1972年 第18回 江戸川乱歩賞
受賞の言葉
受賞の言葉
今回の作品は力いっぱい書きあげたつもりですが、いろいろと不満も残り、自らの実力の不足を痛感する次第です。はからずも今回受賞の光栄に浴し、今後いっそうの研鑚を重ねる機会が与えられたことは喜びにたえません。やはり私は本格推理小説に大きな魅力を感じているので、本格ものを中心に書きつづけてゆきたいと思います。
- 作家略歴
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~2018.10.10
大阪生まれ。京大法学部卒。記者生活を経て、司法試験に合格後、弁護士登録。京都で弁護士事務所を開く。その一方で多彩な作家活動に入る。昭和四七年「仮面法廷」で第一八回江戸川乱歩賞を受賞。平成元年には「雨月荘殺人事件」で第四二回日本推理作家協会賞を受賞、法廷ミステリーの第一人者として不動の地位を確立。“赤かぶ検事シリーズ”など多くの作品を発表。趣味の写真の分野でも知られ、その技量はプロ並みで、平成五年刊行の写真集「日本の原風景」は日本図書館協会選定図書となる。
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
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本年度の江戸川乱歩賞は、二月末日の締切までに応募作品総数一三六篇に達した。予選委員会は、去る五月十三日、石川喬司、大内茂男、斎藤栄、西村京太郎、藤村正太氏ら五予選委員が出席して開催。第二次予選で九篇を選び、さらに左の五篇を候補作品として選出した。
ジャン・シーズの冒険 皆川博子
怒りの道 井口泰子
空白の近景 中町 信
死の立体交差 山村美紗
華麗なる影 和久 一
この五篇を本選考委員に回読を乞い、去る六月二十八日午後五時より赤坂清水において、島田一男、多岐川恭、角田喜久雄、中島河太郎、南条範夫氏ら五選考委員出席(松本清張委員は書面参加)慎重なる審議の結果、和久峻三(和久一氏改名)の「仮面法廷」(「華麗なる影」改題)が、第十八回江戸川乱歩賞に決定した。閉じる
選評
- 島田一男[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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探偵小説への期待
今回の候補作品五篇をよんで、いまさらながら推理小説と探偵小説の違いを痛感させられた。わたし自身は、当用漢字の関係で探偵小説を推理小説と呼ぶようになっただけに、質的には変っていないと考えているのだが、応募者達は、そうは考えていないようである。それには、いわゆる清張文学の影響も多分に考えられるのであるが、われわれの云う社会派小説、それだけを推理小説と考えているのではあるまいか。もちろん、社会派小説も結構であるし、告発小説も大歓迎であるが、それは飽く迄も推理小説の一分野であり、推理小説はもっともっと幅の広いものであることを忘れず、次回からの応募者は視野を拡げてもらいたいものである。
今回の五篇も、長々と公害を論じたり、特殊な社会事情をゴテゴテと書いたものが殆んどで、理クツぽく、読んで楽しむ気分になれないものが多かった。乱歩、横溝両大家の旧作が、時代を超えて、いまなお多数の読者を掴んでいるのは、文句なしに面白いからである。つまり、探偵小説に徹しているからであろう。
そういう意味では、五篇中では“ジャン・シーズの冒険”が一番面白く読めた。ただ残念ながらトリックが余りにも犯人に都合よく出来ており、もしやり損ったらどうなるかと云う点まで考慮が払われていなかった。また、五人も殺害するとしては動機が弱い。トリックと動機、これは推理小説には不可能の要素である。
だからと云って、“ジャン・シーズ”と首位を争い、遂に授賞作となった“仮面法廷”が、動機もトリックも優れているとは云えない。むしろ文章などは、前者の方が遥かに達者であるし、枚数も長すぎたし、警察側の動きもはなはだ不自然ではあるが、一応まとまっているので、手を入れて枚数を少なくすると云う条件つきで、わたしはこの作品への授賞に賛成した。この作者が第二の佐賀潜たり得るかどうか、第二作以後に期待する。閉じる
- 多岐川恭[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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感想
