1960年 第6回 江戸川乱歩賞
1960年 第6回 江戸川乱歩賞
該当作品無し
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選評
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経過報告と私の感想
前頁(文庫出版部注・前頁には百篇をこす応募作品があったことや受賞作がなかったことなど選考経過と結果が記されている)に発表した通り、今年度の江戸川乱歩賞は入選作なしと決定した。各選考委員の評文を次に掲げるが、その前に、候補作選定の次第と選考経過を略記しておく。
今年度の予選委員は渡辺剣次、黒部竜二、阿部主計、氷川瓏、村山徳五郎の五氏であった。いずれも推理小説通として定評ある人々。この五人が応募作品を分担して読み、各自の推薦作を持ち寄って、講談社別館で会議を開いた。それには私も出席して、それぞれの推薦作の内容を聴き、慎重に話し合った結果、ある委員は候補作の提出を見合わせ、ある委員は二篇を出すなど、できるだけ公平を期して候補作の調整を行なった。そして最後に残ったのが下の五篇であった。
五十嵐静子「すれ違った死」
宇治 千介「北大東島」
黒川 俊介「醜聞」
膳 哲之助「白い廃園」
藤井 礼子「ハイムダールの誘惑」
これを五人の選考委員に回読を乞うた上、八月三日、文京区の「竜岡」に五委員全員出席して、最終の選考委員会が開かれたのである。
この会合では、先ず各自優秀と考える作を出し合って検討してはという意見も出たが、例年のように全員一致の推薦作なく、逆に五篇のうちから一篇ずつ落として行くという方法をとった。そして、先ず「ハイムダールの誘惑」が落ち、次に「白い廃園」が落ちた。この二篇については残したいという委員は一人もなかった。あとの三篇はそれぞれ三人以上の委員が推し、その優劣が論じられた。
「すれ違った死」は大下、荒、長沼三氏が推し、「北大東島」は木々、長沼、江戸川が推し、「醜聞」は木々、大下、長沼、江戸川が推したが、それは入選に値するという意味ではなく、ともかく残して検討すべきものと考えたのにすぎない。どれかの作の入選を積極的に主張する委員はほとんどなかった。わずかに、木々委員が「北大東島」を、荒委員が「すれ違った死」を、やや強く推したけれども、これに同調する委員少なく、慎重論議の末、ついに人選作なしと決定した。江戸川賞が今年だけ中絶するのは淋しいことだし、甚だ残念でもあるが、水準の低いものを強いて入選させることは避けたいという全委員の意向が一致したのである。
次に、私自身の感想を述べると、全体に誤字、誤文(作者の言おうとすることが適正に表現されていない)が多く、また文章の奥のもの、教養または常識の不足が強く感じられ、その点だけでもう合格作はないという感じを受けた。各作品についていえば第一に落とされた「ハイムダール」の作者藤井礼子さんは今年の「宝石」賞佳作第一席に推された「初釜」というキメのこまかい作品を書いた人だが、この「ハイムダール」はまるで真実味のないキメの荒い作で、同じ作者のものとは考えられないほどであった。次に落とされた「白い廃園」の膳哲之助君は「宝石」にも数回作品を発表しているし、古くから各種の懸賞募集に応じて、いつも佳作級には入る人である。この「白い廃園」は変った動機を扱っているが、それだけに、納得させる力が弱い。そこが充分に書けていない。また全体として新鮮味のないことが欠点であった。誤字、誤文は五篇中もっとも少なかった。
残る三篇のうち、私は「醜聞」と「北大東島」を推したが、むろん入選作としてではない。「醜聞」は筋が複雑によく考えてあること、原稿紙百枚目ぐらいからサスペンスが生じ、それが段々強まって行く面白さをとった。犯人にちがいないと思われる人物が、恋敵である相手と共に、恋人である相手の妻までも殺したところに、一種の不可能興味のようなものがあり、それをどう解決して見せるかという点に、私は強いサスペンスを感じた。そして、それが一応納得の行くように解決されているのである。また、仙台や広島への、クロフツ流の旅行記探偵の手法が取り入れられているのも長所であった。しかし、どこかしら足りないものがある。小説全体が鮮明に浮き上ってこない。画竜点睛を欠くという感じを受けた。この「醜聞」は拵えものの弱点をまぬがれず、多くの委員が一応は推しても、強く主張することはなかったが、「北大東島」は、作者の経験にもとずいたものらしく、迫真性があり、その点では私も一番面白かった。木々委員が強く推したのもその意味だと思う。だが、この作者の文章は、人に見せることを考えないで投げやりに書きつけた日誌という感じで、独り合点の省筆が多く、小説の文章とはいいにくい。また筋では、長沼委員が指摘している懐中電灯の問題が、私にも強い疑問として残った。
