1964年 第17回 日本推理作家協会賞
受賞の言葉
受賞の弁
推理小説らしいものを書きはじめて間もない昭和三十五年に、私は機会に恵まれて、短篇集を処女出版することができた。そのとき、中島河太郎先生から、あなたは幸運に恵まれているのだから、今後、より一層努力するようにとのお葉書をいただいたことをおぼえている。
生来なまけもので、融通のきかない私が、以後、今日まで曲りなりにも書き続けることができたのも、他殺クラブなどの友人たちのすぐれた業績や、批評家諸先生の御叱責に、絶えず啓発され続けたおかげだと、心から感謝している。
私は現代においては、正統ハードボイルドと呼ばれている形式が、探偵小説として当然の帰結であり、むしろ、探偵小説の最後の砦ではないかと、思っている者の一人だから、その形式にはっきりとアプローチを試みた最初の作品で、このたびの賞をいただくことができたことを、心から嬉しいと思う。
しかし、今日まで、私は自分で満足な出来ばえを示したと思った作品は一篇もなく、この「殺意という名の家畜」も、最近では半製品を市場に送り出す結果になったのではないかと、ひそかに恥かしく思っていた。
今後、私は四十年小説を書くことになるかもしれないし、あるいは、年を経ずして、筆を折る羽目になるかもしれない。しかし、少なくとも年一作は、全力を投入した小説を書いて行くことで、この幸運の埋め合わせをして行きたいと思っている。
- 作家略歴
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1935~2012.1.29
高知市生まれ。明治大学仏文科中退。一九六〇年、作品集「陽光の下、若者は死ぬ」で実質的デビュー。〈代表作〉推理小説として「殺意という名の家畜」(第一七回推理作家協会賞)「他人の城」「アガサ・クリスティ殺人事件」、現代小説として「明日こそ鳥は羽ばたく」「ペインティング・ナイフの群像」、幻想小説として「街の博物誌」「翔ぶ一族」〈趣味〉ジャズ、民族音楽研究、民族楽器収集。
受賞の言葉
協会賞を受賞して
受賞の感想は、ただ嬉しいという以外にありません。多少気恥ずかしいのは、作品の未熟な点が自分なりにわかっているからで、また多少ホッとしたのは、候補に挙げられては決まりきったように落ちるという例年のことが、これで終りになったからという安心からです。
もちろん、安心というのは大へん不遜な錯覚で、今は、すでに賞に重さが痩身にこたえています。殆ど鞭で叩かれたような気持で、今後こそいい仕事をしていかなければならないでしょう。私は推理小説を書き始めてからようやく五年にしかなりません。当然まだ暗中模索、そこを鞭で叩かれたら何処へ跳びだしてゆくのか。自分ながら気がかりです。
年末年始などにかかわりなく、私は割合小まめにいろいろな決心をします。しかし実行は滅多に伴いません。不精、わがまま、意志薄弱、理由はつねにハッキリしていて、ですから、ここでまた改って抱負のごときものを並べることは控えます。
ただいずれにせよ、私は読者に楽しんでもらえる作品を書きたいと願っています。娯楽というと非常に誤解されやすいが、ついでにもっと誤解を恐れずに言えば、私はまともにゼニのとれる職人になりたいと願っています。そのためにも今度の受賞は大きな励みであり、感謝とともに、素直な喜びを感じております。
- 作家略歴
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1927~1996
東京生れ。早稲田専門学校卒。
五九年、「EQMM」の第一回コンテストに「寒中水泳」が入選。同年、第一長編「ひげのある男たち」を刊行する。スパイ小説の「ゴメスの名はゴメス」など多彩な作品を発表し、六三年に「夜の終る時」で日本推理作家協会賞を受賞。さらに、「軍旗はためく下に」で直木賞を、「終着駅」で吉川英治文学賞を受賞。協会設立時に常任理事を務める。
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
- 山村選考経過を見る
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選考経過
既報の通り、先の理事会において、本年度協会賞選考の予選委員として、中島河太郎・黒部竜二・石川喬司(以上協会側)大内茂男・権田万治(以上協会外)の五氏。本選考委員として角田喜久雄・松本清張・中島河太郎(以上協会側)大井広助・平野謙(以上協会外)の五氏をそれぞれ委嘱した。
まず、予選委員会は、去る二月十日午後五時より、虎ノ門、晩翠軒喫茶部ホールにおいて開催。正会員諸氏より推薦のあったアンケートを参考にして、三十八年度中に発表された諸作品及び、評論、翻訳、映画、演劇等を対象に、慎重に協議を行った結果、左の六作品を候補作として選出。本選考委員会に回付することになった。
候補作
「蜜の巣」佐野洋(光文社)
「風は故郷に向う」三好徹(早川書房)
「廃墟の唇」黒岩重吾(光文社)
「密航定期便」中薗英助(新潮社)
「殺意という名の家畜」河野典生(宝石社)
「夜の終る時」結城昌治(中央公論社)
(順不同)
書記局では、直ちにこの候補作六篇を選考委員五氏の許に届けて回読を乞い、さらに去る三月十四日午後四時より、虎ノ門晩翠軒本館において、角田、松本、中島、大井、平野氏ら選考委員全員出席のもとに、本選考委員会を開催した。
