1959年 第5回 江戸川乱歩賞
1959年 第5回 江戸川乱歩賞
受賞作
きけんなかんけい
危険な関係
受賞者:新章文子(しんしょうふみこ)
受賞の言葉
受賞の感
文学不毛の地といわれる京都に生れたせいか、生来の怠惰な性がわざわいしているせいか、私は家庭にこもって七年、何か書きたいと思い続けながら、何一つまとまったものが書けずに居りました。と言って、主婦としての応対もろくすっぽ出来ず、和洋裁、料理、活花一切駄目な上、子供も産めず、何の取得もないままに老いてしまうのかと思うと空恐ろしく、私は私にムチ打ち、私をためすために『危険な関係』を書きました。子供のものは書いたことがあるとはいえ、五百枚近いものははじめてですし、しかも、はじめての推理小説なんですから、考えてみれば無謀すぎたようでした。ただもう二ヵ月間、がむしゃらに書きつづけました。読み返せば欠点が多く、とても入選するなどとは思えませんでした。二つ折りにした原稿用紙を積み重ねますと、意外に分厚くなり、不器用な私の手におえないものですから、深夜まで主人がつき合ってくれ、三冊に分けて、きれいにとじてくれました。翌朝一番に書留速達にして出し終えた時の気持を忘れることは出来ません。
発表は十月号誌上との事なので、まだ先のことかと思って居りましたところ、忘れもしません、八月三日の夜でした。主人が「京都新聞の方だよ」と言うものですから、今時分どうして新聞の販売所の人が来るのだろうと、不審に思いながら応対に出ました。私の家には、それまで新聞記者なんて見えたことがありませんし、販売人だと思ったのも無理はなかったのです。ところが妙な具合なのです。そして、『江戸川乱歩賞』という一言を耳にした時、私はあッと思い、何だかフワーッと脳ミソが天に昇ってゆくような感じでした。その時はまだ未定だったそうですが、それから一時間ほどして、再び京都新聞の方が見え、受賞決定の報告をして下さいました。翌朝六時を打つまで私は眠れずに居りました。受賞の喜びもさることながら、この喜びが、このしあわせが何時まで続くのだろうという不安の方が、大きいようでした。今後はもっと社会的な視野を広げ、貪欲になってあらゆるものを吸収し、精一杯努力をつゞけてまいりたいと思って居ります。
近日中に、授賞式が行われますが、私の生涯の最も栄光ある日となることと思います。余りにも恵まれすぎた私でございます。それだけに今後がおそろしいのです。どうか、長い目で御指導御鞭撻下さいますようおねがいいたします。
(「日本探偵作家クラブ会報」一九五九年十二月号)
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
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江戸川乱歩賞は昭和三十年度から毎年一回授賞されている。第一回は中島河太郎氏の「探偵小説辞典」(『宝石』連載)に、第二回は早川書房の早川ポケット・ミステリ叢書の出版に対して授賞したが、第三回からは講談社と提携して、広く長篇探偵小説を募集し、われわれが選考委員となって入賞作一篇を選び、これに授賞すると同時に、その作を講談社より出版することとした。その第三回には仁木悦子さんの「猫は知っていた」、第四回には多岐川恭氏の「濡れた心」が入賞し、それぞれ単行本として出版され、ベストセラーとなったのである。
本年五月末に締切った第五回江戸川賞応募作品は百十三篇にのぼったが、厳正なる予選の結果、最後まで残ったのは下の四篇であった。
新章文子「危険な関係」
笹沢佐保「招かざる客」
松尾糸子「罠をさがせ」
大雅寛生「当選させたのは誰だ」
この四篇の最終選考の時期には、五名の委員のうち木々高太郎委員は外遊中、荒正人委員は病気入院中であったため、やむなく江戸川乱歩、大下宇陀児、長沼弘毅三委員が選考に当ったが、三委員は選考の席に着くやいなや口を揃えて新章文子さんの「危険な関係」を第一席に推した。他の場合のように異論があり、投票によって入賞作を定める手続きを要しなかったのである。
