一般社団法人日本推理作家協会

推理作家協会賞

2024年 第77回
2023年 第76回
2022年 第75回
2021年 第74回
2020年 第73回
2019年 第72回

推理作家協会賞を検索

推理作家協会賞一覧

江戸川乱歩賞

2024年 第70回
2023年 第69回
2022年 第68回
2021年 第67回
2020年 第66回
2019年 第65回

江戸川乱歩賞を検索

江戸川乱歩賞一覧

1996年 第42回 江戸川乱歩賞

1996年 第42回 江戸川乱歩賞
受賞作

ひだりてにつげるなかれ

左手に告げるなかれ

受賞者:渡辺容子(わたなべようこ)

受賞の言葉

 台風が上陸間近のひどく荒れた夜だった。傘を飛ばされそうになりながら当日券あり、という新聞の文字に引きよせられるように、ひとりコンサートに出かけたことがある。
 アメリカから来日したアーティストはアンコール曲を歌いながら、悪天候の中をよく来てくれたとの感謝の印か、両手いっぱいの真紅の花をちりばめるように客席に放ってファンを沸かせた。だれの人生も挫折と再起の積みかさねであるにちがいないが、ステージから飛んできた紅い花をつかまえた瞬間が、私にはいくつめかの新しい出発点を見つけ、立ち上がるきっかけになった。どうやって生きていけばよいのだろう。そんな息苦しくなるだけの悩みと迷いは、いかにしたらこの花を嵐の中、無事に自宅へ持ち帰れるかというそれにとってかわっていた。雨傘用の細長いビニール袋を利用しようか、などとあれこれ考えを巡らせているとき、私は自分の不幸を忘れた。まったく忘れていた。
 あれから五年。机の隅にあのときの薔薇が飾ってある。一枚ずつ壊れるように花びらは落ち、葉や茎とてすっかり色あせてかつての美しさはどこにもない。だがこの花を眺めては、日常の煩わしさ、憂鬱な出来事、悲しみや嘆き、孤独といった諸々の痛みを束の間、忘れてもらえる娯楽に徹した小説を書きたいと、夢を一輪、一途に育ててきたつもりでいる。面白い小説を書きたい。それを叶える力を身につけたい。思うのはこれしかない。

作家略歴
1959~
東京都生まれ。東京女学館短期大学卒業。
平成四年「売る女、脱ぐ女」で第五九回小説現代新人賞、平成八年「左手に告げるなかれ」で第四一回江戸川乱歩賞を受賞。

選考

以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。

選考経過

選考経過を見る
 本年度乱歩賞は、一月末日の締切りまでに応募総数二九三篇が集まり、予選委員(香山二三郎、郷原宏、関口苑生、松原智恵、山前譲、結城信孝の六氏)により最終的に左記の候補作五篇が選出された。なお、作者名に変更があったので訂正する。(樋口徹→山瀬球平)
<候補作>
 閻魔のいるミートパイ  桃河 和行
 魔笛          野沢  尚
 サンキュウ・デール   山瀬 球平
 左手に告げるなかれ   渡辺 容子
 ペトロバグ       高嶋 哲夫   
 この五篇を六月二十五日(火)「福田家」において、選考委員・阿刀田高、大沢在昌、北方謙三、高橋克彦、皆川博子の五氏(五十音順)の出席のもとに、慎重なる審議の結果、渡辺容子氏の「左手に告げるなかれ」に決定。授賞式は九月二十日(金)午後六時より帝国ホテルにて行われる。
閉じる

