1965年 第18回 日本推理作家協会賞
受賞の言葉
受賞雑観
「どうだい?多少は、いまいましい気がしないか?」
と、多岐川さんが電話で言った。
「うん、そう言えばそうだ」
多岐川さんの言葉は言い得て妙だと、私は思った。
協会賞の授賞作が決ったということは、三月二十四日の各新聞に出たので、我が家の電話は、朝から鳴り続けだった。その多くは、読売時代の友人とか、親類、知人であった。北海道から祝電も来た。
「よかった。よかった。本当によかったな」
友人たちは、心から喜んでいるらしく、そんな表現を使う。しかし、それは、私のひがみかもしれないが、『これでやっと君も一人前になったな』と言っているように聞こえるのだ。私にとっては、それが"いまいまし"かったのだ。
私の作品が授賞作になったということは、選考委員の方々が、一応認めて下さったという意味で、たしかに嬉しい。しかし、賞をいただいたからと言って、その翌日から、私が変るわけでもない。そんな不遜な気持もあった。
ところが、やがて、各新聞社のインタビューがあったり、ラジオから録音の申込みがあったりしているうちに、私の気分も、何となく、その雰囲気に巻きこまれ、お祭り気分になって行った。やはり、私はお調子ものなのかもしれない。
そして、一方では、そんな自分に腹も立てていた。外的な事情に気分を左右されることが情けなくもあった。自己嫌悪と言っては言いすぎだが。“俺はもう少ししっかりしていたはずだ”というような気持であった。
そんな躁鬱的心理状態が、ある意味では現在まで続いている。本来なら、“受賞の言葉”としては、今後の抱負などを記すべきなのだろうが、それはまた、ほかの機会に書かせていただきたい。
- 作家略歴
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1928.5.22~2013.4.27
東京生。一九五三年東大心理卒。読売新聞記者を経て、五八年週刊朝日・宝石共同募集の懸賞に「銅婚式」が二位入選してデビュー。代表作は「華麗なる醜聞」(第一八回協会賞)「轢き逃げ」「透明受胎」及び「推理日記」など。発表短編は約一千編。九八年、第一回日本ミステリー文学大賞。
趣味・ゴルフ。特技・ローラー・スケート、折り鶴。
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
- 山村選考経過を見る
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選考経過
本年度の協会賞の選考は、毎年選考委員を新たに選びなおすという内規に基き、まず先の理事会において、予選委員として石川喬司、黒部竜二、中島河太郎(以上協会側)大内茂男、権田萬治(以上協会外)の五氏。本選考委員として、松本理事長、島田一男、日影丈吉(以上協会側)荒正人、福永武彦(以上協会外)の五氏にそれぞれ委嘱した。
次に例年通り、全会員にアンケートを出し、三十九年度中に発表された諸作品、評論、翻訳およびミステリーに関係のある映画、テレビ等も対象に、優秀作品の推薦を求めた。
その集計を参考にして、去る二月三日、午後五時より講談社別館会議室において、予選委員会を開催。全予選委員が出席して、慎重に協議を行った結果、
傷痕の街 生島治郎
日本アパッチ族 小松左京
恐 喝 佐賀 潜
華麗なる醜聞 佐野 洋
三重露出 都筑道夫
虚無への供物 塔 晶夫
日本推理小説史 中島河太郎
夢魔の標的 星 新一
以上の八篇を残し、更に討議を尽した末、左の四作品を候補作に選出。本選考委員会に送付することになった。
候補作
佐賀 潜 「恐喝」(光文社刊)
佐野 洋 「華麗なる醜聞」(光文社刊)
星 新一 「夢魔の標的」(早川書房刊)
(以上作品)
中島河太郎「日本推理小説史」(桃源社刊)
(評論)
書記局では、この候補作四篇を前記の選考委員五氏の許に届けて回読を乞い、引きつづき三月二十三日(午後六時)より、虎ノ門晩翠軒本館において、荒、福永、松本、島田、日影氏が、全選考委員出席のもとに、本選考委員会を開催した。
