1992年 第45回 日本推理作家協会賞 評論その他の部門
受賞の言葉
本が出来上るにあたって、いくら分量のある作品であっても名刺一枚刷り上ったようなものだ、と不遜なことを書いた記憶があります。とはいえ、厚さと重さで凌駕する別の本が店頭にあるとそれ自体で妙に気になったりしたので、質を誇るよりも量で勝負といった気配も濃厚だったようで――。最初の本でありながら、順列は、力まかせに勝手気ままに書いてささやかに成立した六冊目になってしまったのは、歳月がそれなりにいみをもったということでしょうか。他の作品には当然にまとわりついている愛憎の両面ナルシシズムが、自分でも不思議ながら『北米探偵小説論』に関してはありません。
書き始めた頃には予想もしなかった、歴史の底が抜けたような世界激動が近年のものとなっています。その故に、今ほど探偵小説が異様に面白い時代はあるまいと思えるのです。わたしとしては探り当てたテーマの正当性にあらためて立ちすくむ想いです。こうした状況での受賞の名誉が、わたしを前進させ、名刺一枚をいくらかは特大に成立させることを願って――。
- 作家略歴
-
1947~
東京都品川区。学歴 高校卒。職歴、コック、大工など多数。
デビュー作、『幻視するバリケード』、小説デビューは『夕焼け探偵帖』。他の作品に、『空中ブランコに乗る子供たち』『エイリアン・ネイションの子供たち』『北米探偵小説論』『李珍宇ノオト』『ドリームチャイルド』『ラップ・シテイ』『臨海処刑都市』『大薮春彦伝説』『超・真・贋』『異常心理小説大全』『謎解き「大菩薩峠」』など。
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
- 大沢在昌[ 会員名簿 ]選考経過を見る
-
第四十五回日本推理作家協会賞の選考は、一九九一年一月一日より十二月三十一日までに刊行された長篇と、各小説雑誌の一月号から十二月号までに掲載された短篇、連作短篇集を対象に、例年通り昨年十二月より開始された。
協会員、出版関係者のアンケート結果を参考に、長篇三四二篇、短篇五七三篇、連作短篇集十八篇、評論その他の部門十八篇をリストアップした。
これらの諸作品を、協会より委嘱した部門別予選委員が選考にあたり、長篇が十六、短篇が四〇、連作短篇が三、評論その他が七、の各篇を第二次予選に残した。
最終予選委員会は、二月十九日、二十日の両日、協会書記局で開催され、候補作を選出した。
候補作は既報の通り、長篇四篇(当初は五篇であったが、著者一名が辞退した)、短篇五篇、評論その他が四篇、連作短篇がなし、という内容で、理事会の承認を得た後、本選考委員会に回付した。
本選考委員会は三月三十日午後六時より、新橋第一ホテル「柏の間」にて開催された。石川喬司、高橋克彦、檜山良昭、皆川博子、森村誠一の五選考委員全員が出席、大沢在昌が立会理事として司会し、各部門別の候補作について慎重かつ活発な意見交換のもと、審議がおこなわれた。
その結果、本年度は長篇部門が二篇、評論その他の部門で一篇、受賞作が決定した。
選考内容については、各選考委員の選評を参照していただきたい。閉じる
選評
- 石川喬司[ 会員名簿 ]選考経過を見る
-
長編部門には、ウルトラC級の論理のアクロバットを楽しませてくれる候補作が多かったが、テーマの扱いの深さ、細部の冴え、安定した筆力などの点で、『龍は眠る』が抜きん出ており、これを第一位に推した。
『時計館の殺人』は、ぼくの好みの作風ではあるけれども、時間の扱いに関して、とくに体内時間との関連で大きな疑問が残った。しかし、この作家の力量と将来性については異論がなく≪館シリーズ≫全作への授賞ということで意見が一致した。
『一の悲劇』と『歳時記』も面白く読んだが、それぞれ<離れ技>への意欲が高く評価できるだけに、着地のミスや姿形点が気になった。次回作に期待したい。
短編部門は、持ち味を生かした個性的な作品が揃ったが、いずれも水準以上の出来ではあるにしても、いまひとつ切れとコクに乏しく、残念ながら受賞作ナシの結論になった。
評論部門は難航した。他の専門分野ですでに一家を成されているお二人の著作『謎とき「カラマーゾフの兄弟」』と『鏡の中のクリスティー』は、ともに教えられるところが多く、選考ということを忘れて興味深く読んだが、協会賞の対象とするにはいささか異和感があった。