「危険な関係」は内容、文章ともに最もすぐれていた。ユーモアのある作風、京都を舞台に巧みな京都弁を駆使した妙味に加うるに、登場人物の過半はハードボイルドふうの非情の性格であり、ことに「めぐみ」という美しい現代娘が生々と描かれている。そこに起る奇怪な犯罪と、意外な結末。近年世界的に流行している、論理にかたよらず小説としての面白さに力を注いだ本格推理小説に属するものである。
新章さんは京都在住の文筆家の若い夫人で、童話の作が多く、著書もある。この点第三回受賞者仁木悦子さんに似ているが、童話で鍛えた女性の文章は推理小説に適合するのであろうか。欧米に比べて、日本には女性推理作家が少いと嘆かれていたのに、江戸川賞三回の入選者のうち、二人まで女性であったのは、まことに心強いことである。
従来江戸川賞の授賞式はその作品の出版以前に行われてしたが、それでは来会者が作品を読んでいないという不都合があるので、今年は本書出版後一、二句のうちに、出版記念会をも兼ねて、授賞式を行うこととした。
来年度もますます優秀な作品が集まることを期待しつつ、この報告を終る。
昭和三十四年十月閉じる
選評
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有望な女性作家
予選に残った四篇のうちでは、新章さんの「危険な関係」が他を抜いてすぐれていた。トリックの創意とか論理的興味とかいう部面では、さしたることもないが、小説としてこれが一番すぐれていたのである。文章はうまいし、登場人物がよく書けているし、京都弁の会話にも魅力があった。
登場人物の過半数は戦後派的なタフで非情の性格なのだが、その中でも「めぐみ」という美人のおてんば娘が実に生き生きと描かれている。
こう書くとハードボイルド小説のように感じられるかもしれないが、そして、たしかにそういう一面もあるにはあるのだが、全体としてはやはり推理小説で、トリックもあり、犯人の意外性も用意されている。しかし、この作品の長所は、そういう推理の部面よりも、巧みな人物描写や、ユーモアや、文章のうまさにある。
近年の推理小説の傾向は、西洋でも日本でも、トリックの創意などよりも、小説としての面白さに重点が置かれるようになり、そういう作品のすぐれたものが続出しているが、新章さんの作風も、やはりこの新傾向と一致するところがあり、この点でも、その作は新鮮なのである。
入選発表の新聞記事などで、新章さんは童話作家であったことがわかったが、そこが第三回受賞の仁木悦子さんと似ている。この二人の文体はちがっているけれども、童話できたえた女性の文章というものは、推理小説に適合するのであろうか。
選考に当った三人の委員は、選考にはいるやいなや、口をそろえて、この作を第一席に推した。他の懸賞の選考の例では、いつの場合も異論が出て、結局、投票をして、その最高点を採ることになるのだが、今度だけは珍らしく全く異論がなかったのである。
これは江戸川賞を書下し長篇に贈呈するようになってから三人目の入選である。その三人のうち二人まで女性だったこと、また、今度最後まで残った四篇のうちに、新章さんと松尾糸子さんと二人も女性がはいっていたこと、それから、宝石=週刊朝日賞の一席入選者が、やはり芦田澄子さんという女性であったことなど、女性作家の進出めざましいものがある。英米にくらべて、女性推理作家がほとんど見られなかった日本にも、これから女性時代がくるのではないかと、たいへん頼もしいのである。
次点作の笹沢佐保君の「招かざる客」はトリックと論理の純推理小説で、前半は訊問調書の長々しい羅列、後半は担当警部補の手記になっていて、トリックは幾種類も使われ、必ずしも創意がなくはないのだが、こういう作では、やはり不自然も目立つわけで、それをカバーするだけの文章力がないように感じられた。小説手法において見劣りがするのである。
