1985年 第38回 日本推理作家協会賞 評論その他の部門
受賞の言葉
ミステリーを読むのが大好きで自分でも、かなり熱心な読者だと思っていますが、その方角からこういう知らせが届くとは、まったく考えたことがありませんでした。
ノンフィクションを書き始めて、もう十二年になります。人や場所を尋ね歩き、話を聞き出し、事実の断片を拾い集め、一個、一個、石を積むようにして文章を作りあげていく作業です。いつも、低い所を這い回る思いで、働いてきました。唯一の楽しみが、ミステリーや冒険小説を読むことで、時に、自分が小説の中の探偵であったなら、などと子供の夢を見たこともあります。
受賞の知らせをいただいて、一時間ばかりうっとりとした後、いや、これは夢の続きなのであって、話はもう一度ひっくり返るに違いないと本気で考えました。
私が溺れるようにして読んでいる小説は、しばしば、そんなふうに終わるからです。
取材旅行で、サンフランシスコからロサンゼルスに着き、ホテルの部屋で、今、これを書いています。つぎの瞬間、名無しの男がドアをノックして、冷たく事実を告げるのではないか――
ミステリー中毒者は、ついそういう事を考えるのです。
- 作家略歴
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1933~1998.5.23
神奈川県生れ。東京外国語大学中退。
報知新聞社で運動部長、文化部長を経てフリーに。政治経済物からスポーツ物まで幅広く取り組む。一九七六年、「巣鴨プリズンとは何だったのか」を文藝春秋より刊行。八五年、「金属バット殺人事件」によって日本推理作家協会賞評論その他の部門を受賞。ほかに「失われた岸壁」「給食が危ない!」など著書多数。
一九九八年五月二三日死去。
1985年 第38回 日本推理作家協会賞
評論その他の部門受賞作
らんぽととうきょうせんきゅうひゃくにじゅうとしのかお
乱歩と東京 1920都市の貌
受賞者:松山巌(まつやまいわお)
受賞の言葉
日本推理作家協会賞についてはよく知っております。けれども候補作に選ばれるまで私の小著とこの栄えある賞とを結びつけて考えることは全くできませんでした。
私の本のテーマは、江戸川乱歩が代表作を発表した一九二〇年代の東京を読むことにあり、乱歩とその作品について論ずることとは思っていなかったためです。しかし、仮りにも乱歩作品を読み綴って行くのですから、少しでも探偵小説を読む楽しさと面白さを読者に伝えることのできるような一冊に、とばかり考えていました。苦労はしましたがとても楽しい仕事でした。
子どもの頃は乱歩の少年探偵団に惹れ、長じては一ぱしの推理小説ファンと気取っていた私にはこの上もなく嬉しい受賞でした。今は私を育ててくれた“大乱歩と大東京”に改めて感謝しています。
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
- 山村正夫[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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第三十八回日本推理作家協会賞の選考は、昭和五十九年一月一日より十二月三十一日までに刊行された長編、および連作短編集の単行本と、各雑誌の一月号から十二月号までに掲載された短編を対象に、例年通り昨年末より着手した。
まず協会員をはじめ出版関係者など各方面にアンケートを求め、その回答結果を参考にして、長編二五三篇、短編五六〇篇、連作短編集一八篇、評論その他の部門一一篇をそれぞれリスト・アップした。
これらの諸作品を協会より委嘱した部門別予選委員一四氏が下選考に当たり、長編部門は二八篇、短編部門は四一篇に絞って、二月十五日と二月二十六日の両日、協会書記局において最終予選委員会を開催した。それによって既報の通り、長編五篇、短編五篇、評論その他の部門二篇の候補作が選出された。
この候補作を理事会の承認を得て、本選考委員会に回付した。
本選考委員会は四月一日午後五時より、新橋第一ホテル新館・柏の間にて開催。生島治郎、井上ひさし、仁木悦子、西村京太郎、眉村卓の五選考委員が出席。理事長山村正夫が立会い理事を兼ねて司会し、各部門毎に活発な意見が戦わされ、慎重な審議が行なわれた。
その結果、短編および連作短編集部門は該当作品なしになったが、長編部門と評論その他の部門で、別項の通り授賞作が決定した次第である。選考内容については、各選考委員の選評をごらん頂きたい。閉じる
選評
- 生島治郎[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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長編部門授賞作は『渇きの街』『壁』とも、それぞれ独自の世界を描き出していて、私は感心した。たとえ、完璧な作品でなくとも(この世の中にそれほど完璧な作品があろうとも思えないが)、この書き手以外にこの世界を描きうるものなしという作品であれば、私は文句なしに感心してしまうくせがある。
