1983年 第29回 江戸川乱歩賞
受賞の言葉
講談社より受賞の連絡をいただいて七時間が過ぎた。夜半の三時である。地元のテレビ局が早い時間に報道して下さったおかげで、昨夜から我が家の電話は鳴りっ放し。昨年、受賞された中津文彦氏からも、同郷のよしみでさっそく温かい激励の言葉をいただいた。友人も続々と祝にかけつけてくれ、何が何だか分からないままに記念すべき一夜が明けようとしている。こんな夜は、ボクの一生の中でも二度とないことだろう。眠れば夢になってしまうような気がして、正直、布団に入るのが怖い。
こう書きながらも、まだ信じられない。
- 作家略歴
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1947.8.6~
盛岡市生れ。早稲田大学卒。
美術館勤務を経て一九八三年、「写楽殺人事件」で江戸川乱歩賞を受賞。「歌麿殺贋事件」「春信殺人事件」といった浮世絵絡みのミステリーや記憶にまつわるサスペンスのほか、壮大なスケールの伝奇小説、ホラー、時代小説など作品多数。八七年、「北斎殺人事件」で日本推理作家協会賞長編部門を、八八年、「総門谷」で吉川英治文学新人賞を、九一年、「緋い記憶」で直木賞を受賞している。
二〇〇〇年「火怨」で吉川英治文学賞を受賞。
2011年第15回日本ミステリー文学大賞を受賞。
2013年第2回歴史時代作家クラブ賞実績功労賞を受賞。
「炎立つ」に続き、二〇〇一年からのNHK大河ドラマ「北条時宗」の原作も執筆。
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
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本年度乱歩賞は、一月末日の締切りまでに応募総数二六二篇が集まり、予選委員(風見潤、千代有三、原田裕、福田淳、松原智恵、結城信孝の六氏)により最終的に下記の候補作五篇が選出された。
なお、会報六月号で発表した候補作のうち二作にタイトルおよび作者名に変更があったので次のように訂正する。(「雪のとばり」佐田純孝→「消えた添乗員」有馬秀治、「蝋画の獅子」霧神顕→「写楽殺人事件」高橋克彦)
<候補作>
「トワイライト」 取井科南子
「港名(ポート)コード・531」 大須賀祥浩
「星狩人(コメットハンター)」 矢島 誠
「消えた添乗員」 有馬秀治
「写楽殺人事件」 高橋克彦
この五篇を六月三十日(木)帝国ホテル竹の間において、選考委員・生島治郎、大谷羊太郎、早乙女貢、西村京太郎、山村正夫の五氏(五十音順)の出席のもとに、慎重なる審議の結果、高橋克彦氏の「写楽殺人事件」が第二十九回江戸川乱歩賞受賞作に決定。閉じる
選評
- 生島治郎[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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最終候補作のうち、私がもっとも感心したのは、『写楽殺人事件』であった。
写楽が誰であるかという謎を解くために、ひとつの仮説を立て、その仮説を裏づけていく証拠を物証と論理の二つの方向から押し進めてゆくプロセスはユニークであると同時に説得力があり、この作者の浮世絵にたいする見識と推理小説の組み立て方の才能を充分にあらわしている。
しかし、現実に起った殺人事件に対する迫り方はやや杜撰であり、写楽の謎への迫り方がすばらしいだけに、かえって大きなギャップを感じさせる。今後、この作者がプロとして小説を書いてゆく場合の大きな課題となるであろう。
『港名(ポート)コード・531』は話のつくりは面白く、よく裏づけ取材もされているが、登場人物があまり面白くない。こういう国際謀略をテーマにしたエンタテインメントの場合は、読者を自分の世界にひっぱりこむテクニックとして、登場人物のキャラクターをひとひねりもふたひねりもする必要があるだろう。
『消えた添乗員』は、ストーリイを繁雑にし過ぎた結果、作者がそれをうまくまとめて読者に面白く読ませるだけのテクニックに欠けた憾みがある。また、せっかく海外の状景を読者に紹介しながら、それが観光パンフレットの域を出ていない。
『トワイライト』は作者に幼稚な気取りがありすぎて鼻につく。せっかく気取ったのなら、せめて、誤字脱字をなくすべきだ。最初のすべり出しの設定は面白いのだから、独りよがりにならず、もう少しディテールに工夫をこらし、大人の鑑賞に耐え得る作品に仕立てあげて欲しかった。
