1973年 第19回 江戸川乱歩賞
受賞の言葉
受賞の言葉
こら、えらいこっちゃ、と思った。
えらいこっちゃという大阪弁は調法だ。
「えらいこっちゃ、宝クジ千万円当たりよった」「えらいこっちゃ、嫁ハンに逃げられてしもた」「えらいこっちゃ、吉永小百合が嫁に行くのやてェ」「アツ・アツ、えらいぞ、えらいぞ(新版歌祭文)」とひと、喜怒哀楽、いかようにも。
そばで妻が「ほんまに、えらいこっちゃ」と応じた。長年つれ添うと“解説不用”であるのが有難い。
- 作家略歴
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1921~1994
神戸生れ。大阪外国語学校卒。
毎日新聞社に入社し、終戦直後に短編を発表、少年物の「百万塔の秘密」を刊行する。一九七三年、「アルキメデスは手を汚さない」で江戸川乱歩賞を受賞。つづいて「ピタゴラス豆畑に死す」「ソクラテス最期の弁明」「パスカルの鼻は長かった」「ディオゲネスは午前三時に笑う」などの青春推理を発表。「ソロンの鬼っ子」では政治の世界を背景にした。
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
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本年度の江戸川乱歩賞は、二月末日の締切までに応募作品総数一二四篇に達した。予選委員会は、去る五月十四日、石川喬司、大内茂男、斎藤栄、西村京太郎、藤村正太氏ら五予選委員が出席して開催。第二次予選で十篇を選び、さらに左の五篇を候補作品として選出した。
「禿鷹城(ガイエルスブルク)」の惨劇 高柳芳夫
いきものの挽歌 金井貴一
蒼白の盛装 笠原 卓
アルキメデスは手を汚さない 小峰 元
ゆらぐ海溝 山村美紗
この五篇を本選考委員に回読を乞い、去る六月三十日午後三時より赤坂“清水”において、島田一男、多岐川恭、角田喜久雄、中島河太郎、南条範夫氏ら五選考委員出席(松本清張委員は書面参加)のもとに慎重なる審議の結果、小峰元氏の「アルキメデスは手を汚さない」が第十九回江戸川乱歩賞に決定した。閉じる
選評
- 島田一男[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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選後感
今回も告発小説、またはこれに類するものが候補作五篇中四篇を占めていた。告発小説がいけないとは云わないが、事件の背景は告発ものでゆけと云う安易な考え方には、ついてゆけない。それも、よくこなされておればともかく、生のままぶっつけられては読むのに苦痛を感じる。説得性のない告発は無意味である。
次ぎに、思いつきのトリックに作者自身陶酔した作品が多かった。推理小説といえど、いや、推理小説の多くが人間最大の悲劇である殺人をテーマーにしているだけに、人間的なもの、心理的なものが追及されねばならない。トリックあり小説生るではなく、小説の中にトリックが生かされるべきである。いわんや可能性の薄い機械的トリックや、偶然の積み重ねは頂けない。
もう一つ強く感じたことは、作者の殆んどが警察を知らな過ぎる点である。部長刑事クラスが他府県へ転勤したり、刑事が無許可で他府県へ出かけたり、捜査本部長が警部補だったり、鑑識課刑事がいたり・・・。無茶苦茶である。そんなことくらい・・・では通らない。推理小説を書くからには、初歩的な警察機構くらいは知っていてほしい。
その他、いろいろの点から、暗い過去を持つ女性一人に焦点をしぼった山村氏の「ゆらぐ海溝」を一位、小峰氏の「アルキメデスは手を汚さない」を二位に推したが、この優劣は極めて微であると考えている。閉じる
- 多岐川恭[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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小説であること
こんどの選考で感じたのは、小説としてまずいのが多いということである。小説の文章というものがあるので、その修練をしてもらいたいと思った。そういう書き方は、天賦の場合もあるが、多くは書き慣れることによってモノになる。例えば「禿鷹城の惨劇」は、ふつうの文章としては悪くないが、小説的な陰影に欠ける。酷評すればノッペラボーであって、それでは人物が浮き出してこない。これは他の作品も同様である。その点、受賞作は小説になっていた。
細かなミスについて、挙げればキリがない。文章だけについて、そうである。
私は「蒼白の盛装」を選んだが、他の委員諸氏の同意を得られなかった。よく考えられたアリバイ・トリックと、情報社会の内幕がしっかりと書きこまれているのを買ったものだが、これも、平板なのが欠点であった。いま少し、読者をつかむだけの技巧があれば、すぐれた作品になったはずである。現在の形では、面白味がないと言われても止むを得まい。
「いきものの挽歌」は大急ぎで書いたのかどうか、整理ができずに投げ出された感じである。他の四篇はみな、五十歩百歩に思えた。ただ、昨年とくらべてみても、レベル・アップは認めてよいと感じた。閉じる
- 角田喜久雄[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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選評
