1997年 第43回 江戸川乱歩賞
受賞の言葉
江戸川乱歩賞、という名前の学校に三年間通い、やっと卒業することができた。
一年目は、かつて映画化されなかった自作の脚本が原型だった。今の日本映画界で実現できないのなら、活字世界で命を与えてやろう。動機が不純だったのかもしれない。最終候補に辿りついたものの、合格点には程遠かった。
二年目、自分の前にそびえ立つ江戸川乱歩賞という壁を乗り越えてみようと決意した。この壁を迂回してエンターテインメント小説の作家になる方法論に誘惑もされたが、それは自分らしい生き方ではないと思い直した。作品は自分でも血湧き肉躍るものであったが、現実世界と虚構世界の狭間で自家中毒を起こしていた。
三年目、今この世の中で何が一番恐ろしいと感じるか、作家ではなく、生活者としての自分の実感と向き合い、テーマを選んだ。映像による大衆心理の操作。テレビの前にいる自分は、常に映像の作り手の意図によって何処かへと導かれている。
そこでハタと気付いた。テレビの前の人々を操作しているのは、他でもない自分ではないのか。ドラマ作家としてテレビ視聴者を笑わせ、涙させ、怒りを喚起させる。自分こそプロの騙し屋だった。
自戒と警告のための小説となった。
やっと合格点を戴き、卒業式を迎えることになった。
ありがとうございます。
- 作家略歴
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1960.5.7~2004.6.28
名古屋市生まれ。日本大学芸術学部卒。
1983年、城戸賞を受賞してシナリオ・ライターに。映画「その男、凶暴につき」、テレビドラマ「青い鳥」などのヒット作を手掛ける。99年に向田邦子賞を受賞。著書に小説に「ラストソング」「恋人よ」「恋愛時代」などがあるが、97年、「破線のマリス」で第43回江戸川乱歩賞を受賞して推理小説も。ほかに、「リミット」「呼人」。2001年『深紅』にて第二十二回吉川英治文学新人賞受賞。
選考
以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。
選考経過
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本年度乱歩賞は、一月末日の締切りまでに応募総数三〇八篇が集まり、予選委員(香山二三郎、郷原宏、関口苑生、松原智恵、山前譲、結城信孝の六氏)により最終的に左記の候補作五篇が選出された。
<候補作>
破線のマリス 野沢 尚
神が殺す 池井所 潤
川の深さは 福井 晴敏
トルーマン・レター 高嶋 哲夫
榧と柘植の迷宮 釣巻 礼公
この五篇を六月二十五日(水)「福田家」において、選考委員・阿刀田高、大沢在昌、北方謙三、高橋克彦、皆川博子の五氏(五十音順)の出席のもとに、慎重なる審議の結果、野沢尚氏の「破線のマリス」に決定した。授賞式は九月二十六日(金)午後六時より帝国ホテルにて行われる。閉じる
選評
- 阿刀田高[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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選考会を終えたとき、
「小説の読み方は人それぞれ、ずいぶんちがうんだなあ」
つくづく思い悩んでしまうときもあれば、
「うん。やっぱりいいものは、だれが読んでもいいんだ」
安堵の胸を撫でおろすときもある。
今回は前者の典型であった。選考委員が謙虚に、だが自分の小説観に自信を持って作品を評価しなければならないのは当然として、応募者のかたがたに是非とも申し上げたいのは、
「評価のものさしは、煎じ詰めれば、さまざまとしか言いようがない。ただ、優れた才能はそれをかいくぐって必ず現われてくる。それを全うする執念がなければ、この世界では大成しないし、正直なところ、大成の可能性が薄いものを小説界は求めてはいないのだ」
ということである。現に選考委員である私が発言すると、高みからものを言っている印象をまぬがれまいが、言い方がどうあれ、現実はこれに近い。小説の選考は、こういう観点に立たないと一歩も進まないし、この方法によって、最善ではないにしろ、これまで多くの作家を生み出してきたことも事実である。
今回の選考では「榧と柘植の迷宮」は全体的に甘く感じられた。警察が事件をどう考え、どう対処するか、その配慮一つあっただけでも、もっとよい作品になっていただろう。
「神が殺す」は、今どきめずらしいユニークな密室に挑戦し、暗号の解読あり、意外な犯人あり、ミステリーの古典的な本道をリニューアルして、一定の水準をクリアしているが、大成功にまでは達していなかった。