「ジャン・シーズの冒険」は、新鮮さでは一番だと思った。特に会話がいい。ただし、会話については、数人で話している場合、だれがどの言葉を発したのか、読み返さないとわからない時があった。くどいようでも、ハッキリさせたほうが、読者に親切だ。
この作品は、機械的トリックに難が多いため、私としては採れないと思った。私自身はこの種のトリックが好きなのだが、やはりむずかしい。将来性のある人だと思う。
「空白の近景」は期待したが、率直に言って失望した。全体に無理が多く、作者はツジツマを合わせることだけに懸命だと思われた。復讐話だが、復讐がヒドすぎるし、ドンデン返しも感心できなかった。この人の作品としては、いい部類に属さない。(当てどころのない憤りに身を振りちぎった)などという文章を書いてはいけない。
「死の立体交差」は一応成功した作品だと思う。すっきりまとまっているのだが、文章がいかにも味気ないと言うか、弱いと言うか、もっとなりふり構わず、突込んで書かなければならない。
「怒りの道」は推理小説としては芸がなく、採れなかった。だが企業悪の告発には熱がこもっており、またヒロインの女性ジャーナリストがよく書けていて、感動的であった。行文は多少キメの粗さが感じられて気になるが、それだけに暢達ではある。
紙数がなくなったが、結局「仮面法廷」が、題材の面白さと、これという破綻のない構成で受賞と決まった。私としてもこれを推すほかはなかった。文章は平明堅実だが、裏を返せば平板だということにもなるから、留意してほしいと思った。閉じる
- 角田喜久雄[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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選評
今年の候補作品五篇は、いずれも一応のまとまりをもっていて一般的にレベルの向上を感じさせたが、半面あっと言わせるほどのずば抜けたものは見られなかった。
仮面法廷(和久峻三氏)――和久氏は以前にも最終選考に残ったことがあったが、その時の作品にくらべると大きな無理や破綻もなく進歩のあとも見られたし、その力量と将来性を買って推薦に同調した。
ジャン・シーズの冒険(皆川博子氏)――主役の若者のグループを簡潔なタッチでいきいきと表現したのはなかなかの才筆だし、特に会話の巧さは抜群であった。引き込まれるような興味を覚えて読んだという点でも図抜けていたが、残念なことに推理小説的部分での欠点が大きすぎた。殺人のトリックも無理過ぎるし、五人も人を殺した犯人が、その正体の露顕する直前まで書きこまれていた人間像と余りにも違いすぎるのも納得出来ない。皆川氏には本格ものよりスリラー、サスペンスもの等の方が向くのではないかという気もするが、いずれにしても極めて将来性豊かな人として大きな期待を寄せたい。
怒りの道(井口泰子氏)――企業悪に対する告発を背景とした力作で、特に復讐者としての少年少女の設定と、その余韻をもたせた結末もよくきいていた。しかし、推理小説的部分が脆弱で欠陥も多かったのは残念だ。それに、目下係争中の事件を告発する姿勢で小説にする場合、事実とフィクションの接点に色々問題が生じるのではないだろうか。
死の立体交差(山村美紗氏)――こぢんまりとまとまった作品だが、全体に肉付がうすく重味がとぼしかった。
空白の近景(中町信氏)――本格ものの構成に勝れた手腕をもつ中町氏にしては、出来のいい作品ではなかった。もっと野心的なものを期待したい。閉じる
- 中島河太郎[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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消去法選抜
今年の候補作は思わず膝を叩くような作品に恵まれなかったにせよ、それぞれの持ち味が出ていた。総じてトリックに拘泥しながら、目新しいものがなかった。結局瑕の大きなものから除いてゆく方法を採ることにした。
皆川氏の「ジャン・シーズの冒険」は、機械的トリックや犯人告発の方法が、いかにも場当りであった。犯人の描写も不充分だが、その代り若い世代の感覚をよくとらえて、印象は溌剌としている。
井口泰子氏の「怒りの道」は、例の森永中毒ミルク事件に取材したものだが、事実によりかかり方が気になった。不正への糾弾、告発の意図は迫力があるが、工夫をこらしすぎたところに、リアリティーとフィクションの異和感があったのは惜しい。