「すれ違った死」は、作者が慶大在学中の若い女性であり、将来が期待できるという意味で、荒委員がことに強く推したが、過半の委員の賛成を得ることができなかった。この作は、最後に三つの大きなトリックが用意されているけれども、いずれも独創が感じられない。大トリックを三つも手軽に並べたことが、逆に、マイナスになっているとさえいえる。
時間表によるトリックも、密室トリックも削例があり(この密室トリックは説明不充分でもある)、もう一つのボート利用のトリックも独創というほどのものではない。なによりの弱点は、トリック解明までの小説の大部分にサスペンスがほとんど感じられないことで、つまり小説技巧が未熟なのである。
そういうわけで、遺憾ながら今年は入選作なしときまったが、明年度こそ応募作家の奮発を促したい。新鮮な異色ある力作をというのが私の強く希望するところである。
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「すれ違った死」の作者の将来性を
予選から廻ってきた五篇は、昨年の水準よりかなり落ちていた。文章もまずく、それに誤字が目立って多かった。探偵小説は、文章などどうでもよいというのは誤解であって、良い探偵小説は、いずれも個性的な文章で書かれている。こんなことをいまさら言わなければならぬのは、大変残念である。
「醜聞」(黒川俊介)は、探偵小説としても、何の特色もない作品で、長篇を書くからには読者をもっと意識してほしい。作者が興味をかんじていない物語を、読者が面白がるはずもない。「白い廃園」(膳哲之助)は、本当はもっと良い作品にまとまるはずであったものを、初めから投げやりな態度で書いている。せっかく長篇を書く以上は、もう少し想を練ってほしい。登場人物も平凡である。トリックももう少し工夫してほしい。「北大東島」(宇治千介)は、題材の点で興味を覚えた。沖縄の東方海上に浮かぶ二つの小島を舞台にして、エキゾティックな雰囲気も或る程度書けている。空想や調査で書いたものではなく、体験にもとづいたものであることが、自然とうなずける。物語としても一応まとまっている。だが、長篇としては、もう少し構成の点で工夫してほしかった。スリルの点でも工夫が足りない。何遍か書きなおせば、もう少し良い小説になるであろう。「ハイムダールの誘惑」(藤井礼子)は、愚作である。失敗作よりまだひどい。なまじっかヨーロッパ文学をかじったりしているだけに、余計始末がわるい。女性特有のひとりよがりが目につく。この人は、小説を書く資格がないように思う。馬鹿力で長篇を書いてはいけない。
「すれ違った死」(五十嵐静子)は、私としては好感を抱いた。電車のトリックなど、他の選者の言うように無理があるが、それは探偵小説として、或る程度目をつぶってもよい。作者は、まだ大学在学中らしいので、これから本格的に勉強すれば、仁木悦子さんに続く女流探偵作家になれるかもしれない。文章の筋も余り悪くない。現代の若い女性としての感覚をもっと積極的に生かせばなおよかった。箱根を舞台にし、東京との間に、人物を動かし、読者の興味を釣ろうとしているのも、平凡だが、一応の苦心は認められる。犯罪の動機に、松本清張ばりの社会性を加味しようとしたのは、流行に流されたものだが、もっと工夫してほしかった。女性特有の鋭い観察を働かせてもらいたかった。いろいろ注文はつけられるが、五人のうちで最も将来を期待できる作家だと思う。本格的な探偵作家を志すならば、かつてのヴァン・ダインのように、何千冊の名作、傑作を読みつくし、その上で新しい境地を拓いていただきたい。
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辞引きを買いなさい
読むことを課せられた乱歩賞候補作品は五つあって、その五作品を読むのに、今年はひどく苦労した。