選評

阿刀田高[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 乱歩賞の募集対象は五百枚前後の長編である。アマチュアのかたが(アマチュアではないかたも含まれているが)この枚数の作品を書きあげるのは大変な努力であり、難事でもある。それなりの作品を創りあげ、最終選考まで残り、そこで“駄目でした”では、さぞかしつらいことだろう。
 だが、応募者も、選考する側も、目的とすることは“一人の小説家の誕生”である。誕生しないことを前提にして考えてみても意味がない。候補者の皆さん、あなたの目的は小説家になること、ではないのか?
 私は何が言いたいのか。
 つまり・・・・最終候補として残った作品は、後日、あなたが小説家となったとき、みんな役に立ってくれるものである。ちょっと手を入れれば、あなたの作品として、商品として、出版されうるものである。そのくらいのレベルには充分到達しているのであり、デビュー直後が次々に原稿を求められる時期であることを考えれば、これらはものすごく役に立ってくれる“あなたの作品”なのである。
 デビューしなければ、ただの紙屑かもしれないが、あなたの目的は“小説家になること”であり、先に“誕生しないことを前提にして考えても意味がない”と言ったのは、このあたりを勘案して述べたわけである。小説家になれば無駄な努力ではない。くり返して言うが、今回最終選考に残った作品は、あなたが作家であるならば、みな商品となりうるものなのである。それと、賞を受けて表彰されることとはおのずと異なる、ということである。
 作品について述べる行数が少なくなった。受賞作は手厚く書いてあるが、推理小説の推理小説たる部分がいささか甘かった。一考してほしい。推理小説には学問のような部分があり、過去にどんなトリックがあったか、ダイイング・メッセージはどう使われるべきか、約束事がないでもない。遵守する必要はないが、知っておくべきことも多い。
「閻魔のいるミートパイ」と「ペトロバグ」は広がりが大きいわりには、人物の描写などに欠けるものがあった。しかし、後者の構造はなかなかのものである。「サンキュウ・デール」は軽味のため少し損をしたかもしれない。ユーモアを含んだ筆致で、次作をおおいに期待したい。「魔笛」は、もっとも議論が沸騰したが、他の委員が触れてくれるだろう。
閉じる
大沢在昌[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 本年度から選考委員に加えていただくことになったが、長編の選考の難しさをしみじみと考えさせられた。
「閻魔のいるミートパイ」
 主人公の属する秘密機関の設定が妙に作り物らしくなく、日常性すら漂うその造形に好感をもった。「神の視点」で描かれた本作の文体には委員の中でも評価が割れたが、筆力はある人だと思う。物語がどう展開するか予測させないという点では一番だった。ただしそれが裏目にでてしまった部分もあり、主人公への感情移入をさまたげたり、読後のカタルシスを生まないといううらみもあった。腕力はある。技を磨いていただきたい。
「魔笛」
 ストーリーはダイナミックであり、冒頭シーンやクライマックスでの描写力は群を抜いている。この作者はひとかどのプロである。が、あえていう。人物描写がこれほどすぐれていながらその設定はあまりに強引すぎはしないか。おいしい要素を、転がる雪ダルマのようにとりこんでいった結果、迫力はあるものの、ワキの甘い作品に仕上ってしまった。その甘さはミステリにおいては、ときに致命的である。あざとさは才能ではあるが、むきだしでは甘すぎるケーキのようになってしまう。調味料はけちって使う方がよい場合もあるのでは。
「サンキュウ・デール」
 小味ながら、ほのぼのとしたユーモアが、この人の武器だと思う。特に魅力あるストーリーではなかったが、ページを繰らせる不思議な魅力をもっている。だがもう少し風呂敷を広げてもよかったのではないだろうか。
「ペトロバグ」
 石油を作る細菌が遺伝子組み替えによって生みだされたら世界はどうなる、という箱には高い評価が集まった。だが登場人物、特に石油メジャーの大物やOPECの幹部が、あまりに卑小な人物として描かれすぎている。日本や日本人を嫌悪したり差別することでリアリティが生まれるという誤解を、作者はしていないだろうか。これほどおいしい題材なのだから、主人公の山之内を含め、人物造形により手をかければ、もっとすばらしい作品になったろう。
「左手に告げるなかれ」
 読み始めてすぐ、この作品が受賞作になるのでは、と感じた。ハードボイルドとして私は読み、文体はプロとして完成している。指令長の造形は秀逸であるし、苦い過去を抱きながらも現実と向かいあってしっかりと生きるヒロインの描写がすばらしい。
 が、この作品にも弱点がないではない。ミステリの部分である。犯人の設定に強引さが隠せない。作者はヒロインとその周囲を描くことに力を割きすぎ、犯人部分でやや息切れしてしまったのではないだろうか。
 ともあれ、女性のハードボイルドに力ある新たな書き手が出現したという実感を強く抱かされた作品だった。
 おめでとうございます。
閉じる
北方謙三[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 今回も、全体の水準は高かった。乱歩賞が、エンターテインメント小説の登竜門であることを、ひしひしと感じる。
