1995年 第48回 日本推理作家協会賞 短編および連作短編集部門
受賞の言葉
家族が喜んで読んでくれ、面白いからもっと先を書いてちょうだいと言ってくれたから、それが嬉しくて私はデビュー作の『ななつのこ』を書き上げました。あのときにはまさか作家になれるとは想像もしていませんでしたが、物語の書き手としては、とてもシンプルで幸せなスタートだったと思います。
幼少時から本が好きだった私ですが、小説家というものは選ばれたごく一部の人間がなるものだとずっと信じていました。まして推理小説ともなれば、とてつもない頭の良さと才能に恵まれた、宇宙人みたいな方が書かれているに違いないと固く思い込んできました。
どうやら必ずしもそういうわけではないらしいというのが、このたび恐れ多くも協会賞を受賞させていただいての感想です。これを書いている現在も呆然自失しているような情けないあり様ではありますが、どうぞ今後とも、ご指導、ご鞭撻のほど、宜しくお願い申し上げます。本当に有難うございました。
- 作家略歴
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福岡県北九州市出身。文教大学女子短期大学部文芸科卒 化学メーカー勤務後、一九九五年退社。
一九九二年「ななつのこ」で、第三回鮎川哲也賞受賞、東京創元社よりデビュー。「魔法飛行」(同社)、「いちばん初めにあった海」(角川書店)、「ガラスの麒麟」(講談社)など。
九五年、「ガラスの麒麟」日本推理作家協会賞短編及び連作短編集部門受賞。
受賞の言葉
栄えある賞を頂き、大変感激しております。横溝正史に江戸川乱歩・・・過去の偉大な受賞者リスト(子供の頃に憧れた巨匠ばかりではありませんか)を眺めるだに、まるで推理の≪神々の園≫に迷い込んだ下級悪魔のような心境に陥ってしまいます。
乱歩や正史に憧れた時から今回の受賞にいたるまで客観的には長い時間が流れました。しかし、主観的には少しも時が経っていないような気がしています。子供の頃同様、いまだに私は、ミステリーがこの世で最高に面白いものだと思っているようです。そして、そうした幼い日の純粋な感動を忘れない全てのミステリ・ファン、作家、編集者の皆様と共に、これからもずっと≪ミステリの園≫で遊んでゆけたらと願っている次第です。
- 作家略歴
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1954~
横須賀市出身 早稲田大学法学部卒 大学在学中より開始したミステリー・音楽・映画などの評論活動を経て、八九年「生ける屍の死」で作家デビュー。「日本殺人事件」で第四八回日本推理作家協会賞を受賞。他の代表作に、「ミステリーズ」、キッド・ピストルズのシリーズ、垂里冴子のシリーズ、「ミステリー倶楽部へ行こう」(エッセイ集)等がある。趣味は、音楽鑑賞、スキューバ・ダイビング等。
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
- 大沢在昌[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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第四十八回日本推理作家協会賞の選考は、一九九四年一月一日より十二月三十一日までに刊行された長編と、各小説雑誌の一月号から十二月号までに掲載された短編、連作短編集を対象に、例年通り昨年十二月より開始された。
協会員、出版関係者のアンケートを参考に、長編三五三篇、短編七二八篇、連作短編集四四篇、評論その他の部門二六篇をリストアップした。
これらの諸作品を協会より委嘱した部門別予選委員が選考にあたり、長編十九、短編四一、連作短編三、評論その他が九、の各篇を第二次予選に残した。最終予選会は、三月六日、八日の両日、協会書記局で開催され、候補作を決定した。
候補作は既報の通り、長編五篇、短編五篇、連作短編が一篇、評論その他が三篇、という内容で、理事会の承認を得た後、本選考委員会に回付した。
本選考委員会は五月十九日、午後四時より、第一ホテル東京「カトレア」にて開催された。井上夢人、日下圭介、小杉健治、小松左京、直井明の全選考委員が出席、大沢在昌が立合理事として選考をおこなった。三時間余にわたる活発な意見交換ののち、本年度は長編部門が二篇、短編および連作短編集部門が二篇、評論その他の部門が一篇の受賞作が決定した。
選考内容については、各選考委員の選評を参照していただきたい。
また昨年度より実施された受賞者記者会見には、受賞者のうち、加納朋子、藤田宜永、山口雅也の三氏と阿刀田高理事長が臨んだ。会見場には昨年同様、二十名近い取材関係者が出席した。閉じる
選評
- 井上夢人[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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長編部門では『鋼鉄の騎士』を推した。二千五百枚という長さを飽きさせることなく読ませる一級のエンタテインメントだと思う。注文をつけたくなるようなところもあるのだが、この作品にはそんなこと問題じゃない、と感じさせてしまう強さがある。単純明快な骨格を定規で引いたように貫き通した物語に、巧くできたハリウッド映画を見せられたような満足感を与えてもらった。