中町信氏の「空白の近景」は、熟さないことばが目ざわりであった。工夫をこらしたところが、かえって足を引っ張る結果になってしまった。
山村美紗氏の「死の立体交差」は着想はいいとして、隅々までの配慮が欲しかった。なによりもストーリーさえ展開すればいいという文章にひっかかった。
和久峻三氏の「仮面法廷」は、地面師の詐欺が発端になっていて、法的な処置の実態に興味を唆られた。調書や訊問があまりに実際に忠実で、冗漫さを覚えるところもあった。地味な事件に別れた夫婦の微妙な心理をからませて成功している。
難点の多いものから消去して、難のすくないこの篇を推した。昨年は授賞作品がなかったが、少壮弁護士にきまったのは心強い。閉じる
- 南条範夫[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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先ず小説に
仮面法廷――作者は弁護士だと云うだけに法律上のからくりや法廷場面は非常に面白く描かれているが、その前段階にあるべき警察の動きが殆ど書かれていない。変装の女が最後まで見抜かれないのはやや不自然。文章がくどく、重複が多いのも難点だが、全体としてまとまっているという各委員の意見に賛成し、佐賀潜第二世のスタートを祝福する。
ジャン・シーズの冒険――才気横溢した文章だし、殊に会話のやりとりに新鮮味がある。小説としての面白さは第一だが、殺人トリックの点でもう少し研究して貰いたい。私としては、前者と並べて当選させたいと思ったが、他の委員諸君の同意を得られなかったのは残念である。捲土重来を待望する。
怒りの道――現実にあった公害問題ととりくんだ意欲も着想もよいし、文章も女性とは思われぬほど力強い。ただ推理的迫力が少し不足だし、最後で正彦少年が替玉だったと云うのは作為が過ぎる。力量のある作者だから、もっとよいものが書けるものと信じている。
死の立体交差――三重の交換殺人は巧みに構成されているが、犯人がかなり早くから見当がついてしまうので興味がそがれる。殺人の動機も弱い。最大の不満は文章の推敲が不充分なことだ。創作と云うものは、一行々々にもっと心をこめて書くべきだと思う。
空白の近景――構成は面白いが詩子という主人公がやや超人的に思われるし、最後の解決も安易に過ぎる、文章にももう一工夫あってしかるべきものと思う。相当の実績のある作者だから、注文をつけ過ぎることになったかも知れないが、もう一奮発して貰いたい。
最後に一言加えておくが、推理小説においてトリックの大切なことは云う迄もないが、何よりもまずそれは小説として一応のものでなければならない。その点で感心できたものは少なかった。閉じる
- 松本清張選考経過を見る
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選評
総体的にちょっとした思いつきに頼りすぎる傾向が強い。「空白の近景」の記憶喪失、「死の立体交差」の循環殺人がそうである。
又筋を運ぶのに都合のよい人物が何の前触れもなく登場して、重要な役割りを与えられるのは感心しない。「怒りの道」で二人の重要な人物を結びつけることになる原絢子なる女性編集者はその例である。
「ジャン・シーズの冒険」は、文章が現代的で面白いということで推す人が多かったが、推理小説としてみると、トリックに無理があり、犯人が意外な人物であることは認めるが、読者に対する説得力が弱い。
「怒りの道」は現在抗争中の事件を小説化したことが第一に問題である。新聞記事等の引用もあり、相当調べて書いたと考えられるだけに、推理小説にしてフィクションを加えた事が逆に読者に対する訴えを弱くしてしまったようである。
「空白の近景」は同じ作者の昨年応募したものに較べると格段に落ちる。記憶喪失をうまく絡ませてはあるが、作者の独り合点が多すぎることと、事件の日時が明記されていないことが多い為、事件の時間的な関係があいまいであること等は、客観性を尊重する推理小説としては問題である。
「死の立体交差」は小ぢんまりとまとまった小説であるが、循環殺人を成立させる為のニューヨークでの黒人殺害事件がよく書けていないので、納得性が薄い。
当選作「仮面法廷」は、弁護士の作品らしく、法律知識を十分生かした本格推理小説で、トリックは必ずしも新しくはないが、長編としての骨組みもしっかりしており、候補作の中では最も安定した作品であった。只説明の重複が多く、やや冗漫な感じを与えたのは残念であった。佐賀潜亡き後、弁護士作家として大成することを期待している。閉じる