しかし、多少の難はあっても、筋もよく考えてあるし、委員たちの中に、これをおとすのは惜しいという気持があり、いずれ、入選作とは別に、単行本として出版されることになるかもしれない。
松尾糸子さんの「罠をさがせ」は、仁木悦子さんに似た平易な文章、素直な観察、小道具遣いも下手でなく、家庭生活がよく書けている。作者は料理が得意とみえて、料理のことが余りたびたび出すぎるので、これはかえって欠点になっているが。プロットも一通りだし、サスペンスにも富んでいる。しかし、惜しいことに、誤字が多く、仮名遣いの間違いが多く、句読点のうち方がめちゃくちゃだ。その無神経が目ざわりになって、これだけでもう落第なのである。もし再度応募されるような場合には、漢字と、仮名遣いと、句読点を正しくする練習をしてからにしていただきたい。
大雅寛生君の「当選させたのは誰だ」は、筋は相当考えてあるし、知事選挙の腐敗を描いたところに社会性もあるのだが、この書き方では小説とはいえない。たいへん雄弁で饒舌な文章だけれども、雑駁なお喋りであって、文学化が行われていない。この作が見劣りしたのは、結局、発想法と文章に大きな難があったからである。
(「宝石」一九五九年十一月号)閉じる
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選後評
毎年、夏になると、乱歩賞の選考がはじまる。そのたび毎に、ぼくはびくびくする。くだらぬ作品を汗水たらして読まされるという先入観があるからだ。
が、今年は、かなり肩の荷が軽かった。読みごたえのある作品が、三篇揃ったおかげである。
「当選させたのは誰だ」(大雅寛生)――終りまで読み通した委員は、ひとりもいなかったようだ。
文章がまずいとか、文字が正確でないとかいうより、もっと手前に、根本的なものがある。それは作者のまじめさということだ。大道で面白ろおかしく風船でも売っているといった、ふざけたところがある。どうして予選を通ったのか疑問である。
「罠をさがせ」(松尾糸子) ――なかなか、かんがえたプロットである。が、一言にしていうと、どこか線が弱いし、物語の濃淡にバランスが欠けている。「罠」というが、その必然性を読者に、とっくり納得させる力がない。いかにも、持ってまわったという感じである。作者は料理に興味を持っているようだが、刑事の家庭の親子のやりとりや料理のはなしなど、もっとすっきり整理した方がよい。うるさくて、つまらない。しかし、この作者は勉強次第で、まだのびる素質を持っている。
もっと事実だけを、はっきり積みあげた、ドライな筋立てを試みて見たらどうだろう。
「招かざる客」(笹沢佐保)――当選の一歩手前。そう見劣りはしない。上申書、捜査会議の記録等、いろいろと工夫を凝らしているのは敢闘賞。うるさいという委員もいたが、ぼくは点を入れる方にまわる。せいぜいご勉強を願いたい。この調子で今一歩進歩すれば、明年は当選間違いなし。欠点を二、三いっておくと、――
一 煙突の上での殺人という冒頭の設定には、どうしても無理がある。
二 仮装妊娠というしゃれたテクニックに酔ったあげく、あちこちで、ボロを出してい
る。(例えば、医師の証明)
三 組合内部の事情を、もう少し突っ込んでおかないと、社会的な面白味を打ち出せない。
四 犯行の動機についての説明を、もう少していねいにした方がよいようだ。
五「招かざる客」とは、どういう意味か。「招かれざる客」ではないのか。
「危険な関係」(新章文子)――文章がほかの作品よりそつなくつづられている点、京都の雰囲気が出ている点、人間がそれぞれかなり描かれている点などが、決定打になった。気になる点、つぎの通り。
一 本名でやたらに手紙を出したがる女性は、少々痴呆的である。うっかりすると足をすくわれる。
ニ ネクタイでの首つり、それにネクタイピンの工夫は、ちょっと首をかしげるひとがあるかも知れない。