『星狩人(コメットハンター)』はトリックのためのトリック小説という観をまぬがれない。推理小説というものの面白さはどこにあるのか、もう一度、根本的に考え直してもらいたい。閉じる
- 大谷羊太郎[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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「写楽殺人事件」浮世絵を巡る綿密な考証と緻密な論理の展開に感心した。単なる知識論述の羅列ではなく、終局に向かいそのすべてが一本に絞り込まれてゆく構成の妙は、見事というほかない。わずかに気になったのは、殺人トリックの弱さである。こちらは作品の副次要素として扱われている感じだが、独創性に乏しい。しかし全篇に推理の面白さがみなぎっていて、受賞作の名にふさわしい傑作だと思う。
「港名(ポート)コード・531」国際情勢を背景に、とぎれなくサスペンスが盛り上る。作者の熱気も行間から伝わってくる。場面の転換も巧みで、筆の運びにむだがない。だが細部にいくつかの不満を拾った。せっかく若い女性を男の世界に登場させながら、主人公との絡みが不鮮明だったし、悪の勝利で幕を降ろす結末にも、いささか唐突観を否めなかった。
「消えた添乗員」旅行業界の内幕、添乗員の心情、外国風景の描写などよく書けている。推理小説面の構成にも細かく心を配っていて、卓抜なアイデアがいくつとなく盛り込んである。しかし力作の割りには、迫力に欠ける。たとえば冗漫な部分を大幅に引締めたり、主人公に強烈な探偵動機を持たせたりすれば、もっと読み手を惹きつけたと思う。
「星狩人(コメットハンター)」一人称の軽妙な文体で、天文マニアのグループを活写している。不可能性の謎、犯人の意外性などに力点を置き、本格推理と真正面から取組んだ作品である。だが長篇を支えるには、場面が単調であり、サスペンスの扱いも軽過ぎた憾みがある。
「トワイライト」女性主人公の心理の深層に焦点を絞り込み、ユニークな作品に仕上っている。しかし反面、謎、サスペンス、ストーリー性といった要素が希薄になり、長篇推理小説としてはもの足りなかった。閉じる
- 早乙女貢選考経過を見る
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こういう懸賞小説の場合は、運・不運がつきまとうのは仕方がない。偶然も作用しよう。最初に手にとったのが、「写楽殺人事件」だっがことは、他の作品が割りを食うことになった。「写楽――」は、面白く読めた。読者に次々と興味を抱かせて、それを覆えしてゆく手法は鮮やかである。作者の感じる興味と、読者のそれは必ずしも同じではないし、殊にこういう作品の場合、浮世絵や歴史の知識が基になるので、まるきりの門外漢にはどう受けとられるかわからないという危惧はあったが、一応、写楽がどんなものか知らない人は少ないだろうから、そのことに拘ることはあるまい。
推理小説は虚と実の兼ね合いの妙味で、それに今日的問題である古美術の真贋論争や偽物作りの骨董屋が重要な存在として登場してくるので、一般にも受けるのではなかろうか。作者の浮世絵の知識は専門だけあって大したものだが、受賞後が些か心配だという声もあった。
この作品に迫ったのは「港名(ポート)コード・531」だが、如何にも航海士らしい作品で、やはり面白かった。私の好みからいえば、出だしの緊張感が、一章目の中ごろから崩れているのが惜しい。この人には推理モノではなく、広い視野でスケールの大きなものが書けるのではないか。
「トワイライト」は心理学研究室を去った“私”の思い上りが鼻について主人公の感情の中に入ってゆけなかった。「星狩人(コメットハンター)」にもそれがいえるし、ふざけた“探偵ごっこ”では感動に程遠い。この作者は乱歩賞受賞作を全部読んだ上で、構想を新たにするべきだ。
「消えた添乗員」は外国旅行ブームの今日的素材だが、五百枚に圧倒されている。半分くらいの枚数で考えると、効果が上るのではあるまいか。閉じる
- 西村京太郎[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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「トワイライト」
気負った文章と、作者の思い入れは、なかなか楽しいのだが、それが、逆に、肝心のサスペンスを殺してしまっている。推理小説を書いていくのなら、その点を考えて欲しい。
「港名(ポート)コード・531」