『ミステリーを科学したら』は、今の日本推理小説界が最も必要としている良薬である。調合者も最適任者で、いちいち同感しながら読みふけった。とくに、リアリティと論理美のバランスを論じたあたりは、今回の長編部門の候補作にも服用してもらいたい有効な指摘だった。佐野洋の『推理日記』シリーズと並ぶ貴重なエッセイ集だが、由良さんはいずれ創作の方で受賞される方だろう。
『北米探偵小説論』は、きわめて刺激的な評論である。肩を怒らせた長い序走にはヘキエキされる向きも多いかもしれないが、作品を作者が生きた時代の鏡として捉え、通説を根底から検証しなおす一貫した主体的な姿勢が読者を挑発しつづける。ここに込められた情念のエネルギーが受賞の決め手となった。閉じる
- 高橋克彦[ 会員名簿 ]選考経過を見る
-
長編について言えば、四作のうち最もわくわくさせられたのは宮部みゆきさんの『龍は眠る』だった。超能力をテーマにしてこれだけのリアリティを描出するのは容易な技ではない。聾唖の女性との触れ合いも見事で、選考の対象として読んでいることもしばしば忘れるほどだった。と同時に、受賞はむずかしいのではないかという感想も持った。肝心の(あくまで狭義のミステリの視点で言うと)事件が小さ過ぎる。恐らくこの点が選考会で論議を呼ぶだろう。他の三作が、いかにもミステリを中心にしているのと、まったく対称的である。特に綾辻行人さんの『時計館の殺人』とは両極にある。しかも、心霊現象を味付けにしている部分も似ている。ダブル受賞も有り得ると考えて選考会に臨むこととしたが、両極にある作品をどちらも好きだと力説するのは曖昧な態度のような気がして、直前に宮部さん一本に決めた。SFを書き、超能力の存在を信じる私が認めてあげなければ宮部さんの苦労の甲斐がない。ところが蓋を開けてみたら宮部さんの作品を全員が支持なさった。選考の皆様の懐の広さに私の方が驚いてしまった。となると綾辻さんの豪腕を認めるにやぶさかでない。結果は同時受賞となり、まことに喜ばしい。ともに将来を嘱望され続けたお二人だ。聞けばお二人は同年同月同日生まれだと言う。まさにミステリの賞に相応しい奇縁と言うしかない。
評論部門については江川卓さんの成果を高く評価する意見が多くあったけれど、協会賞の枠から食み出た作品ではないかという感想もあり、結局、野崎六助さんの『北米探偵小説論』の、緻密な労作に軍配があがった。この血の滲むような精進に報いてやれないぐらいなら、そもそも協会賞の意味がない。ひさしぶりに胸のすくような評論に巡り合ったような気がして、これにもわくわくした。閉じる
- 檜山良昭[ 会員名簿 ]選考経過を見る
-
長編部門の候補作には、すべて本格推理物がそろった。近年、推理小説というジャンルの拡散状況が続き、本格物の退潮が言われつづけてきたが、若い作家諸君が本格推理物に挑み、佳作を発表したというのは推理小説界にとり喜ばしいことであろう。これが本格物復活の端緒となることを期待したい。
私は一読者として、どの候補作も面白く読んだが、さて選考委員として一作を挙げるとすれば、綾辻行人氏の「時計館の殺人」であると思った。
綾辻氏がこれまでに書いた作品と比べると、「時計館の殺人」は決して傑出した作品であるとは言えないが、候補作の中では文章力、ストーリーの展開、トリック、人物描写などの総合点で一段、抜きんでていると判断したからである。
この作品については、トリックの矛盾や非論理性を指摘する声もあったが、氏のこれまでの作品の実績を考慮して、授賞作に推した。
前評判の高かった宮部みゆき氏の「龍は眠る」については、たとえトリックであるにしても超能力というテーマが私自身が興味がないために、「時計館の殺人」ほどはゾクゾク、ワクワクせず、むしろ短編賞のほうで宮部さんの作品を推した。
残る二作である、法月氏の「一の悲劇」と、依井氏の「歳時記」は総合的にみて授賞作には力不足である。あとひとふんばりの努力を望みたい。
短編賞については、どの作品にも推理短編に必要なひねりと切れ味の鋭さが欠けており、比較的まとまりがいい作品ということで「六月は名ばかりの月」を推した。ただ、私以外の全員が授賞作なしということであり、皆川委員から綾辻、宮部両氏の長編二人授賞という案が出されていたので、宮部氏の短編授賞に代わって、長編二人授賞に同意した。
評論については、由良氏と中村氏の作品は内容が軽く、また江川氏の作品は推理小説評論の域を超えているということから、問題なく野崎氏の「北米探偵小説論」に決まった。閉じる