『沈黙の教室』は、作者得意のだまし絵的なプロットが秀逸な佳作だが、私自身としては、そのワクワクするようなアイデアを、もう少し丁寧に仕上げていただきたかったという不満が残った。ただ、これまでの折原氏の作品群を併せて考えて、氏の仕事を評価したいと授賞に賛成した。
『凍樹の森』の冒頭の熊狩りの緊迫感には圧倒された。一頭の巨大な熊を執拗に追う描写は美しく、一編の詩になっている。じっくりと書かれた秀作だと思うが、物語が大陸へ舞台を移してから、冒頭での映像美がいささかトーンダウンしてしまったのは、実に惜しい気持ちがした。
『二の悲劇』にはケアレスミスだが見逃すことのできない欠点があり、『七人の中にいる』は犯人の行動に不自然な点が多すぎた。
短編および連作短編集部門では『日本殺人事件』を強く推した。作品に充溢する徹底した遊び心には大きな刺激を与えられた。他の選考委員からアイデアに前例があるという反対意見があったが、描き出されたとてつもない作品世界は作者独自のものである。
他の短編はいずれも作品が小振りで、私としては『水難の夜』が一番面白いと思ったが、独特の味わいを持った『ガラスの麒麟』に贈賞が決まった。
評論その他の部門では『チャンドラー人物事典』を推した。ハードボイルド研究の貴重な資料となるだろう。徹底した仕事に心からの敬意を表したい。閉じる
- 日下圭介[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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今年の候補作の作者は、いささか気の毒だなと思っていた。候補作が届き始めたのは三月下旬で、折から地下鉄サリン事件が発生した時期だった。世間は騒然とし震撼し、フィクションの緊迫感など吹っ飛んでしまうと懸念したのだ。事実作中の刑事などの粗雑さに、しらけさせられる作品も見受けたが、結果として質のいい作品を選出でき、嬉しい。
そんな中で<長編>では、私は谷甲州氏の「凍樹の森」を推した。前半の雪山でマタギの老人と絡みながら、熊を追うあたりの力強い描写は、ヘミングウェイの「老人と海」さえ連想させてくれた。欲をいえば中盤以降ややもたつきが見えることと、風景描写などに前半ほどのリアリティが乏しくなることだ。激論の末、見送られたのは残念だが、受賞した二作も興趣に富んだ力作に違いなく、満足な結果だったと思う。ことに藤田宜永氏の「鋼鉄の騎士」は、一見唖然とするほどの大作だが、最後まで引き込めさせられた。
<短編>は、人生の一側面を切りとって見せるようなものが理想だと考えている。その味わいを覗かせてくれたのが、加納朋子氏の「ガラスの麒麟」だった。それ以外になかった。若竹七海氏の「手紙嫌い」もひねりは面白い。だが甘味と苦味の調味料の使い方を間違えたような気がする。今後の積み重ねを期待したい。山口雅也氏の連作「日本殺人事件」。変な外人が見た日本を舞台にした着想には意表をつかれた。しかし余りにも妙チキリン過ぎて、何が起きても理詰めで考えるのは野暮ということになってしまい、推理小説としては邪道過ぎるように思えた。
<評論>候補に上った三作とも、薀蓄を伺えさせる力作ということには間違いあるまい。どれもマニヤックで、その世界が好きな人にはこたえられない。あいにく私はどれにも評するほどの知識がなく、無責任なようだけど、他の委員に委ねることにした。閉じる
- 小杉健治[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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昨年に続き、大量の候補作が届けられたが、どの作品も読みごたえがあっていっきに読み進めることが出来た。が、それだけ粒揃いの候補作があったということは、選考会でもめることは必至で、案の定、その通りになった。長編部門では、「鋼鉄の騎士」が最も多くの票を集め、すんなり決まったが、私は「凍樹の森」、「鋼鉄の騎士」、「沈黙の教室」の順で考えた。いずれも僅差であるが、第一位に推した「凍樹の森」は小説らしい小説を読んだという満足感に浸ることが出来た。中盤の視点を武藤に変えた大陸での話になって、美川の視点で描かれた部分の色合いや迫力と違ってしまったのは唯一気になった点だが、受賞にふさわしい作品だったと残念である。
「鋼鉄の騎士」はレーサーに賭ける主人公の情熱が伝わり、革命、スパイ、友情、恋愛、大泥棒との関係など、物語の面白さをすべて網羅したような大作で、これだけの長さのものをいっきに読ませる筆力には脱帽せざるを得ない。
「沈黙の教室」は青葉ヶ岡中学校時代の恐怖新聞に踊らされる新任教師の視点からの前半部を読んだ段階では、受賞作はこれで決まりと思ったが、復讐劇の犯人の行動など、謎を面白くするために作者の都合で人物が動いているのではないかと気になる部分があった。が、これは謎を前面に押し出す本格ミステリーが負わされた宿命であり、他のジャンルの小説に比べ、過酷な条件を強いられているように思える。
