1981年 第34回 日本推理作家協会賞 長編部門
受賞の言葉
推理作家協会賞を受賞して
久しぶりに賞を頂いて、感激しています。何度か候補になりながら、逸している中に、協会賞は自分には縁がないのではないかと考えるようになり、そう思うと、一層、欲しくなったりしている時の受賞でしたので、喜びも、ひとしおです。
受賞して、改めて、推理小説を書き出してから十数年たったことを考えました。
初心忘れずといいますが、最近は、推理小説が何となく売れるということもあって、時間に追われて書き流していたということが、なきにしもあらずでした。
今度の受賞を機会に、心を新たにしてと思います、といっても、私もすでに中年、どこまでやれるかわかりませんが、今後も、皆さまのご指導をよろしくお願いしたいと思っています。
- 作家略歴
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1930~2022.3.3
(出身)東京(学歴)都立電機工業学校(職歴)人事院昭二三~三五、トラック運転手、私立探偵など(デビュー作)「歪んだ朝」(オール讀物推理小説新人賞昭三八)(代表作)「寝台列車殺人事件」「名探偵なんか怖くない」(趣味)麻雀、将棋(特技)ナシ
2019年「十津川警部」シリーズにて第4回吉川英治文庫賞を受賞
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
- 中島河太郎[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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日本推理作家協会賞が長篇、短篇、評論その他の三部門に改められてから、本年で六年目である。
協会では第三十四回協会賞の選考にあたって、例年のように協会々員並びに出版雑誌関係者など各方面に、候補作品推薦のアンケートをお願いした。選考対象は昭和五十五年一月一日から十二月三十一日までの刊行日付のある単行本と、各雑誌の一月号から十二月号までに掲載された作品である。
多数寄せられた回答を参考に、書記局でリストを作製した結果、長篇部門では一三三篇、短篇部門では四〇三篇、評論その他の部門では七篇があげられた。
これらの作品を協会の委嘱した各部門別の予選委員に選考、短篇部門は十二月十九日と二月十二日、長篇部門と評論その他の部門は十二月二十四日と二月十三日に、それぞれ協会書記局において委員会を開催、審議を経て、長篇五篇、短篇六篇、評論その他三篇計十四篇の候補作を選出し、本選考委員会に回付した。
選考委員会は三月二十三日、午後五時より、新橋第一ホテル新館柏の間において開催。三好徹理事長、権田萬治、陳舜臣、星新一、山村正夫の五選考委員が出席、立会いの中島河太郎理事が司会し、候補作について活発な意見交換がなされた。昨年度は各部門とも受賞作がなかったが、本年度の選考はスムーズに運んで、上記の通り決定した。選考内容については各委員の選評を参照されたい。閉じる
選評
- 星新一[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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今回の候補作品のなかでは「戻り川心中」が読後感で群を抜いていた。じつにユニークな結末。文章もていねいで、入念な仕上げである。これこそと考えて選考会に出席した。そして、主人公である大正時代の歌人が作者の創作した人物と知らされ、和歌も創作だそうで、舌を巻いた。文句なしの傑作である。
短編部門で第二に好感を持てたのは「赤い猫」である。完成度の点ですぐれている。書き流していないところがいい。
最近の月刊誌の傾向を見ると、目次をにぎやかにしたがるため、作品一編あたりの枚数がへっている。その制約のなかでミステリーを書くとなると、奇妙な味のタイプを狙わざるをえない。推理的なものを重視した作品となると、ある程度以上の枚数を必要とする。今回、短編部門の候補作に小説現代掲載の作品が多かったのも、そこに原因があるのかもしれない。同誌は他より厚いそうだ。
長編に関しては、私は実作の体験がなく、判定に自信が持てない。一読者としてなら、どれも楽しく面白い。しかし、きびしく検討すると、ひっかかる個所がどの作品にも、いくつか見られる。これが許容できるものなのかどうかなのだ。