席上福永武彦氏より、選考委員にも候補作提出の権限を与えてほしいという提案があり、次の理事会において審議することにし、直ちに選考に移った。
まず、中島河太郎氏の「日本推理小説史」は、労作ではあるが、未完のため完結を待って、論議した方がいいのではないかという意見が多く、見送ることになり、また星新一氏の「夢魔の標的」も、氏の昨年度の作品としては、かならずしも秀れたものとはいえず、むしろ純粋なSF的作品の短篇の方にとるべきものがある、という理由で圏外に落ち、選考の対象は、佐賀氏の「恐喝」と佐野氏の「華麗なる醜聞」の二篇にしぼられた。
その結果、佐賀氏の作品には、新しさと一気に読ませる面白さはあるが、推理小説としていま一歩の重厚さに欠けるという理由で、来年度を期待することにし、佐野氏の「華麗なる醜聞」には、これまでの作品から一歩進んだ斬新な試みがある点と、多年の作家的業績が加味されて、授賞が決定したものである。 (山村記)閉じる
選評
- 荒正人 選考経過を見る
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私は、佐野洋の仲間たちを幾らか早くから知っていた。というのは、昭和二十一、二年頃、第一高等学校に講演に行ったのが縁となり、日野啓三の訪問を受けた。日野啓三の仲間に、大岡信、上山啓介、山本恩外里、丸山一郎などがいた。丸山一郎は後に佐野洋となった。私は、大岡信以外は、この仲間と交渉をもつようになった。かれらはみんな大学を出て、就職した。日野啓三も丸山一郎も、読売新聞社に入社した。私は札幌に旅したとき、丸山一郎に逢った。そこの支局に勤めていた。司法関係を受けもっているとかで、大分いそがしそうにしていた。そのときはむろん、丸山一郎が佐野洋になろうとは夢にも考えてみなかった。――歳月が流れた。
昭和三十三年、『週刊朝日』と『宝石』が共同募集した推理小説の選考委員会で、私は、佐野洋の『銅婚式』について論じた。そのとき、一席は、本格派であった。この作者はその後消えてしまった。私は、その人の作品を推薦しただけに、後味が悪い。いや、「銅婚式」には、余り良い点を入れなかった。佐野洋が丸山一郎だと知ったのは、少し後になってからである。それだけに一層、後味がよくない。ひとこと、応募しているよ、と教えてくれたら、と残念に思った。むろん、そのために採点の結果が変るわけではない。だが私はみごとに不意を衝かれてしまった。そのもとはといえば、丸山一郎と探偵小説が余りに意外な結びつきだったからである。私はそれ以来、青年と交わるとき、生来に無限の変化を想定した。青年は、いつどんな変化を示すかもしれぬ。決して、油断してはならぬ。青年の現在ではなくて、未来と交際しなくてはならぬ。
佐野洋になってからは、日野啓三に会うたびによくうわさしあった。かれは、佐野洋の素朴な人柄を極力ほめていた。私も全く賛成である。かれには、文士につきものの嫌な癖が全くない。頭がよくて、理性的で、偏見を持たぬからであろう。いや、それだけではない。かれの表情には、一抹の虚無感が漂っていることも見逃してはならぬ。私は、かれのそんな表情に魅力をかんじる。
私の書庫には、佐野洋から贈られた著書だけを集めた一隅がある。その傍らには、松本清張の作品が積んである。佐野洋は、松本清張の仕事をうけ継ぐべき作家ではなかろうか。ふと、そんな気がする。
私はひまをつくって、佐野洋の作品を読み返してみたいと思っている。閉じる
- 福永武彦選考経過を見る
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佐野洋氏の今回の作品「華麗なる醜聞」は、氏の作品の中で特に傑出したものではないやうに思う。しかし氏の特色がここにも遺憾なく発揮されてゐることは否定できない。氏は器用に材料を消化して巧みに布置按配する。それはおほむね軽量の、しかし上質の娯楽作品となる。この作品ではやや力みすぎて後半が通俗的になってしまった。私は例えばフレデリック・ブラウンのやうな軽量の作品を買ってゐるが、軽量であることは、決して重量の作品に比して遜色ありといふことにはならない筈である。その点私は佐野氏の今後の作品に期待する。