席上各委員諸氏からは、候補作について活溌な意見が出され、まず黒岩重吾氏の「廃墟の唇」が、水準以上の優秀作ではあるが、黒岩氏のものとしては、他の作品の方に見るべきものが多いという理由で圏外に落ち、選考の対象は佐野氏の「蜜の巣」三好氏の「風は故郷に向う」中薗氏の「密航定期便」河野氏の「殺意という名の家畜」結城氏の「夜の終る時」の五篇にしぼられた。
しかし、各委員ともそれぞれ異った作品を推したため、選考は難航した。
結局、松本氏の裁断により、前年度に「ゴメスの名はゴメス」など有力な作品の多かった結城氏と、日本の推理小説において初めての正統派ハードボイルドの新分野を開拓した河野氏の二人に、授賞が決定したものである。 (山村記)閉じる
選評
- 松本清張選考経過を見る
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今回のは粒が揃っていたため、二本の受賞となった。同じ二本でも、弱いから二つにするというのとはだいぶん違う。佐野洋氏のを入れて三本同時説が詮衡委員会の席で出たくらいである。
さて、結城昌治氏のは相変らず新鮮なペースである。悪徳警官ものだが、アメリカのものと違って下級警察官の悲哀を落つかせたのは現実性がある。スケールの点では前回の「ゴメス」に及ばないが、その代りに破綻がない。氏がいろいろな方法を試みるのは、その才能を証明させる。
河野典生氏のは、いわゆるハードボイルドを日本ふうに定着させた最初の作品となろう。これまでは舞台が日本というだけで、人物はアメリカ人のような小説が多かった。また。在来のと異って落ついた文章に好感がもてる。思索を失った青年の多い現代の日本は、これからも河野氏の食欲をそそることであろう。閉じる
- 大井広介選考経過を見る
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『殺意という名の家畜』のキビキビしたはりのある文体は、ハード・ボイルドのかける作家が現われるべくして現われたという観が深い。私はこれを推した。『夜の終る時』は悪徳警官物というが、そのふびんさをかいている点に異色があり、これを併せて選ぶのに異存はない。『蜜の巣』はそのあとの『死んだ時間』『光の肌』の方を私はとるし、『廃墟の唇』は黒岩調といった型ができすぎたうらみがある。しかもこの作家には『どぼらや人生』にみるような捕捉しがたい可能性もあるので、いずれも見送るのは今更という意味ではない。『風は故郷に向う』は一読するぶんには快適なスリラーだが、それ以上論議の対象になるものに乏しい。老婆心まで、注文をつければ、コメディ・リリーフなど柔軟性を加え得たら、更にこの作家は飛躍できるのではないか。『密航定期便』は第一作でもスパイ物に本腰だ。だが、この作品は一本にしぼって構成できなかったかと、惜しまれる。閉じる
- 平野謙選考経過を見る
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候補作六篇を色わけしてみると、スパイもの二篇、悪徳警官もの二篇のほかに、ハードボイルド派、社会推理派それぞれ一篇ということになろう。私はスパイもののなかでは三好徹の「風は故郷に向う」より中薗英助の「密航定期便」を、悪徳警官もののなかでは佐野洋の「蜜の巣」よりも結城昌治の「夜の終る時」を採りたいと思った。また、河野典生と黒岩重吾とでは、作柄がちがって比較しにくいが、河野典生の方を採りたいと思う。では、「密航定期便」と「夜の終る時」と「殺意という名の家畜」と三篇のなかでどの一篇を採るかとなると、よくいえば粒ぞろい、悪くいえば、帯に短しタスキに長しで、いずれともきめがたいけれど、強いてあげれば、文学的に人間が書きこんであるという意味で、「夜の終る時」を採るのが無難のように思った。しかし「夜の終る時」は推理小説としては弱いところがあって、今回は授賞作なしでもいいのではないか、というのが私の意見だった。「殺意という名の家畜」には、主人公が四国へ乗りこんでからの解決篇が慌しすぎる難点がある。また「密航定期便」は逆スパイという結末にいたるまで、構成もよく考えられてはいるが、全体としてゴテゴテしていて読みにくいというこの作者のむかしながらの欠点が、まだ依然として尾をひいているように思った。閉じる
- 角田喜久雄[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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決定委員会の席上、真向から意見が割れたのは、一作飛びはなれたものがなかった代りに、粒のそろった秀作が肩を並べていたためだったと思う。受賞作なしという意見も出たが、それでは余りにも惜しいし、二作受賞ということに積極的に賛成した。
河野さんの受賞作は、日本のハードボイルド界にはじめて出た読みごたえのある力作として、この価値を高く買いたい。結城さんは昨年のゴメス名はゴメス、今年は受賞作と作風を変えながらその都度優れた作品を示されるのは、その才能の極めて豊な証拠だと思うし、その業績からいっても、引き合いに出しては申訳ないが佐野洋さんと並んで、とうに受賞していていい人だと思う。
それにしても、甲乙のない佳作がめじろ押しならんでいる時の、選考委員会というものは、まことに苦しいし、むずかしい。閉じる