委員の支持は意見交換が進むにつれ「終着駅殺人事件」に集まり、私も賛成であった。著者のこれまでの推理小説への情熱は、だれもがみとめるところであろう。
余談だが、推理小説一般について気になる点が二つ。返り血と青酸カリの処理の安易なのが多い。いとも簡単な死では、作品が底の浅いものになってしまう。
選考委員を二回つとめ、お役ご免になるわけだが、その体験からの提言がある。候補作の公表はやめるべきではないかと思うのだ。これが芥川賞、直木賞のように新人奨励のものなら、候補にあげられただけで喜ぶ人もいようが、協会賞はプロの作家が対象である。欠点の公表は失礼のような気がする。受賞しなかった人からの疑問点については、協会経由で作者に回答。せめてそんな体制にできないものか。
選考後の雑談で私が「いまに、自分は推したのだがと委員みんなが選評で書き、その作品が受賞しなかったなんてことも」と言い、笑いが湧いたが、そんなことになりかねないと、私は本気で考えている。
というのも、十数年前にくらべ、推理作家の平均年齢はかなり上昇しているはずで、当時の新人奨励的な意味が薄れてきている。ここらあたりで、賞の性格をはっきりさせるべきではなかろうか。
一度に四人が受賞というのも、作家がふえたせいもあろうが、、妥当かどうか。多すぎるような気がする。与える側ももらう側も快いからとの意見もあったが、となったら、五人、六人も可となってしまう。お祭りのようなものなのだというのなら、それならそれでなっとくするのだが。閉じる
- 権田萬治[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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日本推理作家協会賞が長編、短編、評論その他の部門に細分化されたのは昭和五十一年からだが、最優秀新人賞など多くの部門賞を持つアメリカ探偵作家クラブ賞に比べればそれでもまだ賞の数はずっと少ないのである。
その意味で、日本の協会賞はたとえ多少乱発といわれてもできれば各部門ごとに出したいというのが今回初めて選考委員に加わった私の個人的見解だったので、四つの作品が受賞したことでほっとしている。
長編部門では、私は候補作の五編の内、さらに西村京太郎氏の「終着駅殺人事件」、小林信彦の「紳士同盟」、和久峻三の「代言人落合源太郎の推理」、の三編に的をしぼった。
西村京太郎の推理小説は奇抜な着想が強烈な魅力を持つ半面、その後のストーリー展開がやや甘くなり、いささか竜頭蛇尾に終りがちなきらいがあった。「終着駅殺人事件」にも後半そういう所がなきにしもあらずだが、多少無理があるにせよ、本人が気づかずにしたことが意外な殺人動機を構成するという着想は実に面白く、これまでの業績を加味すれば、じゅうぶん受賞に価すると思った。
小林信彦の「紳士同盟」は日本で珍しいコン・ゲーム小説であり、とくにテレビ界の登場人物の物哀しい肖像にはペーソスが漂っていて私はそれなりに面白く読んだが、後半のストーリー展開が物足りないとする意見もあり、受賞にはいたらなかった。
和久峻三の「代言人落合源太郎の推理」は戦前の暗黒裁判の一面をえぐっている所や代言人の実態などの描写で興味をそそられる面が多かったが、推理小説の筋立てにはどうも難点が多いように思った。
短編部門では、連城三紀彦の「戻り川心中」がずば抜けた力作である。幻影城新人賞でデビューしたこの人には、すでに「暗色メロディ」という長編もあるが、作風が暗く地味な面がある。しかし、この作品ではそういう作風が逆に強味になっており、文章もしっかりしている。仁木悦子の「赤い猫」は、犯人の設定に無理もあるが、風変わりな安楽椅子探偵ものの趣きがあり、それなりにまとまっていて、これまでの作家的業績を考えれば二編受賞してもいいと思った。
評論部門では、中薗英助の「闇のカーニバル」を推した。氏は「密書」、「密航定期便」などのスパイ・スリラーでソ連、東欧圏にも知られる作家であり、日本のスパイ・スリラーの先駆者である。評論で作家に授賞するのは失礼ではないかという意見や、内容が雑文集ではないかという批判もあったが、日本のスパイ・スリラーの方向を位置づけた作家の手による評論集としては水準が高いと思う。