候補作品のレベルが、平均して年々向上してゆくのは心強いかぎりだが、特に今年の作品は粒がそろっていた。しかし、粒はそろっていたが、ずば抜けたというものもなかったため、選考は難渋を極めた。採点の結果、「アルキメデスは手を汚さない」(小峰元氏)「禿鷹城の惨劇」(高柳芳夫氏)「ゆらぐ海溝」(山村美紗氏)が同点となってしまい、更に論議と採点を繰返して、結局僅少差で「アルキメデスは手を汚さない」に決定したが、他の二作品も何かの機会に出版されることを願っている。
受賞作は推理小説的骨格がやや脆弱だという指摘もあったが、現代の反抗的な少年群の生態がかなり面白く描けているし、小説としての出来映えも一番勝れていた。
「禿鷹城の惨劇」は密室ものに真正面から取組んだ力作である。密室のトリックが余りにも複雑にすぎ、かえって意外性や読者を納得させる力を弱くしている欠点はあるが、最も将来性に富んだ有望な人だと思っている。
「ゆらぐ海溝」の作者山村さんは、すでに三回乱歩賞の最終選考に残っているし、しかも、一作毎に進歩のあとを見せているのは立派だ。次作に大いに期待したい。
「蒼白の盛装」はトリックの点では一番無難で良かったが、文章が冗漫で起伏を乏しくし、盛上りをかいていた。閉じる
- 中島河太郎[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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強打に恵まれず
遺憾なことには、今年は抜きん出た作品がなかった。そのため各委員の一位に推した作品が、これほどばらばらになったことも珍らしい。
委員の中には、水準が高くなったからという人もあったが、どの作品も弱点を抱えていたので、容易に一致せず、こんなに票が割れたのだろうと思う。
高柳芳夫氏の「禿鷹城の惨劇」は、外地を舞台にして得をしているのに、機械的密室の粗雑な方法と、結末の不用意が、致命的な欠陥となっている。
笠原卓氏の「蒼白の盛装」は、トリックが丹念に考えられていて好感がもてたが、ストーリーが平板で魅力に乏しかった。
小峰元氏の「アルキメデスは手を汚さない」は、高校生の心理・行動がいきいきと描かれていた。謎は小粒だが、もっとも抵抗なく読めた。
山村美紗氏の「ゆらぐ海溝」は、初歩的なミスが目立ち、偶然に頼りすぎて、せっかっくの無難なストーリーをぶちこわしている。
なかなか意見の一致を見なかったが、ようやく高柳氏と小峰氏に絞られることになった。委員の中には、本格的な構成の作品が乱歩の趣旨に叶うように述べた人があるが、私はそう思わない。ミステリーの領域の中でさえあれば、本格物にこだわる必要はないのだから、その意味では薄味だが、小峰氏の授賞に異存はなかった。閉じる
- 南条範夫[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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選評
全体として前回よりは良いものが集ったように思う。ただどの作品も締切に追われた為か、小さなケヤレス・ミステイクが非常に多いのが気になったし、文章が感心できないものが多かった。私は「アルキメデス――」「ゆらぐ海溝」「禿鷹城――」「蒼白の盛装」「いきものの挽歌」の順で点をつけて選考会に臨んだが、異論続出して激論二時間半に及んだ。こんなことは珍しい。
「アルキメデスは手を汚さない」は文章も平明で活き活きしており、弁当のせり売りその他高校生の生態がよく描かれていて面白い。小説としては他を圧しているが、推理的骨格が弱いのが難点だ。推理ばかりでなく、普通の小説も書いた方が良い人だと思う。
「ゆらぐ海溝」は一気に読ませる面白さを持っているし、トリックも豊富だが、パスポートに関するものを始め、余りに偶然性に頼り過ぎている。海底油田と云う面白い材料をもっと生かした方が良かっただろう。
「禿鷹城の惨劇」の二重密室のトリックは現実性に乏しく感心できないし、最後のドンデン返しが全部独白的推理に終っているのは拙い。最後の部分で大きく減点したが、よりよい本格物を書ける筆力は充分ある人だ。
「蒼白の盛装」と云う題は何を意味するのか。電話のトリックなどはかなり巧妙だが、内容も混乱し過ぎている。
「いきものの挽歌」はあまり深い印象が残っていないが、犯人の後姿の白髪を強調し過ぎて、始めから底を割っているように思う。閉じる
- 松本清張選考経過を見る
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選評
「禿鷹城――」は、いわゆる本格もので、舞台もウィーンとデュッセンドルフにまたがり、背景に日本商社の競争と商社内の派閥争いがある。日本大使館に代議士「先生」が丁重に招かれるというのも現実的だし、斎賀書記官の才子ぶりもよく出ている。この外交官の推理を半分まで肯定して、終半をくつがえす地味な商社員の解決も面白い。人物の出し入れも適切。――しかし、文章が古いというよりも手アカのついた言葉を無神経に使っているのはよくない。外国の情景も雰囲気も出てない。こういうのは一脈の詩情が流れるのがほしい。密室の機械的トリックはよほど新しい工夫がないと書くべきではない。
「アルキメデス――」は、高校生の生活がよく出ている。生徒の「弁当のセリ売り」などは実際にあるらしいが、これを使ったのは面白い。アルキメデスの芝居が最後に利いている。本格ものの味は濃くないが楽しめる、密室を「襖」にしたのも日本家屋的である。が、これも文章にもう少し工夫がほしかった。
「ゆらぐ海溝」は興味的な発端で、導入部として十分。死体を密室内の考えられぬ位置に置くトリックは先人にない。これも文章に一段の洗練さを望む。しかし三人のなかでは、常にトリックの独創性を発表している点で、この女流作家がいちばん伸びるように思う。閉じる