1966年 第12回 江戸川乱歩賞
受賞の言葉
四度目の授賞式
旧「宝石」で中篇賞を受賞した年、私は初めて江戸川乱歩賞の授賞式に列席した。このときは押しかけ女房のように、未だ推理作家協会に入会していなかったにも拘らず、式の当日、受付に申し出たのである。それは、既に推理作家としてスタートしようと決心した私の姿勢であるばかりでなく、最終選考で争った藤村正太さんに会いたかったせいもある。とにかく、私は中篇賞をもらった以上、そのまま、宝石誌上に執筆して行く気で、翌年の乱歩賞をやるつもりはなかった。
しかし、第十回乱歩賞が西東登さんに決まり、二度目にその授賞式に列席したとき、心の支えであった旧「宝石」はなくなっていた。私はやはり、乱歩賞を受けねばならないと思い直した。推理作家の本道を歩いて行こうとするには、なににもかえ難い道標のように思った。
だが、昨年の乱歩賞で、私は西村京太郎さんに先を越された。三度目の授賞式に顔を出した私は、式場の一隅で、一年後を自分に誓っていた。「来年はぼくが飛びきり賑やかな受賞式にするのだ」それは単に、私だけのためではなかった。何よりも、日本の推理小説のために、乱歩賞授賞式は盛大でなくてはならぬ。私は決心した。
そして、さる九月十日の授賞式に、私は主賓として、四度目の列席の機会をえた。関係の皆さんの努力で、乱歩を偲ぶ会と同日に開かれた式は、非常な盛大裡に終始した。仲間達も、役所の上司も、さまざまのメンバーが華やかな雰囲気を作ってくれた。
日本将棋連盟の原田会長が、私に二段の免状を贈ってくれて、錦上花を添えてくれたことも忘れられない。
過去十一回のすべての乱歩賞作家も、一同に会すことができた。私は幸福であった。私が受賞したと言う喜び以上の嬉しさが、私を押し包んだ。こんなにも和気あいあいとした、しかも厳粛な授賞式を私は知らない。
「殺人の棋譜」において、専門棋士の厳しさを書いた私は、今度、自分自身が、専門作家の厳しさを、いやと言うほど味わう羽目になるだろう。覚悟はしている。しかし、その覚悟が、さほど悲壯でないのは、やはり、私を取り囲む周囲の方々の人間的な暖かさを感じるからである。
甘えてはなるまい。私は甘えないだろう。けれども、受賞のときの感激が、私をいつまでも、前へ押し進めるだろう。私は、自分の受賞作の主人公のように、今、じっと、この世界に足を踏み入れた喜びを噛みしめている。
- 作家略歴
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1933~
東京生れ。東京大学法学部卒業後横浜市役所に勤務。公務員生活の傍ら、ミステリーの創作活動を始め、一九六三年「機密」で宝石中篇賞、六六年「殺人の棋譜」で江戸川乱歩賞受賞後、七二年作家活動に専念。「奥の細道殺人事件」「水の魔法陣」など。「魔法陣シリーズ」「日美子&二階堂警視シリーズ」「江戸川探偵長シリーズ」など著作は三五〇冊を超える。趣味、将棋六段。
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
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今年度の江戸川乱歩賞は、二月末日の締切までに、百十八編の応募があった。
これを阿部主計、大内茂男、黒部竜二、氷川瓏、石川喬司(新に選任)の五予選委員の手で第一次予選を行い、三十一篇の予選通過作品を選び、さらに五月十四日第二次予選委員会を開いた結果、左の五篇を候補作品に決定した。
斎藤栄 「王将に児あり」
内川正 「不毛の愛」
大谷一夫 「四つのギター」
松尾糸子 「雪の扇」
石沢英太郎「接点」
以上の五篇を選考委員が回読し、七月一日午後五時より赤坂“清水”において荒正人、大下宇陀児、木々高太郎、中島河太郎、長沼弘毅、松本清張(新に参加)氏等、六選考委員により選考を行なった結果、斎藤栄氏の「王将に児あり」に授賞が決定したものである。
なお授賞作は講談社より刊行に際して、「殺人の棋譜」と改題された。閉じる
選評
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探偵小説として新鮮
私の手許に廻ってきたのは、五篇であった。全体の印象をいえば、題材も作風も、平凡な感じがした。
「不毛の愛」(内田正)は、文章の点で、どうかと思う。これまでの入選者のなかにも、ひどい文章があったから、この作者も将来に望みを托してもよい。これは木々高太郎の意見であった。だが、文章がひどいといっても、程度問題である。他の候補作品も、文章だけ取りだせば、少し厄介なことになろう。