短編および連作短編集部門は、私は受賞作なしか、出るとすれば「日本殺人事件」と「ガラスの麒麟」だと思っていた。受賞ということになってよかったと思っている。
評論その他の部門は「チャンドラー人物事典」に決まったが、私自身はチャンドラーの読者ではないので、審査に加わる資格があるかどうか迷ったが、労作であることは間違いなく、今後のチャンドラー研究のための大いなる財産になると言う意見に賛成した。閉じる
- 小松左京[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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選考委員会に出るにあたって、私は長編部門で折原一氏の「沈黙の教室」、短編部門で加納朋子氏の「ガラスの麒麟」、評論その他の部門で江口雄輔氏の「久生十蘭」を候補と思っていた。
実をいうと、私は折原氏の長編を読む直前に、藤田宜永氏の「鋼鉄の騎士」を、やっとの事で読み上げていた。他の三篇の長編候補作は、それまでに何とか眼を通したが、かなりな取材を必要とする週一の新聞連載をかかえて、五つの長編、五つの短編、一つの連作短編、三つの評論に眼を通すのは、この年になると、ちょっとヘヴィだった。それも手だれの読み手を経て、最終候補に上がってくるだけあって、どれもそれぞれ面白く、力作であるので、読み出すとほかの仕事ができなくなって困るのである。
とりわけ「鋼鉄の騎士」は、二千五百枚という原稿を一冊にまとめてあり、おいそれと持ち歩くわけにいかず、書斎で読むよりしかたがなかった。しかし、読み出すと読みやすく、話もハイカラで波瀾万丈でスケールも大きく、私の好みにもあって、読み終わった時はこれにきめようかと思った。
しかし、最後に「沈黙の教室」を読んだ時、考えは変わった。ある地方の中学三年生のクラスで起こった、一種奇怪で陰惨な事件を、二十年後の同じクラスだった生徒と、担任の教師を、「恐怖新聞」という不気味な匿名新聞でつないで行く――というのは、読んでいて何だか救いのない雰囲気だと思ったが、しかし、現在の中学生の「いじめ」による自殺や、その遺書、事件への学校や父兄の対応を見ていると、そこに何がしという教団以上の陰惨な「闇」が戦後民主教育、核家族化、PTA制度、進学制度といった現実の中にかもされている事をおもいいたらざるを得ず、ミステリーは、一方では知的エンターテインメントとしての爽快なカタルシスも許されるが、他方では、こういった社会問題に真剣に挑むべき「文学的使命」もになっているのではないかと痛感させられ、こちらを一位におした。
選考結果は、かなり大量入賞となったが、まず異論はない。ただ連作短編集について、この原パターンは筒井康隆氏の作品「色眼鏡の狂詩曲」にあるのではないかと思えて、疑問を呈しておいた。閉じる
- 直井明[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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今回の長編部門候補作は、国際謀略・冒険小説風の二冊といかにも推理小説らしい三冊。一つの物さしで測るのは無理な、異なるジャンルの作風なので、前者のジャンルから「鋼鉄の騎士」、後者から「沈黙の教室」の二作を推した。「騎士」の男たちはどうも格好よすぎるきらいもあるが、大戦前夜の国際情勢にシンクロナイズした構成が生きている。この本の物理的な重さはまじめに読まねばならぬ立場の者には威圧的であり、しかも持ち運びに不便だ。同じジャンルの「凍樹の森」の題材の選び方と時代設定に意表をつかれ、「騎士」との択一に悩まされた。「沈黙の教室」は計算の行き届いたミスディレクションが仕掛けられていて、楽しみながら騙された。
連作短編の「日本殺人事件」は、詰め腹や遊女の心中など、外国人にはとても理解出来ない事例と外人の目から描いたらこうなるだろうとパロディ化してみせた独創性が面白く、著者の原案という誇張された輸出向日本趣味の表紙デザインにも著者の思い入れが感じられる。この作品は選考委員の好き嫌いが明確に分かれて、こんな非現実的な設定では何をやってもよいことになり、読者の推理の入りこむ余地がないとの指摘もあった。
短編では「水難の夜」がいかにも推理小説らしくまとまっていると思ったが、「ガラスの麒麟」の支持者が多い。「麒麟」にはちょっと気になる箇所があり、積極的な賛成には踏み切れなかった。連作短編と短編が一つの部門だと、選考が難航し、賞の濫発になりかねない。別々の部門にすべきだと思う。
評論その他の部門の「チャンドラー人物事典」を読み始め、途中でチャンドラーを二冊再読し、やはりチャンドラーは面白いと思った。「チャンドラー人物事典」はそういう効果のある本である。資料集成の徹底ぶりに脱帽し、強く推した。ただし、この本はチャンドラー全作品の犯人をばらしているので、取扱いには注意を要する。閉じる