他の小説だったら、それほどの苦労はないだろう。冒頭を少し読めば、大体の見当はつく。時には、原稿一枚を見ただけで、駄目なものは駄目と決定して間違いない。ところが探偵小説となると、そうはいかない。文章がまずくても、誤字があっても、そしてはじめがどんなに退屈でおもしろくなくても、おしまいに、大いに感心させられることがあるからだ。
私は、誤字だらけで、まずい文章で、まことに退屈なストーリーを、がまんして読んだ。そしておしまいまで、感心もせず、いや、いくらか腹が立ったりした。どれもそのような作品だったのである。
そもそもは探偵小説では、結末が最も重大視されるという風潮がよろしくない。はじめから、読者をひきつけるという技術を、もっと尊重しなくてはいけない。
手品でも、演出がまずかったら、見物はそっぽを向く。
五つの作品には、演出がないのである。謎とかトリックとかは、ともかく考えている。そして意外な犯人さえ出せば、読者は満足すると思っている。だから、文章は粗雑になり、ストーリーは、解明の場面へくるまで、ということは、与えられた枚数に達するまで、いっしょけんめいでモタモタし、それから、原稿紙一枚につき、一字以上の誤字を使って平気なのである。
それでも私は、まァこれなら、誤字を――誤字だけではない、ほかの記述をも、刻明に訂正したら、奨励の意味で、賞に概当するものとしてもよい、という作品を見つけた。
作者の狙った――つまり、読者をびっくりさせ、感心させようと企らんだトリックも、全然新規なというほどではないが、ともかく三つも併用してあって、事実上私は、ああそうだったのかと、そこだけは感心させられた。だから、どうあっても乱歩賞作品を出さねばならぬというのであったら、その作品を推そうと思った。
それは「すれ違った死」である。
五つの作品のうちで、誤字の多いことではこれが一番である。
ところどころ、インク消しで字を消し、書き返してあるけれども、そんな、ていねいなことをしながら、ふんだんに、誤字が出てくる。
私は、銓衡の席でそのことをいい、同意見もあったけれど、結局、この作品も賞には概当しない、ということになってしまった。
それでよかったのだろう。
レベルは保たねばならない。でないと、探偵小説がバカにされることにもなるのである。
私が選んだ作品の作者には、辞引を買いなさいということを、おすすめしておく。
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マジョリティに従う
今度五篇読んだが、概括して出来がよくなかったということについては、委員諸君の意見に同感である。
この前の委員会には、私は日本にいなかったので出席していないし、読んでもいない。当選作一篇を本になってからよんだが、実はこれが全委員の一致できまったとしたら、外がガタ落ちであったと想像出来る。その一篇と比較して、今年がずっとおちるとは思わない、というのは、私は「醜聞」(黒川俊介)と「北大東島」(宇治千介)の二篇は去年のに劣るとは思わなかった。
ところが荒、大下の二委員がこの二篇に一顧も与えなかったのには驚いた。(乱歩註、私のメモによると、大下委員は「醜聞」の方は残すことに賛成している)他の委員会のように、読んで来ない委員というものの、いないこの委員会だから、丁寧に読んだ上のことに違いない。字がまずくて誤りだらけだという発言があったが、字の誤りは校正の時に直せばいいし、文章のまずさは困るが、内容のなさが一番困る。ところが、内容についての主張は、この委員会では通らぬと見たのはヒガメか。
さて、「すれ違った死」(五十嵐静子)が相当おされていた。終り三分の一はよい。トリックもよい。然し、その前の三分の二が全くの空虚である。これは犯罪の動機、人物の性格をねり直して書けばよい作品となる。つまり内容をよくする必要がある。
「白い廃園」(膳哲之助)と「ハイムダールの誘惑」(藤井礼子)とは問題にならぬ。ところどころに文学的によいシチュエーションがあるが、つまり内容もトリックもないと言える。
さて、「醜聞」は犯人の性格はよくかけているが動機が浅い。恋愛も本気なのかうそなのか判らぬのが困るが、描写は最もよい。文章の運び方も少し古いが悪くない。慾を言えば、犯罪の動機をもっと深い意味のあるものにしたい。同期生で偉いということで殺すのはせますぎる。何故なら、自分より偉い奴は世の中に沢山いる。
「北大東島」は迫力十分、珍らしさ十分、描写を新しい手法でやったら素晴らしくなる。この作家が、もう一、二作いいものをかいたら、是非出発させてやりたい。これこっきりでは困るという心配で、今度はおちたと思ってよい。