「雪の扇」(松尾糸子)は、女性らしい、こまやかな感覚がいかされていた。だが、探偵小説には不向きではないかと思う。もっと別の分野で、自分の個性にあう仕事をしたほうがよい。
「接点」(石沢英太郎)も、よく調べて書いているのはよいが、探偵小説としてはもう少し魅力がほしい。
「四つのギター」(大谷一夫)も文章は落第に近いが、ギターを徹底的に利用している点に感心した。これは、二、三回書きなおせば、ものになるかも知れぬ。この作者は勉強すれば、かならず一人前になれると思う。
私は、斎藤栄の「殺人の棋譜」を初めから推薦したが、他の委員たちもほぼおなじであった。将棋の世界を扱った点も、探偵小説としては新鮮な感じがした。文章も及第であった。欲をいえば、一段と個性的な書き方が望ましい。この作者が、三度めに応募して入選したことにも好感を抱いている。
(「日本推理作家協会会報」一九六六年九月号)閉じる
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二重のサスペンス
五篇の候補作品を通じて、作中人物の行動、心理の動き、犯罪動機などにそれぞれ矛盾があるのは、いつものことながら、残念である。推理小説と銘打ちながら、論理に背いたのでは、そのこと自体矛盾である。
その中で「四つのギター」が、わりに矛盾を目立たせないが、また構成上いかにも純本格的で、作者の並々ならぬ努力を感じさせるが、いかんせん文章の方が甚だしく古い。表現が大げさで美文調で咏嘆的で、その上に肝心のトリックが、読者の理解を拒否しているのだから、結局は落とすよりほかなかったわけだ。
それに較べると「王将に児あり」は、矛盾は目立ちながらも、文章もはるかによく、最後までおもしろく読ませる力を持っているところに、五人委員のうち四人までが、この作品を推した理由があったのだろう。
幼児誘拐事件を扱ったが、その犯人への追究に絡ませて将棋の勝負を持ってきたことは、二重のサスペンスとなって、興味をそそるものがあり、これは作者のお手柄である。加えて、作中人物間の情愛描写、棋士の風格描写などに筆力相当なものが認められ、従ってまだあと書ける人だという感じを持たせる。もし幸にして、矛盾している部分が訂正されるならば、いままでの乱歩賞作品のうちでも、特に傑出したものになるのではないか、と私はひそかに思っている次第である。
(「日本推理作家協会会報」一九六六年九月号)閉じる
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乱歩賞の功績
乱歩没後の第一回選考会である。一同が今まで乱歩賞を回顧して、受賞者達が活躍していることを認め、乱歩賞のためにまず慶賀した。
但し僕からみると、今回の候補作品すべて不満だった。今までは不満ながらも、これが第一位という作品があった。然し今回は、僕は内田正「不毛の愛」と斎藤栄「王将に児あり」の二つをとったが、いずれも困ったところがあった。前者には、犯人を推定しながら故意に見のがしているのがいけない。恋愛のために犯人を見のがすのはヴェントレイの「トレント最後の事件」なのだが、見のがそうとして良心に悩み、遂に別の方向から犯人に到達するのであって、真に見のがしてしまったのではない。
後者には尚よくないことがあった。それは犯人そのもので、またその殺人の動機である。人は愛情から人を殺すことはない。憎しみからである。この大原則を外すなら狂人を持ってくる外はない。いかに推理小説でも、それは叶わない。
さて、選考のうちに、やはり斎藤栄がよいということになり、僕も渋々承知したが、承知しないと授賞作なしとなることを思い、思い切って題名を再考すること、犯人の必然性を再考することを条件として賛成した。再考の上、もっとよい作品になることは期待出来る。
あと三つのうちでは、松尾糸子「雪の扇」に好ましい場面がいくつかあったが、この小説はしまりのない小説であった。
(「日本推理作家協会会報」一九六六年九月号)閉じる
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「殺人の棋譜」を推す
候補作のたいていが、長所もある代りに欠陥も目立って、もっとも難のすくない斎藤栄氏の「殺人の棋譜」を推した。