三 遺言と法律関係――従来の内妻の籍を入れて一生縛りつけるなどいうことは、法律的に納得行かないし、遺産についての内妻の発言を一切封じる手段としての遺言の法律的効果についても、もう少しはっきりさせる必要がある。
四 バアのマダムが自動車事故を捜査する手法は幼稚過ぎるきらいがある。
五 志津子の犯行動機は、どこかで十分説明した方がよい。よほどかんがえないとわからない。委員一同同説。
(「宝石」一九五九年十一月号)閉じる
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私の感想
長篇探偵小説の選をするということは、まことにシンの疲れることだ、とつくづく思った。
予選を通過してきた四篇のうちには、ひどく文章がまずく、誤字が多く、句読点のうち方なども、支離滅裂といった感じのものもある。
これが他の種類の小説だったら、そういう欠点のあるものは、冒頭の七八百字を読んだだけで、没にしてしまってさしつかえない。ところが探偵小説では、文章がある程度へたくそでも、構成の上で優れていたら、必らずしも没にしなくてもよい場合が出る。だから実は読むに堪えないほどの悪文でも、せっかく予選を通過してきたものとなると、何かよいところがあるのだろうという期待をもち、ともかく最後までがまんして読むのである。
そのがまんは並たいていのものではない。そうして今度もそのがまんをしぬいただけに、乱歩賞に価する作品が発見された時は、やれやれよかったと思ったのである。
まず私は、二篇を選んだ。
甲(危険な関係)乙(招かざる客)である。
そして甲乙二篇を較べてみて、結局甲の方がよいと断定したのであった。
探偵小説的構成では、乙の方が、優れている、といえないでもない。トリックの創意は相当のものである。トリックというものを、私はあまり尊敬しない性分だが、そういう私をすら、感心させるほどのトリックを作者は組立てたのであった。だからこの作品は、推敲し、悪い部分を書き改めたら、十分読むに堪える探偵小説になるのであろう。甲の方にも悪い部分がかなりある。しかし、悪い程度があまり明瞭すぎて、やはり選ぶとなると、乙は次位ということになったのであった。
甲は、文章では、乙より数段上だといってよい。
京言葉が面白く、めぐみという女の子がある程度書かれている点で、私はそう飽きもせず、読み通すことができた。
結局、小説的よさに於て優れていたということになる。
よくない長を、私は指摘しておいた。
それは、改変されることであろうし、作者を傷つけぬためには、ここで言わない方がよいのであろう。
しかし、直せたら直してもらいたいと思い、考えてみると、どうやらそこまでは直せそうもないから、わざと口に出さずにおいた欠点を一つだけいうと、それは犯人についての叙述法についてである。
犯人を、主観的に描写した部分がかなり出てくる。
だったら、犯行についてだけ客観的描写になるということは、作品のフェアプレイとは言い難いのではないか。
ひとりこの作品のみには限らず、探偵小説には、しばしばそういうのがあるようだが、すべてそれはアンフェアであり、その作品の欠点となるものだ。だから、犯人に関しては叙述を、はじめから十分に考癒しなければならない。作中人物の誰と誰とを主観的に描写するか、それをきめてからかからないと、時にはその全体の構成が、支離滅裂なものになるのである。
犯人だけを、客観的に叙述し、他を主観的に書いたら、読者はすぐ犯人が誰だと感づくだろう。探偵小説を書くということは、オーソドックスな手法によるならば、その注意も肝要だということを、新人のために、特にこの批評へのつけたりとして、私は言っておきたいのである。閉じる
選考委員
候補作
- [ 候補 ]第5回 江戸川乱歩賞
- 『招かざる客』 笹沢佐保(笹沢左保) (『招かれざる客』として刊行)
- [ 候補 ]第5回 江戸川乱歩賞
- 『罠をさがせ』 松尾糸子
- [ 候補 ]第5回 江戸川乱歩賞
- 『当選させたのは誰だ』 大雅寛生