説得にはいまひとつ迫力に欠けた。結局、多数決で否決。げに恐ろしきは遅刻なり。
それにしても、やぁれやれだ。終わった、終わった、二年間の任期が終わった。やぁれやれだよ、まったく。賞の選考ってやつがこんなに草臥れるものとは知らなかった。譲ちゃん、あと一年勝手に苦しんでくれ。けけけ。遅刻は駄目だぞ。閉じる
立会理事
選考委員
予選委員
候補作
- [ 候補 ]第51回 日本推理作家協会賞 長編部門
- 『荒南風』 阿井渉介