- 皆川博子[ 会員名簿 ]選考経過を見る
-
本格ミステリ隆盛への推進力、作品の壮大な仕掛けの面白さなどを思うとき、島田荘司さんを抜きにしては、語れません。
島田さんは、前回、今回、二度とも、ノミネートされたのですが、辞退なさったのでした。両度とも、選考委員の間では、惜しむ声しきりでした。辞退ということがなければ、委員の皆さんの声からして、確実に受賞なさったにちがいありません。しかし、島田さんの実力は、すでに、受賞云々を超えておられると思います。
今回長編部門は、綾辻行人さんの『時計館の殺人』と宮部みゆきさんの『龍は眠る』の二作受賞となりました。
宮部さんは、多彩な筆力を持つ方で、本格、サスペンス、さらに時代物もと、何を書かれても、高い水準を保っておられます。そうして、根本に、山本周五郎の世界に通底する暖かい人間観察の眼があります。『龍・・・』も、超能力をあつかいながら、根底にあるのは日常に根をはったリアリズムの確かな眼でした。瑕瑾を言えば、超常少年たちのかかわる事件が、いささかありきたりに思えました。毒と苦さも、と望むのは、私のないものねだりかもしれません。
綾辻さんの『時計館』は、繊細で華麗なガラス細工といったおもむきがあります。不自然さを指摘する委員もおられましたが、なまじなリアリズムを持ち込むと、この幻想的な美しい世界がこわれてしまうと、私は思います。本格復興の旗手となったこれまでの作品群への賞讃も、今回の受賞にはこめられていました。
東野圭吾さんは、実力充分の方と思います。今回の短編では、その力が発揮されていませんでしたが、遠からず受賞なさる方と期待しています。
評論部門で、一番興味深く読んだのは、『謎とき「カラマーゾフの兄弟」』でしたが、ミステリの評論とは違う分野の作品だという他の方々のお考えにしたがいました。閉じる
- 森村誠一[ 会員名簿 ]選考経過を見る
-
新人の応募作の選考と異なり、同業の選考は辛い。だがこれは協会賞を受賞した者の義務である。
『時計館の殺人』の作者の作品はすでに何作か読んでおり、この作者の力倆は信頼している。私事であるが、持病の眼病が最近悪くなって、今回は長編の選考は辞退していたのであるが、すでに『時計館の殺人』と『龍は眠る』の二作のみ読んでおり、この二作が選考対象に残ったので選考に加わった。
綾辻氏は「島田学派」と呼ばれる新本格派の俊秀であり、「ミステリーは人を殺すための小説なのだから殺されるためだけに登場する人物がいてもいっこうにかまわない」という趣旨のコメントを週刊誌に発表していた。私もかつて同じ様な意見をもっていたことがある。
だが人間や動機を描かない作品に次第に不満をおぼえてきていた矢先に島田荘司氏が登場して謎と人間の見事に融合した作風に瞠目した。その流れを汲む綾辻氏の発言は、一見、過激ではあるが、氏の本格ミステリーに寄せた並々ならぬ情熱を示すものであろう。協会賞は候補作一作のみ対象にしているわけではなく、その作家の総合に対するものとおもっている。個人的には前作『霧越邸殺人事件』のほうが完成度が高いとおもうが、本作品も含めて全十作文句なく授賞に値すると思う。なお余談だが島田氏が毎年候補に挙げられながら辞退するのは、推理文壇にとって残念である。
『龍は眠る』の作者は、私は同じく選考に加わっている「オール讀物推理小説新人賞」以来なじみの方なので、その作品は安心して読める。
受賞作に関しては特に言うこともないが、推理小説とリアリティの問題で、作品世界が現実または事実に接近するほどに現代あるいは時代の調査、考証(取材を含む)が必要になってくる。これは全候補作品にも言えることで、考証、取材の不備不十分を架空の作品世界へ逃避行することによって糊塗するのは作者として後ろめたさを拭えない。架空ではあっても現実と接点をもっているかぎり、考証をゆるがせにできない。
なお「評論」を作家の選考に委ねるのはお門ちがいのような気がした。閉じる
立会理事
選考委員
予選委員
- 武蔵野次郎
- 加納一朗
候補作
- [ 候補 ]第45回 日本推理作家協会賞 評論その他の部門
- 『謎とき『カラマーゾフの兄弟』』 江川卓
- [ 候補 ]第45回 日本推理作家協会賞 評論その他の部門
- 『鏡の中のクリスティー』 中村妙子
- [ 候補 ]第45回 日本推理作家協会賞 評論その他の部門
- 『ミステリーを科学したら』 由良三郎