さて、要するに、好きで好きでかなわぬというテーマを書くようにして、乱歩賞にもっと挑戦して貰い度い。唯好きでも嫌いでもないが、辻つまを合わせるというだけでは、いつまでもよい作品は出ないということを、応募者はよく考えなければならぬ。
委員会では私はマジョリティに従ったし、これからもそうである。
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三篇を評す
今年の作品は、いずれも程度が低い。入賞作を出すか出さぬかで、委員一同かなり激しい議論をしたが、結局該当作なしということになった。
最後まで残った作品について寸評を加えておく。
「すれ違った死」(五十嵐静子)鉄道の時間表を使ったところは松本清張の亜流。作品構成上の根本的な骨法を心得ていないのが、致命傷である。全編の半分は、読者をいらいらさせるほど、テンポが遅く、冗漫である。テンポのアンバランスで、かえってクローズ・アップされ始末におえなくなる。この点さえ是正されれば、将来は十分ある。
それから、大きなトリックを三つも持ち込んだ野心は買うが、これは結果的にはトリック過剰となった。
湖畔のコテジの密室トリックにも無理があるし、なかで桂子が死んでいるのを、一目して確認してしまうのもおかしい。最後の電車(列車? これがゴタゴタになっている)の場合も、後車から前車を見通せるという断定に大きな疑問がのこる。一条武右衛門が姪の葬式に顔を出さなかった理由などは、なんとか説明しておかないと、フェヤでない。これから、誰かよいコーチについてみたらどうでしょう。
「北大東島」(宇治千介)背景の設定は、すこぶる面白い。こういうモチーフを扱うときには、もっとキビキビした文章が望ましいが、この点は我慢しておこう。はじめからおかしいのは、肺病の療養のために、ひどく暑い土地に出向くということである。これは死地に赴くようなもので常識外である。不用意もはなはだしい。
尚子という女性を中心にして、適齢の結婚候補者がつぎつぎと消されて行くのだが、それなら、中心人物の尚子を、もう少し、人間的に描いておかなければいけない。月齢十五夜と洞窟とを絡らませているが、暗いところを見るのに懐中電灯を使わないというのが、誰にもわからなかった。島に懐中電灯はあるのだから、これには困った。こういうミスが破綻のもとになる。
「アンマクガニ」と強精剤との関係も面白いようだが、現実感が伴わない。作者は六十才(?)、その努力は大いに買うが、どうも体験以外のこと、つまり想像の翼をのばして、奔放なつくり話を創作する能力はないのではないか、と心配させられる。来年もう一度是非作品を見せて下さい。
「醜聞」(黒川俊介)探偵の役割を演ずる人物が、よく足で歩いている点は、好感が持てるが、いかにもテンポが遅い。はじめは登場人物三人(京子を入れれば四人)に限られていたが、中半から突如元警部と画家が出て来る。この二人は、冒頭から絡らみ合っていたほうが望ましい。
作品全体の視野が狭いのも一つの難点。会話もひどい。「私の夫の情事のこと」などというのがある。自分の主人を「夫」と人前でいう慣習もないし、「情事」という生硬なことばを会話に使うご婦人もいないはずである。「主人の女関係のこと」とでもおき換えるべきだろう。日記をときどき挟んでいるが、これはしゃれているようでしゃれていない。地の文章でやってみることである。
作品の根底には、心理学、殊にインフェリオリティ・コムプレックスが流れているのだが、吉村の死を境にして、田島の絵が見違えるような突然異変を見せることは、なんといっても無理である。
以上三編に通じていえることは、描写の拙劣さもさることながら、用字がでたらめすぎるということである。
作品をひろく世に問うからには、字引を座右におくぐらいのことは、一種の責任と心得てほしい。
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候補作
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- 『すれ違った死』 五十嵐静子(夏樹静子)
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- 『北大東島』 宇治千介
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