『魔笛』は、落ち着いた筆になっていて、描写も前回の候補作より迫真力があった。特に真杉というバク処理の警官がよかった、と私は思った。最後の爆弾を処理する時、ニッパーの先に、感じるはずのない電流を感じる、というあたりは小説でだけ描写し得るものである。ただ、全体のリアリティが、オウムという実在の教団に寄りかかって成立していた。読者の側に、すでにオウム教団というものが頭にある以上、安易な題材に頼ったと言わざるを得ない。この人の実力は認めても、賞に推しきれないのは、そこに起因するのかもしれない。
『ペトロバグ』は丁寧に書きこまれていて、なかなかの手腕だと感じるが、どこかで呼んだ国際謀略小説という感じがつきまとう。研究所の描き方、プロの殺し屋、政治家たちの陰謀の部屋。そういうものがいまひとつ迫力不足で、空恐ろしい感じが湧いてこない。次作を鶴首したいと思う。
 同じようなことが、『閻魔のいるミートパイ』にも言えて、なぜ核爆弾や自衛隊のクーデターなのかと首をひねってしまう。大仕掛けを考え過ぎて、逆に小説の世界を小さくしてしまった結果になっていないのか。力量は充分なのに、二作とも惜しい作品である。
『サンキュウ・デール』にも好感を持った。ただ、コンビ、あるいはトリオの探偵の妙味というところに、まだ工夫の余地があるのではないだろうか。今後、類型に陥るのをどうやって避けていくか、注目したい。
 受賞作は、前回の候補作となったものよりも、ずっとよかったと思う。その努力は、評価したい。ミステリーとしては多少の問題を残すが、人物はよく描かれていたと感じた。ただ、すべてを突き破るようなエネルギーはもうひとつである。受賞を機会に、そのあたりの力を身につけていただきたいと思う。
閉じる
高橋克彦[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 さまざまな賞の選考に関ってきたけれど今年の乱歩賞ほど迷わされた経験はない。まさに大激戦だった。最終的には『左手に告げるなかれ』になんとか落ち着いたものの、そこまでに至る過程で多くの論争が繰り広げられた。特に紛糾したのは『魔笛』である。まさに圧倒的な描写力で、息をもつかせぬ展開だ。読み終えたとき今年の受賞作はこれだと確信したが、ストーリーを冷静に考え直すと疑問点もたくさん浮んでくる。これが小説の辛いところだ。もし映画であったなら、ああ面白かった、で済んだはずである。ところが小説は直ぐに再読できる。あらためてチェックしてみたら「有り得ない」設定や「強引だ」と思う人物造型がいくつも見られた。いくらなんでも少女時代に二人も殺している人間の過去を知りながら警察庁が採用するわけがない。知らなかったという設定なら構わないが、作品を読む限り上司は確実に承知している。なぜ犯人は主人公をゲームの相手に選んだのかも明白とは言えない。そういう乱暴さが随所にあっては、どんなに面白い作品であっても頷くことはできない。他を断然に圧する筆力だけに惜しまれた。
 正直に告白すると私は選考会の席上で「該当作なし」の判断を示した者だが、今こうして思えば妥当な受賞だった気がする。大仕掛けな作品が多かったせいで地味な印象を受けただけで、渡辺さんのミステリーのセンスは一級品である。次々に謎を膨らませていく手腕は相当なものだ。綱渡り的な展開ながら、着地も見事に決めている。その意味ではもっとも楽しく謎解きを堪能できた。今後どんな作品を紡いでくれるか楽しみな存在だ。
閉じる
皆川博子[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 冒頭、ひきずりこまれるような迫力という点において、『魔笛』が群を抜いていた。その後のストーリー展開も面白いのだが、最高点をつけた私でさえ受け入れがたい、大きな疵があった。名前だけは変えてあるものの、あきらかにそれとわかる実在の人物を登場させ、身代金をはこぶ滑稽な役まわりをつとめさせている点である。オウム事件のリアリティによりかかっているという他の方々からの指摘は、納得できるものであり、さらに委員の一人からの、細部にわたっての欠点や誤謬の指摘も懇切な当を得たもので、了解できた。私はストーリーの起伏やキャラクターのひねりに溺れすぎたようだ。
 しかし、『魔笛』の印象が強烈だったので、他の作品がかなり物足りなく感じられたのは否めない。選考の場では、各作品の長所を他の委員がのべられるのに対し、短所ばかりを私は強調してしまったが、選評としては、マイナス、プラス、両方を記すことにする。
『左手に告げるなかれ』ミステリの部分が新鮮味に乏しく、ことに、ダイイング・メッセージ、おたく青年の存在など、弱点と感じられたが、保安士の心掛け、万引きの捕まえ方、スーパーとコンビニの実態など、情報的な部分は取材がゆきとどき、実際に体験されたのではないかと錯覚するほど、よく咀嚼されて、物語にとけこんでいる。受賞を機に大きな開花を期待できる証左だろう。
『サンキュウ・デール』物語の半分ぐらいまで、流れがゆるやかすぎ、もたつく感があるが、会話も地の文も明るく軽く、作者の目は常に温かい。最後の一行が効いていた。
『ペトロバグ』国際石油資本メジャーの黒幕、OPEC事務総長など背景にいる大物の描き方が浅いために、せっかくの素材、着眼点のよさが、弱められた。
『閻魔のいるミートパイ』も、人物の実在感を求められるタイプの小説と思うが、それが希薄だった。
閉じる

選考委員

予選委員

候補作

[ 候補 ]第42回 江戸川乱歩賞   
『閻魔のいるミートパイ』 桃河和行
[ 候補 ]第42回 江戸川乱歩賞   
『魔笛』 野沢尚
[ 候補 ]第42回 江戸川乱歩賞   
『サンキュウ・デール』 山瀬球平
[ 候補 ]第42回 江戸川乱歩賞   
『ペトロバグ』 高嶋哲夫