星新一氏の作品「夢魔の標的」は、やはりこれまでの氏の短篇に較べて、特に長篇であることの厚みを感じさせなかった。
佐賀潜氏の作品「恐喝」は、変った題材でその題材の故に面白かったが、しかし題材だけで作品を云々することは礼を失するものであろう。
中島河太郎氏の評論「日本推理小説史」は第一巻のみで、これは全巻が上梓されなければ批評の限りではない。しかし第一巻に関しては、今少し創意発見がほしかった。明治初期の作品の筋書なども、もう少し丁寧に書いてもらいたかった。
今回は予選通過の四作品の他に注目すべきものがあったが、予選で落ちてしまったために取り上げて銓衡することが出来なかった。そのことが少しばかり後味を悪くしたが、佐野洋氏の作品を授賞作としたことはまづ妥当なところだと私は考へる。閉じる
- 日影丈吉[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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今年は最後に佐野君の実績賞といったところで、意見がまとまった。「華麗なる」だけでは貫目不足というわけだろう。だが今度の佐野君には――前後の断り書みたいなものは、ほとんど意味ないが――これまでと違う意欲が感じられた。荒さんの意見によると、この程度の工夫なら、佐野君はいつもしている、というから、私の気のせいかも知れないが、なにか創作の内容を気にしだしたような気がしたのだ。内容を生かそうとすると、事件の自然発展につきあう辛抱がいる。(内容が光っていて、しかもよく売れる作品を書く努力を、才人佐野あたりに望みたい)今度のでも、途中から出来あいらしくなってしまって、緊迫した印象が残らなかった。もっと気軽にまとめた方が佐野君らしいよさが出たろう、という説もあったが、らしさをきめられるのは誰にしても迷惑だ。あるいは失敗作かもしれないが、私がこれを推したのは、今までにない幅を感じたからである。閉じる
- 島田一男[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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推理小説に、殺人のないものや、犯人が逮捕されないものがあっても、一向にかまわない。また推理小説とSFの結合も、勿論結構なことである。むしろ、これ等のものが成功すれば、異色な作品として、高く評価されるかもしれない。だがこれは、大変難しい。特に、長篇で殺人のない推理小説、犯人が逮捕されない推理小説は難しい。
ところが本年の協会賞の候補作品は、三篇共殺人がなく、犯人が逮捕されない。佐野氏の"華麗なる醜聞"には殺人があるにはあるが、これは必ずしも物語の主軸をなしていないから殺人無しと考へてもよいであろう。
正直に云わせて頂こう。私には三つの候補作品は、それゞ違った味があり、大変面白かったが、しかもなお、あと味としては物足りないものがなかった。
佐野氏の才筆が描き出す治外法権機関の人もなげな横車ぶりとは、凶悪犯人の出没よりも憤りをおぼへた。佐賀氏が熱っぽく書き続けた総会屋の死闘は、天才的な犯人の殺人計画よりも計算し尽されていた。また、星氏の巧みな四次元の世界への誘導は、一種異様な雰囲気をつくり出していた。にもかかわらず三篇共物足りなかったと云うことは、殺人がなく、犯人が逮捕されぬ長篇推理小説が、いかに難しいかを物語るものではなかろうか。
もう一つの候補作品――中島氏の"日本推理小説史"は貴重な文献であると私は考へているが、残念ながら未完である。これは、完結を待って考慮すべきものであろう。
従って、私としては、本年は受賞作なしと考へて委員会に出席したが、種々論議の結果、各委員の意見が"華麗なる醜聞"にしぼられ、私も多数意見に従い、これに賛成したものである。閉じる
- 松本清張選考経過を見る