残る三作は、いずれも入賞圏内と考え、私はむしろ「トルーマン・レター」の文章のまとまりのよさに好感を抱いたが、他の委員の賛同を得られなかった。「破線のマリス」と「川の深さは」をめぐって激しい争論が交わされ、後者については「初めて書いた小説とのこと。その弱点は随所に見えてます。小説というものを、もう一度考えて、さらによい作品を書いてください」が私の判断であった。閉じる
- 大沢在昌[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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選考委員として、熱く期する作品があった。が、残念なことに力及ばず受賞には至らなかった。まずその作品から触れていきたい。
「川の深さは」
二十八歳という年齢、そしてまるで筆歴らしきものがないというのが、にわかには信じられない思いだった。癖はあるものの、まぎれもなくハードボイルド、冒険小説の文体をもち、「朝高サンド」などの小道具の使い方も堂に入っている。デビューすれば途轍もない商売敵をまたひとり増やしてしまうことになる、と震撼した。この作者である福井晴敏という名を私は忘れない。来年こそは全選考委員を瞠目させる作品を待つ。私はこの作者のファンになった。
「神が殺す」
強盗がたてこもった銀行内で発生する連続殺人というアイデアは買いだろう。だが三人に復讐をとげるために六人の強盗を犠牲にする、という犯人像にはついていけない。また復讐をほのめかすためだけに、あのような暗号が必要であったとは、とうてい思えない。
「トルーマン・レター」
作者はポリティカルフィクションを書こうとした、と私は理解した。そうであるなら、右翼や外務官僚の行動など、あまりに皮相的で、リアリティに乏しい。ある社会状況を作りだし、それを背景とする手腕は評価できるが、細かい点での安易さが物語全体を支えきれていない。
「榧と柘植の迷宮」
この作者のミステリー観には首をひねった。警察が自殺と判断した状況を、ヒロインが他殺と見破る要素はあまりにも初歩的であり、死者の交友関係も含め、警察捜査を物語に都合よくねじ伏せすぎている。しかも犯人の動機にも問題がある。評価はできなかった。
「破線のマリス」
小説としての完成度は候補作中、図抜けていて、それが受賞につながった。ただ私は、ミステリーとして作品を判断した場合、二件の殺人の犯人が、最後までその輪郭すら表わされない、という形にはどうしても納得できなかった。この小説の主眼は別にある、と主張された他の選考委員の考えは理解できなくもないが、乱歩賞受賞作としてどうなのか、不安は捨てられなかった。が、ともあれ三連続で最終候補となった野沢氏の筆力に疑いはない。その努力にも敬服し、新作家の誕生を祝いたいと思う。閉じる
- 北方謙三[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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『トルーマン・レター』は、手紙の解析、争奪戦、真贋のつけ方に、かなりのリアリティがあり、腰を据えれば相当な作品になった。いかにもらしいという組織や、六〇年代後半と同じとしか思えないデモの描写など、安直な部分を排除できれば、と惜しい思いがした。実力は、かなりのものだ。
『神が殺す』は、臨場感をきわめる小説なのか、謎解きなのか、中途半端に終った。それで作り事という印象しか残らなかった。
『榧と柘植の迷宮』は、面白く読めた。大きな欠点は見えないが、殺人の動機がいまひとつ説得力がない。そのあたりが、この小説のツボではないのか。ほかのことに気を奪われて、ツボを押す集中力を欠いた。
『川の深さは』は、冒頭の出会いが秀抜である。しかし、そこにあった小説性を、途中から維持できなくなった。説明が多く、書く登場人物の視点のはずなのに、どれも同じで作者の視点としか思えないところも、感興を削いだ。舞台背景を、大きくしすぎたためか。保と涼子は同じ訓練を耐えてきているはずなのに、なぜ最後はこれほどの力量の差が出るのか、疑問でもあった。そして最後に保が攻撃用ヘリで金剛という護衛艦に突入して死ぬ場面が、どうしても必然として描けているとは思えなかった。金剛の標的である船に、葵は乗っていない。それを保は知っている。葵を助ける決死の行動として読んでいた私には、気が抜ける死となった。小説的に、結末をつけすぎようとした。細部の描写にのめりこみ、どこかで節度を欠いた。それが全体的な感想である。しかし実力は充分。次作に期待すること、すこぶる大である。