もっと率直に云えば、同じ書き手として、とてもかなわねえなあというような感想を持った場合である。私は授賞作二作ともに、その作品の世界にただよっている濃密な体臭とも言うべき匂いに圧倒された。同時に、この二人の書き手が持っている可能性を大いに期待したいと思う。
その意味では、『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』の作者島田荘司氏も恐るべき才気と、未来への大きな期待を抱かせる書き手である。今回の作品は変化球とも言うべき球筋を見せてくれたが、この書き手の剛速球に今後注目したい。
『山猫の夏』『スペイン灼熱の午後』はともに冒険小説の匂いが濃い作品であるが、登場人物のキャラクターに魅力がない。冒険小説は登場人物のキャラクターの味つけのためにこそいろんなカセや意外性を設定する必要があるのだということをもう一度考え直してほしい。
短編部門の候補作はいずれもまとまっているが、書き手と作品の間に強い糸があるというようには感じられなかった。おそらく、どの書き手にも、もっといい短編があるはずだという印象をぬぐえなかった。
評論その他の部門の『金属バット殺人事件』は動機なき殺人とも言うべき事件の現代的な動機をわかりやすく解明してある点がユニークである。一方、『乱歩と東京』は一九二〇年代の世相を乱歩の作品を軸に分析解明していて、楽しく読める評論になっている。特に、著者の専門分野である建築の視点からの分析は今までになかった味わいを出していて大いに楽しませてくれた。閉じる
- 井上ひさし[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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『壁・旅芝居殺人事件』(皆川博子)の構造は念入りに仕組まれています。芝居は、周知のように、役者と観客、またこの両者が一堂に会する場所としての劇場、それからこれらを目立たぬように支えている裏方と表方、以上の五つの要素によって成立しています。この五者のうちでもっとも目立たないのが、裏方と表方でしょうが、作品の構造では、その表方が物語の進展につれてぐいぐいと前面に出てくる仕掛けになっており、その速力感が読者を酔わせてくれます。そして決して陽が当ることのない表方が物語の舞台前面・桧舞台まで出てきたたとき、すでに劇場は取りこわされてしまっていたという結末は、じつに皮肉でした。しかも文章は、やや美文調ながら、この古風な、神秘的な物語とよく適っており、ひさしぶりに文章で読ませる推理小説と出会ったと思いました。
『渇きの街』(北方謙三)は、作者がこれまでの物語のパターンをこわそうと苦戦しているところに惹かれました。作者の文章は、あいかわらず正確ですが、今回は正確すぎて、じつはほとんど何も映していないというふしぎなことがおこっています。こういうことは日本の小説ではめずらしい。そこに作者の才能を見ました。また彼の孤独な戦いをも。
短編部門では、小泉喜美子さんと皆川博子さんのものが心に残りました。
評論その他の部門の二作はいずれも大きな謎に挑戦しています。『乱歩と東京』(松山巌)は、乱歩作品にとって東京という都市は何であったのか、また現在の東京で乱歩的世界は成立するかという二つの謎に挑んでいます。そして作者は謎の究明を通して、大都会の質的変化を明らかにしていきます。この究明過程はじつにスリリングでした。『金属バット殺人事件』(佐瀬稔)は、事件が発生した家庭は果して特異な家庭であったのか、という謎を究明しながら、現代の家庭の変質をあきらかにしていきます。そして結末は、最良の推理小説よりも更に衝撃的です。作者は、真犯人として読者を名指しにしたのです。二作品とも充分に堪能させられました。閉じる
- 仁木悦子[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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今年の候補作は全般にすぐれた作品がそろっていたようで、たのしんで読めた。
長編では、私は「壁」と「山猫の夏」に惹かれた。「壁」は、私の全く知らない世界にいざなってくれる。その雰囲気の盛りあげ方の巧みさには驚嘆させられた。「山猫の夏」は素人っぽい表現や筋だてが多いけれど、これだけの枚数を飽きさせずに読ませる力と、エンターテインメントとしてのおもしろさに感心した。が、同意見が少なく授賞に至らなかった。
「漱石と倫敦ミイラ殺人事件」は才気のある作品だが、パロディであるために軽く、あっけないのが惜しい。この人は大いに期待しているので頑張って欲しい。「スペイン灼熱の午後」は、プロットはおもしろいのに、やや通俗的で人物に魅力がないのが残念だった。「渇きの街」は五篇の中で文章が最もすぐれていたと思う。が、そのためかムードに流れる恨みがあるように感じた。