仕組まれたタンカー事故、南アの人種差別、それにかかわりを持つ日本政府など、興味ある問題が扱われている。
それが面白いのだが、読み終ったとき、欲求不満を感じてしまう。事件を追って行く二人の男に魅力がないのと、何か巨大な力を暗示させておきながら、それが、はっきりしないことなどが、欠点になっているのだろう。
「星狩人(コメットハンター)」
五篇の中では一番落ちる。文章もストーリーも、未熟である。新彗星発見をめぐる確執というのは面白いのだが、関係してくる人間たちが、実在感がないし、トリックもよくわからない。
「消えた添乗員」
不思議な小説である。イスラエルという特殊な国情を利用したアリバイ作り、ローマ字綴りの日本人の名前をフランス読みすると別人の名前になってしまうこと、思春期の少年のセックス、紀行文の嘘からのアリバイ崩しなど、これだけ盛り沢山なら、当然、面白くなければならないのに、全く面白くないのである。書き方が平板な上、やたらに視点が変ってしまうからである。「写楽殺人事件」
一番、小説として完成している。写楽が何者だったかについて書かれたものは多いが、この小説では、写楽秋田藩士説で、この推理が、やや強引だが、なかなか、見事である。
ただ、殺人事件の部分が、これに比べて見劣りがする。アリバイトリックも平凡である。全体として、写楽の面白さに寄りかかっているので、次に何を書くかが問題だろう。閉じる
- 山村正夫[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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今年度の応募作品数は、史上空前といわれた昨年を更に上回っていたそうで、推理小説界にとっては喜ばしい現象だが、候補作品の質には必ずしもその反映が見られず、格差が著しかった。いずれもバラエティに富んでいて、その意味では面白く読めはしたものの、それは小説そのものの味わいではなくて、新奇な素材に魅かされたせいが大きかったように思う。
こうした傾向は、ここ数年来続いているのではなかろうか。各自の専門分野を生かすのも結構だが、乱歩賞は職業作家を育てるための登竜門なのだから、将来、この作者が巾広く書き得るだろうかと、選考委員に危惧を抱かせるようでは心もとない。どんな素材でもこなせるだけの小説技法を身につけた人材の出現が望ましい。
授賞作は全員一致で、高橋克彦氏の「写楽殺人事件」に決まった。私はこの作品を純粋な歴史推理の興味で読んだ。謎の絵師写楽を扱った作品はこれまでにも多いが、秋田蘭画や田沼意次と結びつけた論証は説得力が強く、後半のどんでん返しにも唸らされた。筆力も候補作品中際立っていた。ただいわゆる推理小説的な観点から見ると、トリックが安易で新鮮味に乏しい。それにこのレベルの作品を引き続き量産するとなると、ハンデが厳しいだろう。だが、私自身はかねがねこのジャンルがもっと開拓されて然るべきだと考えているだけに、鷹は獅子の健闘を切に祈りたい気がする。
大須賀祥浩氏の「港名(ポート)コード・531」は、選考委員の中にも支持する人が多く、惜しまれた力作である。フォーサイス張りの作風で、タンカーの沈没事件と原油の密輸にからむダイナミックな展開が優れていたが、構成上雑な箇所があるのが難点だった。冒頭の船医の事件に、政治的な圧力が匂わせてありながら、それについての説明が何ら為されていないし、主人公の海上火災保険の査定課員とグラフ誌の女性記者との触れ合いも、もっと書き込んでほしかった。授賞作としてはいま一歩だったが、この作者の素質は精進次第で可能性に富んでいる。今後の成長に期待したい。
有馬秀治氏の「消えた添乗員」は、アリバイ・トリックに工夫が見られたが、登場人物の人間像に個性味がなく、視点が一貫していなかった。そのためサスペンスが感じられず前半部が退屈だった。また矢島誠氏の「星狩人(コメットハンター)」は、トリック上の御都合主義が目立ち、取井科南子氏の「トワイライト」は、ユニークな感覚には見るべきものがあったものの、観念的な要素が小説の面白さを損ねてしまっていた。閉じる
選考委員
予選委員
候補作
- [ 候補 ]第29回 江戸川乱歩賞
- 『トワイライト』 取井科南子
- [ 候補 ]第29回 江戸川乱歩賞
- 『港名(ポート)コード・531』 大須賀祥浩
- [ 候補 ]第29回 江戸川乱歩賞
- 『星狩人(コメット・ハンター)』 矢島誠
- [ 候補 ]第29回 江戸川乱歩賞
- 『消えた添乗員』 有馬秀治