『破線のマリス』は、ひとりの女が、虚と実の間で崩れていく小説として読んだ。孤独の通底音がいい。そういう小説として読んだので、殺人事件などあまり気にならなかった。空虚だが真なるものという、相反する現代の貌をテレビを通してよく描ききったと思う。閉じる
- 高橋克彦[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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乱歩賞に応募してくる作品の幅が年々広がっている。本格、サスペンス、ホラー、冒険、歴史、SF、ハードボイルド、犯罪の謎を軸としてありとあらゆるジャンルが揃っている。これは今のミステリーの広がりをそのまま反映しているものだろうが、こうなると当然、選考の票が割れる。ジャンルが違えば小説の狙いや展開が異なって当たり前であり、互いの作品の比較がむずかしくなる。片方では犯罪の動機や犯人の心理がよく描けているかが問題とされ、別の作品では細かな心理はともかく、政治状況の認識や熱の有無が論議される。おなじ部分を抽出しての優劣がつけにくい。となると、これも当然の結果だが、選考する側の好き嫌いが大きく作用してくる。選考が面倒になりつつある、との危惧をここ数年感じていたが、今年はまさに五編それぞれの水準が高かったせいで大荒れの選考会となった。一時間の論議の果てに受賞作と「川の深さは」に絞られたものの、それから先が進まない。極端に傾向の異なる作品なので読みどころがまるで違う。こういう場合、二作同時受賞も考えられたが、それは安易な判断でもある。また二時間近く議論が続けられ、三対二の挙手によって結論が出た。私は「川の深さは」を推した側だが、結果に異議を唱えるつもりもない。野沢さんは三年連続して最終候補に名を連ねただけある巧者だ。筆力はここ数年一、二を争う作家だと認識している。その精進には心から敬意を表したい。現実の事件を彷彿とさせ過ぎるという問題さえなければ、去年の作品でも受賞に値するものと私は見ていた。実力者を得たことに満足している。ただ、それゆえにこそ、その野沢さんと真っ向から競った「川の深さは」の情熱と志に拍手を贈りたい。まだ二十八歳の若さだ。この人は百パーセント世の中に出れる逸材である。それを信じてまた来年も剛球で挑戦して貰いたい。前半と後半の乖離が少し気になって私の応援演説が弱まった。しかし、本当に凄い選考会であったと、今もしみじみと感じている。閉じる
- 皆川博子[ 会員名簿 ]選考経過を見る
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去年と今年、二回選考委員をつとめ、十本の候補作を読んだことになるが、登場人物の性格、状況設定などに、似かよったものをおぼえる。主人公が男性であれば、警察、新聞社など、大組織からはみだし、心に傷を持つ中年。女性であれば、離婚歴のあるものが多く、ひとりで強く生きながら傷ついている。そういう人物が国際謀略にまきこまれ、というタイプも多かった。コンテンポラリーな状況の反映とみれば、いたしかたないのだろうか。
ミステリは、もっとひろい、さまざさな世界、さまざさな人間を包含しうるものだと、私は思っている。そして、乱歩賞の水準は、過去の受賞作から見て、きわめて高いものと、私はみなしている。
数多い応募作のなかから選りすぐられてくるだけに、箸にも棒にもというたぐいのものはないのだが、既成の人物像、既成のパターンを越えたものが欲しい。
私の任期はあと二年ある。その二年のあいだに読むであろう十本のなかに、こういうミステリもあるのか、と驚きと喜びにぞくぞくするような新鮮な作にめぐりあえることを、個人的に願っている。
(ただし、そういう作品が受賞の可能性が高いという保証は、まったく、ない。むしろ、常識を超えたところが傷・欠点とみなされやすいだろうが)
暗号、死体に託されたメッセージ、などを作中にとりいれた作が二作あった。これらを用いるには、それらを生かす舞台設定が必要だということを、作者は忘れている。
文章にも留意していただきたい。冒頭の一行は、五百枚にわたる大きな物語に読者をひきこむ役目を持っている。粗さは、力強さとは別物である。
『トルーマン・レター』は、構成や人物設定が定番どおりという物足りなさや、トルーマンの日本蔑視は当然で、レターが公表されてもたいしたことはない、という欠点があったが、文章の点では一番傷が少なかった。閉じる