親子や夫妻の愛情や友情など、情愛がたっぷりで甘すぎる嫌いがないでもないが、将棋優勝戦と誘拐事件の捜査の並行するストーリーを展開させ、サスペンスを盛りあげる手腕は群を抜いていた。それは誘拐犯人の殺害の謎まで加わって、盛りだくさんの趣向は読者をひきつけるのに充分であろう。
大谷氏の「四つのギター」は、連続殺人を扱った力作だが、純本格にとらわれて窮屈になり、松尾氏の「雪の扇」は、無理に犯罪を仕立てた感があって折角の情緒を殺し、それぞれ中庸を得ていなかった。
内田氏の「不毛の愛」は、人間観察が一面的で、意外性を狙いすぎており、石沢氏の「接点」の着想がもっともすぐれていたが、解明で腰くだけに終ったのは遺憾である。
斎藤氏は去年の西村京太郎氏と同じく、なんべんかこの賞の候補となって、遂に栄冠を得られた。すでに宝石中篇賞を得られた方でもあるし、今後の御健筆を期待したい。
(「日本推理作家協会会報」一九六六年九月号)閉じる
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労苦ここに実る
内田正「不毛の愛」――なかなか考えたが全体の構成上に大難点がある。恭子という謎の人物の秘密をもっと早く読者の眼にさらさなかったことは、アンフェア。意味ありげに立ちまわる康子が雲散霧消するのは不可解、一度ある程度の役割をさせたなら、どこかで理由ずけなければいけない。変なことばや文字(例、「接着感」「愁える」「■田(へん)火(つくり)」など)、これは推理小説以前の問題、失格。
大谷一夫「四つのギター」――力作である。ただ注意して貰いたいことは、(一)木村が犯人であることが早く割れすぎる。(二)「機械学的な工夫は、複雑な青写真の助けを借りなくとも、かんたんにわかるようなものでなければならない」(スコットのことば)、ギター知識のペダントリーが長すぎて、読者の興味を減殺している。(三)世の中には楽譜の読めない読者がたくさんいることに留意のこと。(四)構成上のアンバランス。――告白の部分が長すぎる。――プロットを変えて再登場される日を待つ。
松尾糸子「雪の扇」――(一)誤字が多し。(二)なんとなく散漫、締りなし。(三)ばらばら事件のつぎ合せの感あり。(四)サスペンスの配分に誤算あり。(五)公子の気持をもう少し解明なさい。失格、努力作。
石沢英太郎「接点」――(一)よく調べて書いてある。(二)机辺に辞書をおかないこと歴然。いけません。(三)話のすすめ方に贅肉がつきすぎている。やはり失格。
斎藤栄「王将に児あり」(改題「殺人の棋譜」)――蛍雪の労苦、ここに実る。大賀。ただし注文はありますが。――
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群を抜く力倆
最終選考に残った五篇は、いずれも一応の水準に達していたが、文章の確かさ、題材の新鮮さ、それに最後まで読者をひっぱって行く力倆では、「殺人の棋譜」が群を抜いていた。棋士を主人公に、タイトル戦と幼児誘拐をからませた筋立ては斬新であり、身代金の受渡しに飛行機とVHF通信を使ったことと、「荷一五三六四」という謎の数字を解明して行く個所とはよく出来ている。
難をいえば、読物としての面白さを狙う余り、結末を余りにも劇的にし過ぎていることと、犯人の動機及びその立場が、首肯出来ないこと等がある。
「接点」の、飛行機の中から人間が一人消えてしまうという書出しは秀抜であり、薬品業界とか、警察官の捜査過程など、よく調べて書いてあるが、交換殺人の方法と、最後の解明はいただけない。全体に散漫である。
「四つのギター」は力作である。
「不毛の愛」「雪の扇」は前記三作に較べて落ちる。
「殺人の棋譜」の作者斎藤栄氏は、三度目の応募だということであるが、今回の作品で見る限り、ストーリー・テラーとしての力倆を備えていると見る。
推理小説の醍醐味は、謎解きにあるのはいうまでもないが、今後は、社会機構或は人間心理をより深く極めた新しい本格推理小説が生れて来るべきだと思う。
斎藤氏はそれが出来る人である。今後の精進を望む。
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選考委員
予選委員
候補作
- [ 候補 ]第12回 江戸川乱歩賞
- 『不毛の愛』 内田正
- [ 候補 ]第12回 江戸川乱歩賞
- 『四つのギター』 大谷一夫(大谷羊太郎)
- [ 候補 ]第12回 江戸川乱歩賞
- 『雪の扇』 松尾糸子
- [ 候補 ]第12回 江戸川乱歩賞
- 『接点』 石沢英太郎