長編がみな力作なのに対して、短編はどれも授賞作とするには少し不足な感じだった。五人の作者はいずれもおなじみの方たちだが、それぞれにもっとすぐれた作品が沢山あり、また今後も書かれることと思うので、授賞作なしは妥当であったと考えている。
評論その他の部門の「乱歩と東京」は興味深い。筆者が、建築という自分の専門分野の角度から考察を進めているのがおもしろいし、社会と時代の移り変わりが捕らえられていて、単に乱歩の作品の解説というだけにとどまらないものを含んでいる。私は、授賞作に推すのはこれと決めていたが、「金属バット殺人事件」も力作であり、二作授賞に異存はなかった。
ともかく、長編部門も、評論その他の部門も、異なった性格の作品が二つずつ授賞したのはよかったと思う。閉じる
- 西村京太郎[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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長編では、「山猫の夏」(船戸与一)が、ずば抜けていると思い、これが、当選作と考えていたのだが、意外であった。
私は、この作者の筆力と、最初から最後まで、緊張を持続する上手さに、今でも脱帽している。とにかく、一一〇〇枚という長さなのに、いっきに読んでしまった。久しぶりの充実感だった。
「渇きの街」(北方謙三)の授賞は、北方さんの上手さは、定評があるところなので、不満はない。
「壁・旅芝居殺人事件」(皆川博子)は、授賞したが、私は、賛成しなかった。文章も、言葉だけが、上すべりしてしまっているし、何よりも、推理小説として、ぎくしゃくし過ぎているからである。
「漱石と倫敦ミイラ殺人事件」(島田荘司)は、いかにも、才気にまかせて書いたという感じで、感心したが、後半に来て、詰まらなくなってしまっている。例えば、猫を出すのはいいが、ダメを押し過ぎていることなどである。
「スペイン灼熱の午後」(逢坂剛)の後半は、感心した。特に、ラストで、父親がひっくり返るところは面白いのだが、何にしても、前半が、もたついている。プロロゴで、スペインが出ていれば、失踪した父親は、当然、スペインと考える。読む方が、先に行っているのに、主人公が、もたついていると、いらいらする。それに、女性を、もう少し、魅力のある人物にして欲しかった。
短編は、岡嶋二人が、一番面白かったが、強く推すだけの魅力は感じなかった。女性の身代わりは、途中でわかってしまうし、そうなると、この作品は、そこで、終わってしまうのである。
他の作品は、それぞれに良さもあるのだが、欠点もあり、充実した読後感が、なかった。
評論その他は、略。閉じる
- 眉村卓[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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部門によっては論議が出たものの、私の感じでは、わりあいあっさりと結論に至ったように思えた。が、実際には結構時間がかかっていたのである。各委員が自己の存念を披瀝し、作品そのものだけでなく、作品の背後にあるものをも、それぞれの角度から照射しようとしたためであろう。私自身にとっても大変勉強になった。
論じられた部門順にしるさせていただく。
<評論その他の部門>では、「乱歩と東京」が、単なる懐古趣味というのではなく、そのときどきの社会構造の変化をふまえて、江戸川乱歩とその作品のありようを解きあかそうとしていることに感服した。「金属バット殺人事件」は、ひとつの衝撃的事件を分析し社会的背景を考えてゆくうちに、それがわれわれ自身の問題となってくる。想像による描写が出てきたりする点は少しひっかかるけれども、これまた、労作といえよう。
<短編部門>は、どの作品も各作家の持ち味がにじんでおり、それなりにたのしませていただいたのだが、いずれも相応にそつなく書かれているということが、逆に決め手を欠く印象となった。これは現在のような雑誌執筆のかたちの中では、やむを得ない結果で、少数の読者にしか支持されない作品は敬遠されがちなのだろうが・・・やはり、考えさせられてしまう。
<長編部門>の「壁・旅芝居殺人事件」は、限定された舞台の中での、独自の世界を作りあげているのと、構成に腐心しているところ(一部、やり過ぎの観もあるが)に惹かれた。こうした世界を好む人と、ついて行けないという人があるだろうが、それはそれでいいと思う。「渇きの街」は、作者の昨年の候補作のとき、推理小説としてどうかの話が出たけれども、従来書かれていない分野ということを思うと、筆力はたしかな人なのだし、授賞が妥当だろう。他にも惜しい作品があったのだが、この二作にはやや及ばなかった。閉じる