小鷹信光の「ハードボイルド以前」もいわばアメリカ大衆文学研究の空白の部分にメスを入れたものとして優れたものといえるが、余りにも特殊すぎるのが残念である。現代のアメリカの推理小説にいたる続編に期待したい。閉じる
- 陳舜臣[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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西村京太郎氏の作品には、いつも奇想天外な状況設定があり、読みはじめるとき、どのように料理してみせてくれるのかと、じつは同業の立場から、はらはらさせられる。おそらく一般の読者とは異なる読み方になっているのであろう。一連の「消えた・・・」の作品群もそうだが、氏が推理小説のメインストリートを、胸を張って歩いている姿勢がうかがわれ、私にはすがすがしいおもいがしていた。設定が設定なので、これまた同業としてひやりとする無理な場面もあるが、ことしの『終着駅殺人事件』は、去年の『夜間飛行殺人事件』にくらべて、それがすくなかったようにおもう。氏のこれまでの業績の積みかさねは、ずいぶん高く、そして重いものとなっており、今回の受賞はとうぜんであった。
草野唯雄氏の『火刑の女』は、いつもながら一気に読ませるサスペンス・ミステリーである。姉の房子の話と「波浮港」の章あたりを刈り込めば、もっとひきしまったのではないかという気がする。
小林信彦の『紳士同盟』は、コン・ゲームが文字のうえですべりすぎるかんじだった。氏の作品のなかでも、これは抜きん出たものではあるまい。この種の作品になければならないカタルシスが、ずどんと響いてこない。
和久峻三氏の『代言人落合源太郎の推理』は、明治初期の法廷ものとして、しろうとの私は教えられるところがあった。けれども、小説として、におうものがない。この稀薄感は、発酵度の不足によるのであろう。もうすこし辛抱して、素材をあたためたならと惜しまれる。材料がありあまるほどあって、処理を急ぎすぎるのではないだろうか。
栗本薫氏の『絃の聖域』は、たとえば星委員が戦中戦後の伝統芸能受難期の欠落を指摘したように、不満な点はほかにもすくなくない。けれども、才気だけで書かれた作品ではないとおもう。春秋と可能性に富む氏のことであり、これからがたのしみである。
短篇は去年にくらべて、豊作であったような気がする。仁木悦子氏の『赤い猫』は、いかにも仁木さんらしい仕立ての作品で、じゅうぶん堪能できた。連城三紀彦氏の『戻り川心中』は丹念に構成され、細部も吟味された作品である。欲をいえば、もういちど蒸溜してほしかった。ほかの短篇候補作品にふれるスペースがなくなったが、長篇にすればもっとよかったとおもわれる作品が、毎年いくつかあって残念な気がする。たとえば井沢元彦氏の作品は、被害者の共謀でなければ成立しない事件だが、なぜ被害者が知り合い、同盟したかということは、長篇にしなければ読者を納得させるのは困難であろう。とすれば、この作品はそのまま長篇小説の導入部とすることができる。だが、一本の短篇としてはどうしても弱くなる。
評論その他の部門は、中薗英助氏のこれまでの業績からにじみ出た文集として評価したい。「評論」というよりは「その他」と考えて、私は相当すると賛成した。閉じる
- 三好徹[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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今回は各部門とも力作揃いであった。個人的なことをいわせていただくと、わたしは推理小説を「選考」のために読むのは好まないのだが、今回はその苦が軽減された感じであった。いい作品を読ましてもらったときは、やはり楽しいのである。
長編部門では、西村氏の作品が選ばれた。氏はこれまでにも何度となく候補になっているが、着想のよさは変えても途中でくずれる欠点があった。「終着駅殺人事件」はその欠点が完全に払拭されたわけではないが、最後まで読者を引きずって行く筆力は、なみなみならぬものがある。ただ、毒薬の入手経路がどうなっているのか説明されていないのはどうしたことであろう。どんな作品でも完全無欠ということはありえないが、やはり気になるのだ。