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佐野洋は無類の愛妻家である。結婚後十一年、長女の朝子ちゃんが小学校三年生になっても尚えんえんと愛している。熱っぽく新鮮で手放しである。時には友人としてハタ迷惑を感じるくらいだ。
ところが、それほど愛されている若子夫人に私は泣きつかれたことがあった。電話がかかってきて佐野洋が家を出てしまったというのである。
「喧嘩したんですか」
私は訊いた。当節は亭主の家出が流行している。別れ話が決着しても、亭主の方が家を出る例が多い。
「いえ――」
彼女の声は殆ど涙声だった。
その日、佐野洋は執筆がはかどらず机の位置を変えたり寝そべったり、週刊誌の拾い読みをした逆立ちの真似をしたりしていたが、〆切がギリギリに迫っているのに、夜になっても依然原稿が進まなかったらしい。夫人が心配して様子を見にゆくとジロッと睨むばかり、お茶を運んで言葉をかけても返事ひとつしない。そして、行先も告げずにぷいと外へとびだしたまま、三十分以上経つが帰らぬという話だった。
「すぐに戻りますよ、心配することはない」
私は無責任な言葉で慰めるほかはなかった。仕事が難航しているとき、近くで女房などに気を揉まれることは却って神経を苛立たられるばかりで役に立たない。所詮小説は一人で書くほかないので、亭主がいくら苦しもうと放っておけばいい。
しかし何とかしてその苦しみを分ち合いたいというのが夫人の愛情のこまやかさで、電話の声は佐野洋自身より苦しそうに聞こえた。
だから、今回の受賞を最も喜んでいるのは佐野洋よりも夫人ではないかと思う。すでに佐野さんの苦労は受賞によって報いられた。今後の活躍がますます期待される。だが、「おめでとう」という言葉は誰よりもまず若子夫人におくりたいと思う。若子さん、おめでとう。佐野さんがまた苦しんで家をとびだすようなことがあれば、この分ならいい作品ができそうだと思って放っておくのが、やはりいちばんいいのです。閉じる
- 結城昌治[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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候補作としてとり上げられたなかでは、多岐川氏恭氏の「墓場への持参金」が最後まで残った。私も小説の中では、これがいちばんよかったと思う。いわゆる本格ものとして随分考えられている。火葬場での棺の入れかえなど、クロフツの「樽」を思い出したくらいだ。多数の火葬場係員のいる前でどうしてこのトリックが成功したか、最後まで気にかかって読みつづけた。しかし、結局、買収によって数十人の係員が犯罪に協力したと分ったときは、正直いって少なからず索然とした。共犯者(この場合は準共犯者とよぶべきか)が多いのは興味を減ずるのである。犯人はなるべく少いほうが、理想的にいえば単独犯行のほうが本格なのである。不可能事を可能にするところに真髄があるのだから、多数の協力者がいては減点となる。多岐川氏がよく工夫しただけに惜しい。
しかし、不可能にみえる犯罪が単独、又は極く少数の人間で行われるトリックはまことにむづかしい。クロフツでも「マギル卿最後の旅」「材木小屋の秘密」などは、わんさと共犯者が出てくるのでがっかりさせられる。だが、この至難なことを考え出すことが、作者のよろこびである。
小説に候補作が無いとすれば、中島河太郎氏の評論集「推理小説展望」が受賞対象となるのは当然である。小説と評論とをいっしょに審査するところに元来無理があるのだが、今回は中島氏の著作が小説を圧倒したのである。氏には去年の候補作「日本推理小説史(一)」があり、あるいはこのほうがすぐれているともいえるので、これまでの氏の立派な業績を含めて受賞対象にした。中島氏の少しもケレン味のない堅実で緻密な、広くよく行き届いた評論は、かたい樫の木をなでているような信頼感と説得力とをもっている。このような優れた評論家は当分は出現しそうにない。この機会に、あらためて敬意を表したい。閉じる