短編部門では、仁木、連城両氏が各選考委員によって認められた。仁木氏の「赤い猫」は、氏ならではの作品である。そこには確かな手応えをもって仁木悦子の世界がくりひろげられており、読後感は爽快である。推理小説は殺人や犯罪を扱うために、ともすれば重苦しくなりがちだが、仁木氏の作品には処女作以来、一貫して澄んだものがあり、これは貴重な資質である。連城氏の「戻り川心中」は丁寧な仕事である。作品の主題は、自作を名作たらしめんとする歌人の執念であるが、欲をいえば、その執念の描き方に今一歩の感があった。しかし作品全体を支えている文章は見事なものである。個人的には、氏の文体は私の好みではないが、好みとは別にいいものはいい、といわざるをえない。
推理小説はストーリーやトリックさえよければ、文章は二の次だという考え方を、わたしは採らない。今回の長、短編の候補作のなかに、きわめて荒っぽい文章の作品があったのは惜しまれることであった。
わたしは何も上手下手をいっているのではない。書き飛ばした文章は頂けない、といっているのだ。
評論その他の部門で受賞と決った中薗氏は、スパイ小説については、すでにすぐれた実作をもっている作家である。小説ではなくて、この部門での協会賞に氏としては不満かもしれないが、「闇のカーニバル」は、これまでの氏の作品があってこそ初めて書きえたもので、誰もがいきなり書けるというものではない。評論の形ではあっても、ここにはやはり氏ならではの世界が展開されているのである。以上、今回は、独自の世界を構築することの大切さを、あらためて認識させられたかたちであった。閉じる
- 山村正夫[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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長編部門の候補作の中で、私は西村京太郎氏の「終着駅殺人事件」と栗本薫氏の「絃の聖域」の二篇を推した。
西村さんの長編は、このところ毎年のように連続して候補に挙げられながら、不運にもその都度、授賞を逸して惜しまれていた。「終着駅殺人事件」は、氏の数ある作品群の中では、必ずしも最優秀作とは言い難いかもしれない。だが、水準以上の佳作をコンスタントに書き得るということは、技量が安定している証拠で、それ自体優れたプロ作家であることを証明している。その意味では、設定の面白さといい語り口の巧みさといい、手練れた円熟味が発揮されており、犯人の動機にも意表を衝く斬新な試みが為されていた。他の候補作に比して一番まとまっていた。選考委員は全員一致で授賞を決めたが、西村さんの長年の業績に、これで報いることができたのは嬉ばしい。
栗本さんの「絃の聖域」は、私の好みからいえば、もっとも心惹かれた作品である。推理小説観の相違もあって、他の選考委員の強力な支持を得られなかったが、まだ年が若い上に稀に見る才気の持主だから、今後の可能性に大いに期待したいと思う。
短編部門では、連城三紀彦氏の「戻り川心中」に深い感銘を受けた。作風強烈な個性もさりながら、二重三重の意外性を用意した綿密な構成に舌を巻かされた。最近の短編には、巧緻を凝らしたコクのある作品が少ないが、これには作者が考えに考え練りに練った苦心の跡が窺われる。文章力も際立っていた。虚構に徹しながら、これほど見事に一つの世界を創造し得た作品は珍しく、推理文壇にとって近年にない収穫に算え得るといっても、決して過言ではないだろう。
仁木悦子氏の「赤い猫」は、ほのぼのとした味わいに富んだ好短編である。作中の老未亡人の安楽椅子探偵ぶりや少女の微笑ましい悪戯など、いかにも仁木さんらしい温味に溢れている。結末の偶然性がちょっと気になったが、本格推理のツボを心得た小説作りのうまさはさすがというほかない。ベテラン中のベテランだけに、いまさらながらという感じがしないでもないが、協会賞は本来、ベテラン作家に贈る賞なのである。
授賞作以外の候補作中では日下圭介氏の「紅皿欠皿」が印象に残った。民話と現実の事件が巧みに融合されていて、内向的で虚言癖のある主人公の少年の無邪気さがよく出ていた。授賞には至らなかったのが残念でならない。
評論その他の部門では、中薗英助氏の「闇のカーニバル」が何といっても労作である。スパイ・ミステリーは現代の推理小説の重要なジャンルの一つを占めているが、これまで専門的に論じた評論はなく、興味深く一読した。中薗さんは実作の上でも、数々の優れた作品を書いておられる作家だけあって、鋭い指摘は示唆に富み説得力が強かった。閉じる